首切地蔵のはなし

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 この土地に伝わる話をして欲しいとおっしゃるのですか? しかし、変わった話と言っても、遠くから旅行にいらっしゃった方が面白がるような話があったかどうか。え、どんな話でも良い? そうですね、それでは、岬の首切地蔵さまのお話でもいたしますか。これは私も祖父から聞いた昔話なのですがね。  ここから車で十分程度、南へ下ったところにA岬というところがありますでしょう。切り立った崖になっていて、すぐ目の前には荒々しい海が広がっています。岬の突端に立つと、足がすくむようなところです。  昔は、あそこに「首切地蔵」と呼ばれるお地蔵様が立っていたということです。  首切地蔵にはある言い伝えがありました。お地蔵さんの首から上・・・・・・頭の部分を取って、岬の崖の上から海に投げ入れると願い事が叶うのだとか。そのせいで、首切地蔵の頭はよく無くなりました。  ところが、願掛けの人が度々訪れては頭を海に投げても、何日かすると、必ずお地蔵様の体の上に真新しい頭が据えられていたそうです。実は、当時、岬の近くには蔵六(ぞうろく)という若い石工が住んでおり、その蔵六がお地蔵様の頭が無くなる度に新しい頭を拵えていたのです。誰に頼まれたというわけではありません。六蔵は、村人達の願いがきっと叶うようにと、思いをこめて自らお地蔵様の頭を作っていたのです。  毎朝、蔵六は、お地蔵様の頭が胴体に上に載っているかどうか岬に確かめに行っていました。願掛けをする人がお地蔵様の頭を取って海に投げ込むのは大抵、人目につかない夜のことでしたから。願をかける姿を人に見られては願いが叶わない、と皆、信じていたのです。なので、お地蔵様の頭が無くなっている朝は「昨夜、誰かが願をかけたな」と思い、その人の幸せを願いながら、蔵六は帰ってさっそく新しい頭を作り始めます。蔵六の優しい心を映したように、拵えるお地蔵様のお顔もいつも穏やかで優しげな表情でした。  しかし、時折、蔵六は不吉な夢を見ることがありました。夢の中で首切地蔵の頭が目からぽろぽろと涙を流しながら、切ない声で「くるしい、くるしい」と呻いているのです。  そんな夢を見た次の日の朝には、決まって村には悲しい知らせが訪れました。岬の崖から誰かが落ちて死んだという知らせです。夜、お地蔵様の首をとって海に投げ入れようとした人が、暗闇の中で足を滑らせて崖下に落ちてしまう事故も度々あったのです。  そんな時、お地蔵様の頭は必ず崖の上の草むらの中に転がって置かれています。死んだ人と一緒に崖の下に転がり落ちることは決してないのです。  不吉な夢を見て、悲しい知らせを聞く度、蔵六は「お地蔵様は冷たい海の中に投げ入れられることを本当は嫌がっているのではないか」と思います。しかし、蔵六はお地蔵様の頭を作り続けました。村人が首切地蔵に願いを託す限り、自分もお地蔵様の頭を作り続けようと、蔵六は心に堅く決めていました。  蔵六はある朝、いつものように岬へ行きました。首切地蔵の前には先客がいました。お浜という、村の娘でした。 「どうしたんだい、お浜ちゃん」  蔵六が声をかけると、お浜は振り返りました。 「昨夜、誰かが願掛けをしたのね」  お浜は、頭のなくなったお地蔵様を指さしました。 「願いは叶うのかしら」 「叶うさ、きっと」  蔵六は胸を張って請け合います。自分が思いをこめて拵えるお地蔵様の頭です。願いが叶わないはずはない、と信じていました。 「私も、いつかお地蔵様に願掛けをしてみようと思って」  お浜ははにかんだように微笑みながら言いました。お浜は、実は想い人がいるのだ、と蔵六に打ち明けました。相手は隣の村の若い衆でした。お浜はその若者の姿を見かけると、胸の奥がきゅうっと痛くなるのだそうです。お浜は、いつの日かその若者と夫婦になることを願っていました。  その言葉を聞いて、蔵六の胸も締め付けられるように痛くなりました。実は、蔵六は小さい子供の頃からずっとお浜のことが好きだったのです。  蔵六は意気消沈したまま家に帰り、いつものようにお地蔵様の頭を作り始めました。しかし、心は晴れません。鑿で石を削りながらも、お浜の顔が目に浮かびます。隣の村の青年の顔も目に浮かびます。お浜の願いなど叶わなければよい。蔵六はそう思いながら、お地蔵様の頭を削り出していました。  そうして出来上がったお地蔵様の顔は、眉尻が下がり、口が真一文字に引き結ばれ、とても悲しそうな表情でした。蔵六は後悔しました。村人の幸せを願わずに、自分の個人的な悲しみをぶつけてお地蔵様の頭を作ってしまったのです。  しかし、また新しい気持ちでお地蔵様の頭を作り直す元気は、今の蔵六にはありませんでした。後ろめたさの残る気持ちで、蔵六は作った頭を首切地蔵の体の上に据えに行きました。  そして、それから三日後の夜のことです。  風が強く、激しい海鳴りの轟く夜でした。蔵六は夢を見ました。蔵六の作ったお地蔵様の頭が悲しげな顔で「くるしい、くるしい」と泣いています。またいつもの夢か、と蔵六は思いました。ところが、しばらくすると、お地蔵様の顔はお浜の顔に変わりました。髪をざんばらに振り乱したお浜が「くるしい、くるしい」と呻き声を上げながらしくしくと泣いているのです。 「お浜ちゃん!」  蔵六は叫び、自分の声で目を覚ましました。胸の奥が早鐘を打ち鳴らすようにドキドキと揺れています。辺りはまだ真っ暗でした。強い風が戸をガタピシと軋ませています。  蔵六は不吉な予感を感じて飛び起きました。草鞋をつっかけて外に走り出ます。岬に向かって真っ暗な夜闇の中を駆け続けました。雨も降ってきたようで、風とともに冷たい滴が蔵六の体に真っ向から降り注ぎました。  蔵六がようやく岬にたどり着いた時には、体は芯からガクガクと震えていました。それは決して寒さのためだけではありません。  蔵六は首切地蔵のほうを見ました。頭がなくなっています。蔵六は首切地蔵の脇を通ってゆっくりと崖のほうに歩み寄りました。すると、つま先に何か堅いものが当たりました。蔵六はしゃがみ込み、その「何か」にそっと手を触れ、そして思わず「ああ!」と悲痛な叫び声を上げました。足下に転がっていたそれは間違いなく、蔵六が作ったお地蔵様の頭だったのです。  お地蔵様の頭が転がっているということは、誰か願掛けに来た者がしくじって崖から落ちたということです。そして、その誰かとはお浜なのではないか、と蔵六は思いました。  お浜の願いが叶わなければよい、と思いながらお地蔵様の頭を作ってしまった。きっとそのせいで、願掛けにきたお浜は崖から落ちて死んでしまったのだ。自分がお浜を殺したのだ。  蔵六は取り留めもなくそんなことを考え、震える手でお地蔵様の頭を持ち上げて胸に抱き抱えました。そして、蔵六は、おそるおそる崖の下をのぞき込みました。  真っ黒な海が広がっています。どどどどど・・・・・・と地を揺すぶるような海鳴り。大きくうねる波の間には、何か丸いものがたくさん漂っているのが見えました。月も無い、雨の夜だというのに、海に浮かぶ丸いものは、皆ほんのりと光っていて闇の中に白々と浮かび上がって見えます。  蔵六はしばらく夜の海に目を凝らした後、息が止まるくらいに驚きました。海の上に漂っている何十、何百もの丸いものは、全て蔵六が今まで作ってきたお地蔵様の頭だったのです。  くるしい、くるしい、くるしい・・・・・・  波と風の音とともに、お地蔵様たちの呻き声がぐわんぐわんと響くような旋律で伝わってきます。  くるしい、くるしい・・・・・・蔵六さん・・・・・・くるしいよ・・・・・・  たくさんのお地蔵様の頭に紛れて、お浜の頭もぷかりぷかりと海に漂いながら悲しげに呻き声を上げているのが見えました。 「ごめんよう、ごめんよう」  蔵六は海に向かって叫びました。蔵六は腕の中にしっかりとお地蔵様の頭を抱きしめます。 「ごめんよう、ごめんよう・・・・・・」  蔵六は泣いていました。泣きながらお地蔵様の頭を大事そうに抱きかかえ、そして、崖の向こう、暗い海に向かって震える足を踏み出しました。  次の日の朝、雨上がりの岬の崖の下で、漁師が蔵六の死体を発見しました。しかし、蔵六が最後に作り、腕に抱えていたはずのお地蔵様の頭は見つかりませんでした。  村人達は、気の良かった若い石工の死を悲しみました。お浜も、幼なじみだった蔵六の事故を悲しんで涙を流しました。そうです。お浜は生きていたのです。  あの夜、お浜は確かに岬の首切地蔵のところに願掛けをしに訪れました。しかし、お地蔵様の頭を持ち上げたは良いものの、女の力では崖の際まで運ぶことができず、おまけに雨も降ってきたため、諦めて地面にお地蔵様の頭を置いてそのまま帰ってきてしまったのでした。  お浜はやがて隣村の若者のもとへ嫁ぎました。お浜の願いは叶ったのです。  しかし、隣村に嫁いで一年ほどして、お浜は原因不明の熱病にかかり、十日ほど苦しんだ挙げ句に死んでしまいました。死ぬ間際、お浜は熱にうかされて「くるしい、くるしい、あたまがしずむ、うみに」と、うわ言を頻りに繰り返していたということです。  首切地蔵はどうなったかって? お地蔵様の頭を作る人がいなくなったので、首から上が無いままで放っておかれるようになってしまったということですよ。  けれど、雨風の強い晩に岬の傍を通りかかると、頭のある首切地蔵の姿を見ることができる、という噂が、誰が言うともなしに村に広がりました。その首切地蔵は雨に濡れながら「くるしい、くるしい」と悲しげに呻いているのだというのです。  そんな噂のせいもあってか村の人たちは首切地蔵を次第に気味悪がるようになり、やがてあの岬には滅多なことでは誰も近寄らないようになってしまいました。  お地蔵様の体の部分も長い間、雨風に晒されて削られ、今では他の自然の石とすっかり見分けもつかなくなっているということです。
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