猿女(さるめ)の人

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猿女(さるめ)の人

 安万侶は、すでに壮年期を迎えている。  このころ、かつて父の葬儀で舎人親王がこぼしていた愚痴は、安万侶自身の愚痴となっていた。  天武天皇が国史編纂事業を勅命してから、すでに二十年以上が経過している。帝紀や王宮の記録、諸豪族に伝わる始祖伝説、社の由緒、寺の縁起から個人の手記まで、典拠とするべき資料は全て揃っている。その量は膨大で、数百万語に及ぶだろうが、時代毎の区分けや諸記録の整理、関連付けの作業は終えている。あとはそれぞれの断片を時代の流れに沿って再構築するだけだが、その作業が進まない。  国史編纂事業は、神代から連綿と続き今の世に至る歴史を整理整頓し、皇室や各氏族の歴史上の位置づけを詳らかにし、現朝廷の正当性を証明するための一大国家事業である。そのため、どうしても政治色が濃くならざるを得ない。受け継がれてきた言霊を、そのまま真名に書き表すことが許されない伝承もあるのだ。  しかし、まったく荒唐無稽なものはさておき、真名に書き表わすことが許されない伝承にこそ重要な言霊が息づいていることがある。あたかも木組みに打ち込む楔のようなものだ。どれだけ壮麗な社殿寺院を建てたとしても、楔が強く打ち込まれていなければ、一吹きの風に倒壊する。見栄え良く百万語を書き連ねても、そこに真実の言霊が打ち込まれていなければ、編まれた真名の宇宙は、いずれ崩壊する危険を孕み続ける。 「これは我が描くべき宇宙ではない」  安万侶は、そう直感した。  川島皇子が薨去して以来、国史編纂事業は忍壁親王が主導した。この人は天武天皇の皇子で、品位は三品ながら文武天皇の絶大な信任を得ており、大宝律令の編纂を委ねられたほか、知太政官事として太政官を統括する地位に就任していた。そのため、その政治力は圧倒的で、二品として品位は上席にありながらも、舎人親王は自分の信念、真名の真髄を忍壁親王に押し通すことができなかった。  忍壁親王は間もなく薨去するが、それで事業が進んだわけではない。中心を失ったことで、会合での議論は散漫に拡散していくだけだった。  舎人親王は国史の本文に一書(あるふみ)として他の有力な伝承を添え書きする手法を用いて少しずつ事業を進めていったが、舎人親王がいかに有能で良識な人物であったとしても、それだけでは事が進まない朝廷には限界がある、と安万侶は痛感した。舎人親王は信愛し、敬仰すべき人物だが、この人も朝廷の殿上人である以上、朝廷が張り巡らせた限界の枠から抜け出すことができないのだ。すでに五位の位階にある安万侶も殿上人ではあるが、身はそこに置きつつも、心を解き放つことはできる。皇族である舎人親王には、それすらも許されない。  ある日の会合が終わった夕まぐれ、濃い青色に染まった舎人親王は、帰宅しようとする安万侶を見つめた。舎人親王の目の奥の言葉を心で受け取った安万侶は、舎人親王の紡ぎ出されない言霊を感じ取った。  しばらく会合への参加を見合わせることにした安万侶は、父の言葉を脳裏に蘇らせた。稗田阿礼の空想の姿が心地に投影された。  多氏の家令はすでに代替わりしていたが、前代の家令から聞いた話では、父は今際の直前に、 「少しは親らしいことをしてやれただろうか」  と、呟いたという。安万侶を指しての言葉であったのかどうかは分からないが、明らかであるのは、自分が子らしい孝行を父に向けなかったという事実である。薄情とも思えた父の処遇を恨んだことがないと言えば嘘になる安万侶には、その事実が悔いになった。  自室内に籠もって悔恨した安万侶は、数日して、朝日の下に旅支度の姿を見せた。 「しばらく留守にするぞ」  安万侶は、新しい家令に告げた。父が死去して以来、多氏は安万侶を中心に据えつつある。五位の位階は国司級であり、このとき、多氏のなかで安万侶を凌ぐ地位にいる者はいない。 「いずれへ参られますか」  当然、家令は尋ねた。その家令の目に清々しい笑顔を注ぎ込んだ安万侶は、 「稗田阿礼を探しにゆくのさ」  と言って、その人物を知らない家令を困惑させた。  阿礼は、死を目前にした父の、夢の中の住人なのかもしれない。しかし、その霧霞のような人物を探し求めることが、父への供養にもなる、と安万侶は考えた。   屋敷を出た安万侶は、下ツ道を北に向かった。懐かしい道だ。この道を、川島皇子と舎人親王の二貴人と影を並べて難波津まで旅した日の光景が、初秋の景色に重なった。  京を北に出でて猿女(さるめ)の里を訪ねよ、と父は言った。  朝もやの道を行く。耳成山を右手に通り過ぎていく。  もやが晴れ、秋の空に百舌が飛び、穏やかな日射しが野辺の秋桐を照らす。やがて夕もやがたなびく頃、小高い森を濠で囲んだ集落が黒々と現れた。近くに、古い社がある。年若い巫女が歩いてきたので、安万侶は呼び止めた。 「ここが猿女の里ですか」 「そうです」  美しい声をしていた。頬に上気を残しながら少し疲れて見えるのは、社で神を降ろす儀式を終えたばかりだからかもしれない。猿女の里は、巫女の里でもある。 「畏くも飛鳥浄御原宮で天の下を治められた天皇の御代に、王宮に舎人として仕えておられた稗田阿礼という人を知りませぬか」  安万侶が重ねて問うと、巫女は少し困ったように小首を傾げた。 「お名前は存じませんが、むかし(みやこ)で仕えていたという方が、丘の西に山居を構えておられます。母から聞いたことです。わたくしはお会いしたことはございません」 「ご母堂様は、その人のことについて、他に何かおっしゃっておられませんでしたか」  巫女はきれいな眉を寄せてしばらく考えた後に、 「難しい人だと申しておりました」  と、言った。  安万侶が礼を述べると、巫女は、まるで神隠しのようなおぼろさで、里を包む夕もやの中に消えていった。そういえば、この里の周りのもやだけ、赤紫の色味がいっそう強いような気がする。巫女の残影を追うように、安万侶も夕もやのなかに身を入れた。  この里は、古い環濠集落だ。伝承によれば、天細女命(あめのうずめのみこと)の血を引く一族の里だという。  集落から森に入ると、小径があった。なだらかに登っていく径はよく整備されて歩きやすかった。里の外れに向かう径だが、人の往来はあるということだ。  夕もやがますます濃くなってくる。宵闇を含んで濃紫となった視界に灯りが浮かんだ。そこまで進んだ安万侶は、灯りの下に板戸を見つけた。  板戸を叩いて案内を請うと、しばらくして戸が開き、童子と童女が出迎えた。腰をかがめて二人の童に目線を合わせた安万侶は、名を名乗り、来意を告げ、取り次ぎを頼んだ。 「主人はおりますよ。どうぞついてきてください」  日が沈んでからの来訪を疑いもなく通され、安万侶は逆に困惑した。  建物は、山居というには立派な広さを持っていた。森の丘の外れにひっそりと建てたわけではなく、丘の一部を造成してこの屋敷を建てたのだろう。それはつまり、ここの主人は京を逐われてこの地に逃れ来たったのではなく、この地のこの屋敷を、時の権力者から与えられたのだろう。  真新しい建物とは思えぬのに、屋内には木の清々しい香りが満ちていた。あたかも、建材とされた木がまだ呼吸を失っていないかのようだ。  通された一室に、一人の人物が座っていた。室内は暗く、二つの燭台だけが闇を払っている。安万侶はここでも名を名乗り、来意を告げた。しかしその人は、目を閉じたまま、何の反応も見せなかった。 「畏くも飛鳥浄御原宮で天の下を治められた天皇の御代に、舎人としてお仕えになられた稗田阿礼様でございますか」  と問うても、反応はない。父の名を告げて、その人はようやく瞼を開けた。 「品治殿の…」  美しい声である。唇は赤く、頬は白く、吸い込まれそうな漆黒の目に星のような瞳。 「里の人以外は誰も通してはならぬと申し付けていたのに、あの子たちはいたずらをしたのですね」  その人がつく吐息にさえ、安万侶は心の芯がしびれるほどの甘美を覚えた。 「あなた様は、帝紀はもちろん、上古諸事のすべてを暗誦なされると父から聞きました。どうかその物語を語っていただけませんか」  真摯な心で、安万侶は頭を下げた。依頼の言葉は短いが、この人が言霊を解する人であれば、思いは伝わるはずだと安万侶は思った。しかし、その人は沈黙をつづけ、瞼は再び下ろされた。  この人が稗田阿礼なのかどうかは分からない。それどころか、女性なのか男性なのかすら分からない。容姿の艶やかな美しさを見れば女性と思いたくなるが、もしも舎人として仕えた人物なのだとしたら、男性であるはずだ。しかしここは巫女の里である。それに、阿礼が天武天皇に仕えていたとき、歳は二十八だと父は言った。とすれば、今このとき、阿礼は五十九歳でなければならない。そう考えれば、この屋敷の主人であり、目の前の薫るような若々しい美しさの人が阿礼であるはずはない。しかし、阿礼であるという確信が安万侶の中にあった。  「少し難しいやつだがな」   父の言葉が蘇り、心の中でゆるりと響いた。  その日から、猿女の里に、安万侶は頻繁に足を運んだ。美しい主人は不在のときも多かったが、会うことができても、ほとんど言葉をもらうことはなかった。初日に安万侶を迎えてくれた童子と童女はその後に姿を見せることはなく、白い子狐と白い子狸が物陰を走るのを見かけるだけになった。
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