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振り返らなくたって、すぐに分かる。
少し前までは、毎日毎日、ずっと顔を合わせていた人だから。
わたしは表情を石のように固めてしまい、今、自分がどう振る舞うべきかが判断できなかった。
「芦原さん……?」
うんともすんとも言わないわたしに、神楽さんが心配して声をかけてくれる。
わたしは微かに神楽さんと視線を重ねて、それからゆっくりと、後ろを向いた。
そこに立っていたのは―――――
「先輩………」
「芦原、……ひさしぶり」
そこに立っていたのは、わたしの前の職場の先輩で、インターンをしていたわたしを引き抜いてくれた人だった。
「髪型が変わってるから、すぐには分からなかったよ」
なるべく普通に接しよう、そんな空気感が伝わってくる口調。
「短いのも似合ってるな」
社交辞令のような誉め言葉も、以前は顔が火照るほど嬉しかったのに………
今は、心臓を凍てつかせる。
わたしは顔を逸らすと、無意識に、肩の上で揺れる髪先を触っていた。
「奈良の実家に戻ったって聞いてたんだけど……」
恐る恐る、といった様子で話し出す先輩に、わたしは身構えた。
「でもここで会えてよかった。今、少し話せるかな」
そう言って、先輩はわたしの向かいに座っている神楽さんをちらりと見た。
神楽さんは私たちの会話を静かに見守っているけれど、頼まれたら、きっと席を離れるだろう。
けれど、先輩とふたりきりにされたところで、わたしには話すことなんて何一つない。
先輩だって、今さら何の話をするつもりなの?
今さら、何の………
頭の中で疑問と緊張と苛立ちが入り混ぜになった瞬間、わたしは、派手な音をたてて椅子から立ち上がっていた。
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