はじめてのドライブ

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神楽さんは今度はなにも発しなかったけれど、まるで聞こえないため息を吐いたような空気が運転席から伝わってきていた。 わたしはちょっと長めの瞬きをしてから、また話をはじめた。 「インターン時代に先輩に見せたものが、ほとんどでした。クロッキー帳…スケッチノートを何冊か見てもらっていたんですが、知らない間にデータとして保存されていたみたいで、それらをプリントアウトしたものが、何枚もありました。それを見つけたわたしは、いったい何が起こっているのか、すぐに理解することはできませんでした。でも、先輩も女の人もわたしには気が付いてなくて、二人の会話がはっきり聞こえてきたんです。『それじゃ、これ全部預からせてもらって、上と相談してみるわ』とか、『そっちの退職日が決まったらすぐに連絡してね』そんな感じで、どう聞いても、引き抜きや転職のことを話し合ってる内容にしか聞こえませんでした」 わたしがそこまで説明すると、その先を読めたように、神楽さんが声色を落として呟いた。 「つまり、その先輩は、芦原さんの絵で……?」 わたしは運転席に顔を向けて、諦めの笑みを見せた。 苦笑いを、さらにビターにした感じだ。 「『それ、わたしの絵ですよね』確か、そう声をかけたと思います。でもその後のことはあまり覚えてなくて、次に記憶にあるのは、イルミネーションで綺麗な街路樹の前で、先輩に腕を掴まれたことでした。先輩は申し訳なさそうに、前から引き抜きの話を持ちかけられていたことを打ち明けてきました。一緒にいた女の人は、昔の仕事相手だったそうで、その人の事務所は、新しいけれどコンペで次々に勝ってて、業界でもちょっと有名になりつつある注目の事務所でした。だから、先輩がそちらに移りたいと思う気持ちは理解できたんです。でも、相手の上層部が、これといった個性も実績もない先輩の受け入れに難色を示したそうで、それで先輩は、わたしの絵に目をつけたんだそうです」 クリスマス目前のきらきらした街中で、悲壮感いっぱいのわたしは、周りから見たら場違いに映っただろう。 それとも、みんなが浮かれている季節にそぐわず、滑稽に見えただろうか。 とにかくわたしは、自分の足で立って、先輩と対峙しているだけで、すべてのエネルギーを消費してしまうほどだったのだ。
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