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3.もう一度
「いやぁ、だめぇ、パパ行っちゃだめぇ」
その日の朝、真奈美はいつもにも増して俺が出かけるのを止めようとした。足をバタバタとさせ駄々をこねる。
「ダメよ、パパお仕事なんですからね。さ、真奈美ちゃんママと一緒に公園行こう」
真奈美は母親の言葉を無視し俯いたままズボンの裾を離さない。
「ほらパパ困ってるわよ」
もう一度香織が声をかけると真奈美は少ししゃがれた声で、
「うるさいな」
と呟いた。聞いたことのないような声を上げる娘に、俺と香織は驚いて目を見合わせる。すると真奈美はすっと顔を上げ上目遣いに俺を見た。
「うわっ」
真奈美と目が合った瞬間、俺は思わず後ずさりした。あなたどうしたの、と心配する香織の声が遠くで聞こえた気がするがよくわからない。俺の目は娘の顔に釘付けだった。俺や香織と少し違う雰囲気を纏う真奈美。前から誰かに似ているような気がしていた。
(そうだ、わかった、あいつだ。昔たまに遊んでいた女。そう、美奈だ。美奈に似てるんだ。顔自体が似てるんじゃない。あいつの……)
俺はゴクリと唾を飲み込む。背中を冷たい汗が伝った。
(あいつの、美奈の浮かべる表情。俺に甘える時の表情、それにそっくりなんだ)
今の真奈美の表情を見た途端、存在すらすっかり忘れていたはずのあの女の顔が鮮やかに蘇ってきた。
そしてもう一つ俺の中で過去のワンシーンが鮮明に浮かび上がる。そう、あれは美奈と付き合い始めて半年程経った頃だろうか。確か美奈の家で酒を飲んでいた時のこと。普段あまり酒を飲まない美奈が珍しくワインを何杯か飲んでえらく酔っていた。唇の端から赤ワインが血のように滴っていたのを覚えている。彼女は突然こんなことを言い出した。
『ねえ、生まれ変わりって信じる?』
『ん? 俺はあんまり興味ないな。今を生きるだけで精一杯だよ』
『私はね、信じてる。生まれ変わってもまたあなたに出逢って、もう一度愛してもらうの。必ず、もう一度』
俺は内心バカバカしいと思いつつも適当に話を合わせていた。あの時俺は何と返事をしたんだっけ。ああ、もちろんさ、と相槌を打ったような気がする。
あの女、美奈は俺と別れてからどうなったんだろう。
(あっ)
俺は不意にあることに気付いた。美奈と真奈美。どうしてこんな似た名前を付けたんだ?香織が考えたんだっけ、それとも香織の両親?いや……。確か俺が考えた名前だ。どこからか美奈の声が聞こえる気がする。
――生まれ変わってもまた
止めろ。
――もう一度あなたと
止めろ、止めてくれ。
――モウイチド、モウイチドアナタト
ヤメロヤメロヤメロ!
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