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絵を描く仕事がしたい。
物心つく頃には、もう、そう思っていた。
そして自然の流れで美術系の大学を進学先に決めたわたしは、当時、このまま実家にいては良くないという、奇妙な焦燥感に追い立てられるようにして東京の大学を選んだ。
今から考えれば、まだ若かったわたしは、都心と地方都市では得られるチャンスの数が全然違うと思い込んでいたのだろう。
子供の頃から図画工作、特に絵画に関しては常に褒められたり賞をもらったりしていたし、美術系予備校の教師陣からもお墨付きをいただいていたので、大学受験はさほど気負わずに挑めた。
その結果、希望通りの進学を果たしたわたしは、大学入学後についてもそれなりに自信はあった。
……けれど、所詮は井の中にしか過ぎなかったのだ。
大海を知ってしまった蛙は、日に日に疲れて、次第に課題に追われるばかりになり、コンクールからも遠ざかっていった。
一人娘のわたしを嫌な顔せず東京に送り出してくれた両親は、きっとわたしに期待してくれていたはずで。
なのに、わたしは大学の課題をこなす以外に活動する気にもなれなくて、両親に申し訳ないと思うばかりで、そうすると、実家にも足が向かなくなっていった。
そしてインターン先でもあったデザイン会社の先輩に誘われ、なんとなく就職を決めると、忙しさからさらに足が遠退いてしまったのだった。
一応、デザイン会社という、それらしい就職先ではあったけれど、”絵を描く仕事” というカテゴリーからははみ出したもので、わたしの中にあったのは ”諦め” と ”妥協” だった。
もちろん、このご時世、仕事があるだけでも喜ぶべきことなのかもしれない。
でも、物心ついた頃からの夢を叶えられなかったわたしは、何の職に就いてもさほど変わらない…そんな心境だったのだ。
そして今日戻ってきたのだって、やむにやまれぬ事情があってのことで、決して自ら望んだことではなかった。
妥協して入った会社を、辞めてしまったからだ。
仕事を辞めてしまった地方出身者が東京での暮らしを維持させるには、経済力以外にも、まあまあの気力が必要で、わたしはそんな気力もなかったわけだ。
けれど両親、特に母は私が奈良に帰ることを告げると、予想外に喜んだ。
それが正直な感想か、それとも、いわゆる ”都落ち” をした娘を気遣ってのことかは、電話越しの母からは判別はできなかったけれど………
でもそうして、数年ぶりに、こうして生まれ育った地元に、わたしは戻ってきたのだった。
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