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変化した怪談
私は紗栄子の隣に腰を下ろした。上司が丹念に手入れをした庭を眺めながら、私たちはおよそ見合いとは程遠い話題に花を咲かせている。
本来なら、互いの趣味や仕事の話しなどの無難なことを話すべきなのだろう。もっと深入りすれば、将来的にどんな家庭を築きたいかとか……。
そこまで考えられるほど、私は気の利いた男ではない。趣味らしい趣味も持ち合わせていない、どこにでもいるつまらぬ男に過ぎない。
そんな私にとって、今の状況はありがたいものだった。
不穏な話題であれ、この若い女性と会話が途切れることがないのだから。
話すことがなくなれば、適当に天気についてなど話そうと漠然に考えていたが、その必要はなさそうだ。
「怪談というものは、変化していくと言います。人から人へ伝播し、時代の流れに合わせて付け加えられたり、削ぎ落とされたりしながら変わるのでしょう」
「及川さんの仰る通りだと思います。私、怖い話や怪奇なものを好む趣味はないんです。嫌いなわけじゃあないんですよ。でもね、こぞって収集したいとは思わないんです。そんな私でも、何故かこの話しだけは妙に好奇心が揺すぶられるんですよ。何故かしら……きっと子供の頃から当たり前にあったものだからかもしれませんね」
女学生が恥じらうかのような小さな笑みに、私もつられて笑ってしまった。
不思議なことに、この紗栄子という女性と話しているだけで私は自然と笑えるのだった。
「子供たちは、どんな話をしていたのですか?」
私の問いが、雀の小さな鳴き声と混ざり合った。不穏な話題なのに、牧歌的な風景の中に身を置いていることが、少しだけ滑稽に思えた瞬間だった。
「大した変化ではないんです。子供たちは、“赤い外套の男に穴蔵に連れ込まれるぞ”と言うようになったんです」
「子供が言うのですか?大人が子供に言い聞かせるような話しだ」
「そうでしょう?だから、なんだかおかしくって。まあ、赤い服だったり赤い復員服だったり、噂は様々なんですけどね。朱山村では昔から子供が山でいなくなる……なんて話しもありましたから、よくある子供の遭難話しと結び付いて作られたのかなって」
子供は物語を生み出す天才だ。どんなところからも話を引っ張り出し、思うがままに空想し物語を作り上げる。それは大人にはできない、子供の特権だ。
私は見たこともない山村の子供たちの発想力に感心してしまった。
「まるでハーメルンの笛吹き男ですね」
「そうですね。“まだらの服”じゃあないですけど、おかしな格好は似たり寄ったりです」
「しかし、子供たちがそんな話しをさるのには何か根拠があるのではないですか?“赤い外套”や“赤い服”というのが、随分と現実的にも思えます。実際にそういった人物が村の中にいたとか……」
「私は見たことありませんが、子供たちの中にはいたかもしれません。丁度その頃は、山を越えた先にある廃村への移住者も増え始めた時期だったので、そっちの人が朱山村に来ていたのかも」
「移住者? 廃村にですか?」
「えぇ……昔からちらほら居たんですがね。いつから住み始めたかは知りません。確か、加土間村と自分たちで名前を付けていました。みんなして羽織りに蓮花の刺繍をしてて、少し変な雰囲気の人たちでしたよ」
確かに、それは奇妙だ。
山間の村が自然災害や人口減少で廃村になるのは珍しくない。そこに他県から新天地を求めて移住する者もいるだろう。特に日本の敗戦が濃厚となった時期なら、東京から出て安全な田舎に避難したいと思うのも当然だ。
それにしても、揃いの刺繍を施すのはただの洒落には思えない。女学生ならまだしも、大の大人がそんなことをして楽しいだろうか。
私は難しい顔をしていたらしく、紗栄子は私を覗き込んでおかしそうに笑った。
「まあ、そんな難しいお顔して」
「変でしたか?」
「そんなことありません。歳上の方にこんなこと言ってはいけないでしょうけど、なんだか可愛らしくって」
あどけなさの残る若い女性にそう言われると、途端に照れてしまう。
私は照れを隠すように顎を掻いた。
「子供たちがそんなことを話していたら、大人は心配したでしょう」
「えぇ、勿論。だから、村の若衆たちがその穴蔵に行ったことがあるんです」
「あの不気味な人間らしき何かがいた?」
「そう。でも……そこには誰もいなかったんです」
なるほど。これだけ聞くと、確かに怪談めいた終わり方である。
かくして朱山村の山に潜む不気味な生き物は、子供たちの間で不確かな存在のまま語り継がれるわけだ。
佐原なら喜びそうな話題だ。
佐原……彼は今、どうしているだろう。私は頭の中に、あの人懐こい笑顔を思い浮かべた。今はきっと、あんな風に笑えていないだろう。
ふと、控え目に襖の開く音が聞こえて私たちは二人揃って振り返った。
顔中に不安そうな表情を貼り付けた森谷夫妻が並んでいた。
「ど、どうかね……仲良くやっているかね?」
「娘が失礼なことを仰ってませんか?」
なんとも子煩悩な夫婦だ。
私は部屋に上がり、畳の上に正座をし頭を下げた。
「森谷さん。紗栄子さんとの件、前向きに考えさせてください」
私の言葉に、夫妻は抱き合って喜びの声を上げていた。
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