上古の風景

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上古の風景

 阿礼はなぜそんな迂遠なことをしたのか。今にして、ようやく安万侶には理解できた。  言の葉に宿る言霊を人の目に見える象形にするには真名に頼るしかない。しかし、上古に真名はなく、言の葉はずっと純朴だった。その純朴さを伝えるには、言霊を心に感じさせるしかない。歌、祝詞、舞。その三法によって、阿礼は安万侶に伝えようとしたのだ。  天武天皇は、阿礼にただ暗記を命じたわけではなく、神代からの歴史を記憶として保存する使命を与えたのではないか。事実は、国史として残していく。しかし真実の言霊を心に残すことこそが、阿礼に課された使命であったに違いない。父が推測で語ったように、阿礼は諳んじる百万語の後継者を、猿女の里の一隅で待ち続けていたのだ。  安万侶は持つ筆に力を込めた。筆の穂の一本一本に魂を込めた。神がかりのような博聞強記を持たない安万侶は、真心を込めて真名の象形を描かなければ、阿礼の表わす言霊を受け取ることができないと思った。  阿礼の神楽から次々に言霊が伝わってくる。安万侶は山居に泊まり込み、言霊を真名に落とす作業を不休不眠に続けた。  一月余りして、阿礼の神楽は止んだ。  阿礼は眠り続けた。すべての重荷を解き放ったかのようないとけない寝顔だった。  そのまま阿礼の目覚めを山居で待ちたかったが、童子と童女は妙に大人びた口調で、里の舎に戻ることを安万侶に命じた。安万侶自身激しく衰弱していることを、童子たちに告げられてはじめて知った。  里の舎で数日身体を休ませた安万侶は、寝床を払うや文机に向かった。  阿礼の表わした言霊をすべて筆録した安万侶だったが、まだ完全ではなかった。上古の言霊をすべて真名に書き記したとしても、それが今の人に伝わらなくては意味がない。はるか後世の人に読み継がれていくものでなくては完成とはいえないのだ。  真名で上古の純朴な言の葉を表わすのは難しい。真名の持つ意味に当てはめてしまっては上古の言意(ことばこころ)にそぐわず、真名の持つ音だけを利用しては文字数がやたらと長くなってしまう。安万侶は苦心して真名の訓と音を織り交ぜて筆記し、注意書きを添えるなどして、全三巻をまとめ上げた。天地開闢から神代を経て、推古天皇に至る言の葉の宇宙である。  里の舎に籠もっていたのは二月余りであったが、その間、安万侶の世話をしたのはあの巫女だった。清楚そのものの娘で、よく気が利き、陽をたっぷり浴びた野辺の花のようにいつも明るかった。  筆を置いて舎を出るとき、安万侶はふと、手抜かりにもこの歳になるまでまだ妻帯していなかったことに気づいた。青年だったはずの自分はいつしか壮年の半ばを過ぎている。  京の屋敷に帰り、全三巻の体裁を整えた安万侶は、和銅五年が明けると、元明天皇に献上した。 「古き事の記を献上奉ります」  安万侶が描き表わした宇宙は、王宮の文庫に納められた。さっそく閲読を申請したのは舎人親王だった。  王宮の一室で三巻を開いた舎人親王は、額を強く弾かれたように背を反らした。頭を振って心構えを整え直した舎人親王は、安万侶が描き表した宇宙を、大汗を書きながら読み通した。  読み終えた舎人親王は身体を投げ出し、部屋の片隅で読み終わりを待っていた安万侶に陶酔した顔を向けた。 「私を上古の世界に放り出しましたね。私は今、現世に戻っておりますか」  と、最大の賛辞を送った。安万侶はにっこりと笑って、 「ちゃんと戻ってきておりますよ」  と、言った。  舎人親王は、国史編纂の典拠の一つに安万侶の三巻を加えた。それにより編纂作業を急速に速めた舎人親王は、さらなる検証と持統天皇までの歴史を加えたうえで、国史全三十巻を献上した。すでに一品に昇叙されていた舎人親王は、国史編纂の功績もあって知太政官事に就任し、太政官の首班に立った。時代は養老四年、元正天皇の御世である。  舎人親王が事業の仕上げに掛かっている間、安万侶は二人の恩人のもとを訪れていた。  一人は、祖父である。  春日山の山姿に護られた懐かしい地で、黒々とした影の祖父はまだ健全だった。農作業の手を休め、懐かしい笑顔で安万侶を迎えた。 「宇宙は描けたのか」 「はい。描きました」 「その中で、わしはどんな姿をしておるのだ。そなたの言葉で申してみよ」 「千里の(しるべ)、万里の(めぐみ)でございます」  祖父は空を見上げて何度か安万侶の言葉を呟いたあと、まぁよいか、と笑った。  安万侶は祖父の手を取り、そのまま平城京の左京、四条四坊の屋敷まで連れて帰った。  もう一人は、阿礼である。山居を訪れると、童子と童女が現れた。白い尻尾を隠しているはずの童たちだ。 「あなたは、もう主人に用はないはずだ」 「阿礼殿はどうなされていますか」 「主人がこの里に山居を構えたのは、ここが主人の出自である猿女の里だということもあるが、本当は、この里の北に(みやこ)が遷ってくることを予見していたからだ。里の近くに社があったであろう。今は丁度近くに京の朱雀大通りの羅城門が建っておる。阿礼と里の巫女達は、もう何年も前からこの地の穢れを払ってきた。これからは京に出入りする人々の安全を祈ることになろう」  邪魔をしてくれるな、と言われた気がした安万侶は、しかし悄然とはしなかった。阿礼と共に事業を成し遂げた満足感に些かの陰りもない。立ち去ろうとした安万侶の背に、 「この里に訪うべき者はべつにおるはずではないか」  そう笑い声を投げつけて、童子と童女は消えた。口元だけで照れた安万侶は、山居の板葺き屋根を見上げた。日の光が踊っている。木漏れ日の丘を、安万侶は下っていった。  さて、神八井耳命(かんやいみみのみこと)である。  なぜ弟に皇位を譲ったのか。神八井耳命のその真意は、阿礼の物語の中にあった。阿礼の唱える祝詞の中に、阿礼の舞う神楽の中に、その言霊が息づいていたのだ。  神八井耳命は、安万侶がそうであるように、言霊を強く感じる体質であったのだろう。だからこそ、母の歌に安危の境を知ったのである。  神八井耳命が震えおののいたのは、己に対して殺意を抱く手研耳命(たぎしみみのみこと)の恐ろしい姿に対してではない。言霊の力の恐ろしさに対してではないか。言霊は幸いを招くこともあるが、災いをもたらすこともある。その神秘の力から弟と一族を護るために、神八井耳命は神祇を掌るべき使命を感じたのではあるまいか。  神八井耳命が、弟の神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)と共に暴虐の兄を討った場所と伝わる片丘の高爽たる風景に立ち、今このときも言霊の生まれいずる大地を望みながら、安万侶は遙かな始祖の後ろ姿を見ていた。その背に向かって、私は真実を描けていますか、と問いかけた。   安万侶は霊亀元年に従四位下に叙せられ、霊亀二年に多氏の氏長(うじのみかみ)に任ぜられた。朝廷では民部卿を務め、父がそうであったように武人の能力が備わっていたらしく、蝦夷征討にも従軍したと伝わる。  多氏を主宰することとなった安万侶は、最後まで太の字を使い続けた。
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