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言霊が紡ぐ物語
神八井耳命は、始めて天下を治めた天皇と称えられる初代神武天皇の子息である。生母は正妃の五十鈴媛命であるから嫡男で、二代天皇となってしかるべき人物であったが、しかし実際に践祚し、二代綏靖天皇となったのは、同母弟の神渟名川耳尊だった。
初代から二代への皇位継承には、一悶着があった。神武天皇の男子は二人ではなく、神八井耳命に、年の離れた兄がいた。
手研耳命という。彼は神武天皇の第一皇子ではあったが、母が正妃でなかったために、神八井耳命にとっては庶兄となる。血統は嫡流ではないが、彼には、母方の血脈の軽重など問題にならないほどの実績があった。父である神武天皇がまだ地方の有力者の一人にすぎなかったころからその王業を支え、まつろわぬ勢力との戦いにも参加し、国が創られていく過程で多くの政務経験を積んだ。
神武天皇の崩御後、自分こそが父を継ぐべき正当者である、と手研耳命が主張したとしても、それは決して狂想ではなく、謀反とも言い切れない。新しい国に参画した豪族の中には、むしろ手研耳命の皇位継承を望んだ勢力もあったかもしれない。培った政治力に徳を添えれば、彼の名前が皇位系譜に記された可能性はある。しかし、手研耳命は仁義に悖った。父亡き後の権力の象徴である未亡人の五十鈴媛命を自分の後宮に入れ、目障りである異母弟二人を殺害しようとした。
庶兄の害意を知った神八井耳命と神渟名川耳尊の兄弟は、父の陵のことを済ませると、霊威を練り込んだ弓矢を密かに作り、手研耳命の隙を窺った。殺意を秘めた冷遇の時を兄弟がどれほどの長さ耐え忍んだのか、祖父の物語は明確には示さなかったが、重要なのは神八井耳命と神渟名川耳尊が千載一遇の機会を得た、ということだ。
神武天皇は京を畝傍山麓の橿原に置いたが、その政体をそっくり我が物にしようとした手研耳命は、それでもさすがに父を敬仰しており、偉大すぎる先皇の宮で起居するのはあまりに畏れ多く、畝傍山に連なる丘陵の一つに八尋の大室を建てた。
その大室の庭先に立ち、東北を見晴るかせば、川面を白蛇の鱗のように輝かせる狭井川の景色が視野に収まる。その辺に、神八井耳命と神渟名川耳尊の生母であり、手研耳命の妻とされた五十鈴媛命が暮らしていた。彼女は権力継承の象徴としての妻であったので、実際に愛されたわけではなく、後宮外の生活を認められていた。
ある日、兄弟が母の閑居をおとなうと、川辺から母の歌が聞こえてきた。
狭井河よ 雲立ちわたり 畝傍山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす
畝傍山 昼は雲と居 夕去れば 風吹かむとぞ 木の葉さやげる
兄弟は、青ざめた顔を見合わせた。母の歌は、手研耳命の兄弟への害意が、文字通り旦夕に迫っていることと、その害意の主が畝傍山の大室で、今、雲間に遊ぶような気の緩みにあることを教えていた。
兄弟は霊威を秘めた弓と矢をそれぞれの衣の下に隠し、手研耳命の宮へ急いだ。その宮の護衛が無人であったはずはないが、権力者の側でこれからの春を謳歌しようと、雲と戯れるようなうわの空にあったことは確かである。誰何されることなく手研耳命の居室の扉を開いた兄弟は、雲上で天女と遊んでいるような夢を見ているらしい庶兄を見た。
神渟名川耳尊は衣の下から矢を取り出して、兄の神八井耳命に差し出した。しかし、神八井耳命はその矢を受け取らず、反対に、弟へ弓を手渡した。兄の無言の意思を察した神渟名川耳尊は、弓に矢をつがえ、引き絞って、放ったのである。こののち、神渟名川耳尊は二代綏靖天皇となり、神八井耳命は神祇を掌る臣として弟を支えることになる。
祖父の物語では、神八井耳命は事に臨んで手足が震えて矢を射ることができず、その失態を恥じて弟に皇位を譲ったという。その光景は確かに存在したのだろう。しかし、神八井耳命は、何を見て手足を震わせたのだろう。その時を逃せば自分を殺すに違いない庶兄の恐ろしい姿を見たのだろうか。
重ねてのことになるが、安万侶は、多氏の先祖となった神八井耳命から皇位を伝えてほしかったのではない。神八井耳命の失態の弁明を聞きたかったのでもない。運命の瀬戸際で佇立する神八井耳命の心に映った風景を、言霊で描き表わしたいのだ。
神八井耳命の真意が知りたかった。そこには祖父の語らぬ物語があったはずだ。たとえば、壬申の内戦に巻き込まれ、言葉もなく死んだ安万侶の母のように。
人には、物語がある。神代の世界に湧き出で、今に至る人々の物語を言霊で奏でたい。安万侶はその志望を祖父に伝えた。
祖父は、それは言霊で宇宙を描くことであり、その志望を成就させるには星の数ほどの真名が必要だ、と安万侶を諭した。安万侶は、それなら星の数ほどの真名を学びます、と言って祖父を驚かせ、呆れさせ、そして喜ばせた。
春日山の山影に庇護されるようにして、真名を学び、言霊と語り合う幼年時代を、安万侶は静かに過ごした。
成長するにつれ、安万侶は、どうやら祖父は遙か昔に海を渡ってきた人々の末裔であるらしいことを知った。それも指導者的立場にあった人の血を受け継いでいるのではないかと、安万侶は当て推量した。なぜなら、祖父は他の農夫が知らない農業の秘奥に至っている様子であったし、汲んでも汲んでも湧き出でる甘泉のような真名の知識を持っている。
渡来人といえば、秦氏や東漢氏などが天武政権でも強い影響力を持っている。祖父がどの氏族に連なる渡来人であるのかはわからない。京の権門貴族にもひけを取らない知識量を持ちながら、なぜ鄙びた名もなき村で人知れず女児を育て、今、その女児の産んだ孫に静かに真名を教えているのか。もしや祖父が名を告げれば、京に屋敷を構える秦氏や東漢氏の顕位にある人が慌てて駆けつけてくるのかも知れない。
人の数だけ真実があることを、祖父の語る昔話でおぼろげながら理解した安万侶は、祖父という現象に絡みついた真実を解きほぐすことは求めなかった。朝に田畑を耕し、夕べに孫に真名を教授する。そんな静寂な日々の祖父から幸せを感じ取ることができるというひとつの事実で安万侶は満足だった。それでも、戯れ心に問いかけたことがある。
「京で告朔をなされる貴き方も、令を解釈し、運用なさるのに一方ならぬご苦労があると聞きました。祖父さまが京にお上りになられたら、さぞ重宝されるのではありませんか」
天武天皇は飛鳥の雷丘の南に新しい京を築き、その大極殿に親王、諸王、諸臣を召し集め、詔して、律令の編纂を命じていた。真名を駆使し、この国の民情に合わせた律令を制定する作業に取り組む人々の苦心の様が巷間に伝わり、祖父に連れられて市の混雑に立った安万侶の耳に風聞として届いたのである。祖父は穏やかな表情ながらも、安万侶の問いが醸し出す期待を秘した幻想をすっかりと拭い去るような口調で諭すように答えた。
「よいかな、安万侶や。言霊というものは、そこに目的を背負わせてしまうと
溌剌さを失ってしまう。律や令や式は、人の営みを一つの方向に整えたり、禁じたりするという目的を持っている。その言葉は人には届くが、天には届かぬ。言霊に重さを持たせてはいけない。天に届く軽みの言霊だけが、千年経っ
ても虚空に響き残るのだよ」
祖父はそう言って、空の一点を指さした。祖父の指先の青空を見上げた安万侶は、耳を澄ませてみた。古昔の人の声を聞いてみようとしたのだが、風と草のそよぎや小鳥のさえずりしか安万侶の耳はとらえなかった。それを祖父に言うと、その音韻の中にこそ、古昔の人の言霊は宿っているのだよ、と笑った。
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