父子の暁(とき)

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父子の暁(とき)

 祖父と影を並べぬ旅路は初めてのことだ。多くの言葉と、その意味を象形に表わした真名を教わった。これからは、目に映る全ての森羅万象を、自らの言葉で表さねばならぬのだ。  矮屋から(みやこ)のある西へと向かう道は、稜線をうっすらと夜明けの白さに縁取られた春日山を追っていく道である。やがて西麓の春日離宮の板葺き屋根に冬の弱い日差しが当たる様を目にする頃、安万侶の前に広々とした大和盆地が開く。  川と水田が多い。この朝の風景は冬の枯れ色に沈んでいるが、初夏ともなると、川面や水田が陽光を受けて、盆地全体が鏡のように光り輝く。その光景の眩しさを安万侶はよく覚えている。  盆地を南北に縦貫する道が四すじある。西から下ツ道、中ツ道、上ツ道、山の辺の道である。父のいる飛鳥の京へ向かうには、中ツ道を真っ直ぐに南下すればよい。だが安万侶は、山地を縫う山の辺の道を選んだ。もっとも東寄りの道で、初瀬川の流れを見るあたりで西に転じる行程となる。  大和盆地を取り巻く山並みは、たたなづく青垣山、と歌に詠まれる。山の辺の道は、青垣山の山足を跨いでいくような道だ。左右に累代の大王の陵が多い。古いものは葺石(ふきいし)の間から長い草が伸びているが、新しいものは陵の霊廟の白木が朝日を照り返している。  守陵(はかもり)の集落から炊煙が細く立ち昇っている。  道を通りゆく風は木枯らしだが、その寒さの中にさえ、上古の人の声が聞こえるような気がする。安万侶が山の辺の道を選んだのは、言霊の跡を拾って歩きたかったからだ。  やがて冬の風景に、飛鳥京の諸宮高楼の群影が浮かぶ。壬申の内乱に勝利した天武天皇が、兄である天智天皇の大津宮から飛鳥に京を移して、すでに十年以上が経っている。  祖父から教えられた父の屋敷を、京の道行く人に細部を確認しながら訪ね当てたとき、冬の日は早々と落ちて、鼓星と昴が青々と瞬いていた。  門前で案内を請うと、出てきた男は怖ず怖ずとした顔を見せた。星がさやぎ始めたこんな夜更けに門を叩くのは、悪鬼か妖魅の類いではないかと恐れたのだ。しかし、門前に立っていたのは、いたいけながら衣帯の整った童子であった。帯びた剣の把頭(つかがしら)にはめ込まれた玉石が、それこそ星屑のように輝いている。  父を訪ねてきた旨を告げると、安万侶はしばらく門前で待たされた。門番の男は迂闊者であったが、屋敷を取り仕切っている家令は安彦の来訪を予期していたらしく、主人の血を引く童子を丁重に奥へ通した。安万侶に美膳を勧めつつ、主の部屋へ使いを走らせた。  安万侶の目の前に、大柄な男が座った。いかにも武人らしい精気の漲った顔から、父である、と告げられても、安万侶としては格別の感情を起こしようがなかった。そもそも、多品治(おおのほんじ)という人を、安万侶は知らない。それが父の名であると知っても、胸中に広がるものがなかった。  父とは初対面ではないが、一会は壬申の乱の最中、父の陣中のことであったので、安万侶の記憶には残っていない。だが、父には蘇る情景があったようで、無骨張ったまなざしを少し和らげた。  父である多品治は、このとき、姓は朝臣、冠位は小錦下で、唐風に呼称すれば大夫となる。領地を持った貴族という立場だ。室内のおぼろな灯りでもはっきりと分かるほど顔や肌が焼けているのは、この年、天武天皇に命じられて諸国を巡り、国境を定める事業に奔走していたからだ。  嬰児以来の空白が間に横たわれば、父子の会話というものは生まれにくい。安万侶は辛うじて、衣帯と鉄剣の礼を述べることを忘れなかった。 「そなたの祖父から聞き及んでおろうが、王宮から選抜された録事と同道して難波津に行ってもらうことになる。そなたに特段の役割があるわけではないが、大事な仕事がないわけではない」  父は微妙なことを言った。行儀の良い姿勢のままの安万侶を、父は首を傾げて眺めた。 「何も問わぬのかな」  安万侶の心の強張りを慮った父は、家人にもあまり示さぬ優しさを声に込めた。 「問うても、今は何もわかりませぬ。大事なお仕事の何が大事であるかも分からぬでしょう」  風景を伴わぬ言葉はただ心を惑わせるだけだと心得ている安万侶である。だがその心構えを知らぬ父は、我が子の率直な答えに愉快げに笑っただけだ。 「委細は、明日、家令から聞くとよい」  父は裳を払って立ち上がった。父子の対面は、ここまでである。  おぼろな灯りひとつの室内に残った安万侶は、自分の心地に潤いが染み込んでいく音を心耳で聞いていた。他人は僅かな時間と言うだろう。しかし、生まれて以来の無言を過ごした父子には、この僅かな会話でとりあえずは十分だった。  父の言葉を思い起こしてみる。言葉そのものでなく、その音韻に含まれた父の心情を感じ取ろうとした。  短い言葉だったが、ひと言ひと言に膨らみのある響きがあった。父が誰にもそのような言霊を向ける人間であれば、家人はさぞ幸福だろうが、おそらくそうではあるまい。父の居住まいで分かる。父は厳格で、甘えを許さない人だ。しかしその父が安万侶へ向けた言葉に膨らみを持たせたのは、そこに母との一夜の情景を含ませたからだろう。そうであるなら、物語を残さなかった母のほんの一時が垣間見える。少なくとも父と過ごした一夜、母は幸せであったに違いない。祖父にしか抱いたことのなかった肉親への愛情が、母と父に広がり、その温かさが安万侶を満足させた。  その夜はその室で寝具を借りた安万侶は、夜明け前、屋敷内の慌ただしさに目を覚ました。耳を澄まして、家人の声を拾う。どうやら父が、多くの供を揃えて外出するようだ。あとで知った話では、国境を定める事業がまだ完了しておらず、父は引き続き諸国を巡らなくてはならないとのことだった。多忙を極める父の僅かな休息時に、邸を訪れることが出来たのは幸運であった。  衣帯を整え終えた頃、家令が姿を見せた。彼は丁重に安万侶を別室に導き、そこで朝の膳を勧めてから、 「実は」  と、切り出した。  家令が話した内容は二つである。一つは、王宮の録事が間もなく屋敷の前を通るので、その一行に合流すること。これは、単純に頷けた。  二つ目は、皇族の川島皇子と舎人皇子に仕え、難波への道中を警固すること、であった。  二人の皇子は昨夜から屋敷内の客舎に滞在しているのだという。これには、丸くなった目がしばらく元へ戻らなかった。  警護をせよと命じられても、ようやく少年期を終えようかという童子である。誰から、どう警護せよというのか。授けられた鉄剣が警護のためのものであったとしても、安万侶はその抜き方すら知らない。  安万侶は脇に置いていた剣の鞘を撫でた。家令は安万侶の戸惑いを解消せぬまま朝の膳を急かし、手を引くように二人の皇族がいる客舎に連れて行った。 「これは眉目よい護衛が参られたものだ」  意表を突かれたような顔で安万侶を迎えたのは、盛年の貴人であった。家令から川島皇子であることを教えられた安万侶は丁寧にお辞儀した。 「さすがに多氏。護衛にも典雅さがある」  川島皇子は大らかに笑った。皮肉を言っているのでないことはすぐに分かった。佳い声をしている。温厚な人柄と度量の広さがある、と安万侶は思った。  安万侶はもう一人の貴人の名を教えられ、その人に向かっても丁寧にお辞儀した。  その貴人は、名を舎人皇子という。明眸を備えた利発そうな顔をしているが、歳はずいぶん若い。安万侶よりも若いだろう。十歳にもなっていないのではないか、と安万侶には思われた。  舎人皇子は無言だったが、安万侶の礼儀に対して、爽やかな笑顔を見せた。  事の詳細は分からぬものの、雲の上の人に仕えなくてはならない不安と緊張が、二人の貴人の何気ない振る舞いで霧散した。  やがて王宮の録事が間もなく至るという報告が入り、川島皇子と舎人皇子、安万侶、家宰は屋敷の門の前に立った。  川島皇子は天智天皇の皇子であり、舎人皇子は天武天皇の皇子である。飛鳥の京における最高位の血脈を持った貴人と冬空の下で並び立つという光景が、安万侶にはどうにも不可思議だった。不可思議と言えば、二人の皇子はそれほどの貴人であるにも関わらず、従者は一人もいない。それどころか、牛車も用意されておらず、皇子は難波津まで足で行くのだという。  王宮の録事の一行は、多氏の屋敷の前まで来ると、二人の皇子に対して丁重な礼儀を見せた。本来、皇子を待たせるなど大不敬であるが、川島皇子も舎人皇子も、そんなことは全く意に介さぬ長閑な表情をしている。  (とき)録事の長は、二人の皇子と安万侶が合流することを予め了解していたらしく、家令と短い言葉を交わしたあと、皇子を中心に囲むようにして再び出発した。  結局、二人の皇子の護衛をしているのは録事たちであり、鉄剣を提げた安万侶は腰の重さによろけるような足取りで最後尾を歩いた。  昨日の朝まだき、春日の山影に隠された矮屋で目覚めた自分が、今日、最高位の貴人と飛鳥京を歩いている不思議さを心の中で真名にして、冬にしては明るい空に書きつけた。その不思議さの答えは、門の前で録事を待つわずかの間に家令から聞かされていたが、まだ得心したとはいえない絵空事の遠さだった。
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