殺された女神

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殺された女神

「これは取り調べでも何でもなく、単純な俺の好奇心で伺いたいのですが……李浩文さん。紅英さんとはどういった経緯でご婚約をなさったんですか?」  芳賀さんも随分と白々しいことを言う。個人的な好奇心からの質問ではない。彼にとってこれは、重要な情報収集だ。世間話などではない。  しかし、李浩文はそこまで考えていないようだ。警戒する素振りなど見せず、流暢な日本語で語り出した。 「私が楊文俊さんの仕事の手伝いをしたことがありまして、それがご縁で楊家に出入りするようになりました。彼女と出会ったのもその頃です。楊宏偉さんと楊文俊さんの勧めで、私は紅英と婚約しました」 「なるほど。あんな美人を嫁さんにできるとは、幸運ですね。同僚に自慢できる」 「何を仰いますか!紅英のような女性を、そんな俗物的に扱わないで頂きたい!」  声を荒げる李浩文に、芳賀さんは小さく「ほう……」と呟いた。  彼は恐らく、この反応が欲しかったのだ。李浩文は楊宏偉より感情的だ。何かを引き出すには、そういう人物の方が都合が良い。俺は無言で茶を啜り、反応を観察することに徹した。 「自慢できる?そんな飾り物のように扱うものですか!」 「これは失礼。愛する女性をそのように扱うことはできませんか。いやはや、あんたは紳士的な男ですな。俺の元女房も美人ですが、若い頃は自慢してたもんです。良い女を妻にできた自分を誇示したくてね」 「芳賀刑事、あなたは何も分かっちゃいない。大白痴(ダーバイチー)だ。紅英をそこらの女と一緒にしてもらっては困る。彼女はただの女ではない。美しく知性に溢れた、神々しい女性だ。彼女は女神だ。神聖なものをそのように扱うなど、無礼極まりない!」  俺よりずっと歳上の相棒は、なかなかの役者だ。心にもない無礼なことを吐き出して、李浩文から生身の声を引き出した。満足したのか、芳賀さんは頭を下げて謝罪の言葉を述べる。不快さを隠すことなく、李浩文はソファーの背凭れに体を預けて大きく息を吐いた。  いつの間にか、楊宏偉が新しい煙草に火をつけていた。ぷかりと煙を吐き出し、好好爺(こうこうや)のような笑みを浮かべている。 「浩文、そんな大声出さんでも……すみませんね、刑事さん。驚かせてしまって。でも浩文の言う通り、紅英はそれはそれは美しい女神そのものだった」  楊宏偉は俺たちに向けて言っていたが、眼差しはどこか遠くを見つめるように細められていた。光の中に立つ神聖なものを見つめているかのような、そんな目だった。 「楊紅英のどこに神聖さを感じているんですか?俺、そういうのに疎いんでよく分からないんですけど……」  無知を隠さず、思ったことを口にした。馬鹿丸出しの質問で咎められるかと思ったが、芳賀さんも楊宏偉も俺を蔑むことはなかった。 「どこが、か……難しい質問だ。紅英は幼い頃から、そこらの娘とは違う空気をまとっていた。異質だが、人を寄せ付けないわけじゃあない。それどころか、人を引き寄せる吸引力があった。 整った白く綺麗な歯に、黒々とした髪、形の良い手足、湿った舌……すべてが整っていた。完璧だった。  お若い刑事さん、神聖なものというのは、なかなか言葉にしづらいものなんだ。それは説明するものではなく、感じ取るものだからだ。人々はあの子の前に出ると、自然と頭を下げたくなる、崇めたくなる。楊紅英は女神と呼ぶに相応しい存在だったのさ。  紅英は……かつて私が異国の地で見た女神に似た空気を持っていた。あの子は女神のままでいるべきだった……」  俺は生きている楊紅英を見たことがない。だからこの老人の言っていることに説得力を感じることはできなかった。  唯一言えるのは、孫娘と婚約者を崇める二人の男の目に宿る光が、薄気味悪いということだけだ。  シュッとマッチを摩る小さな音がした。芳賀さんが煙草を咥え、白い煙を吐く。 「話しを変えましょう。紅英さんの遺体と一緒に発見された子供についてです」  俺は胸ポケットから一枚の紙を取り出して机の上に広げた。  精巧に描かれた少年の似顔絵だった。対面する二人の中国人は身を乗り出してそれを見つめた。 「写真をお見せするわけにはいかないので、似顔絵で我慢して頂きたい。これは発見された子供のバラバラ死体を元に描かれたもんだ。この少年は体を解体され、紅英さんの割かれた腹の中に詰め込まれていた。この少年の身元は未だ不明。お二人は、この少年に見覚えはありませんか?」  濃い鉛筆で描かれた子供の顔は、まだ十歳ほどの幼い少年らしいものだった。なかなか可愛い顔立ちだが、目元のほくろが未成熟な色気を放っている。  彼がどんな声を発し、どんな風に笑っていたのか……それを知ることはできない。  哀れな少年の似顔絵を眺める二人の表情は真剣だった。 「いや……見たことのない子供だ」 「近所にもこういう子供はいないねえ。名前も分からないのかね?」 「はい。分かりません。年齢が十歳くらいというだけで」  俺の言葉に、老人は小さく唸った。 「紅英さんが養子を取ろうとしたとか、そんな話しもありませんか?」 「そんな話しは聞いたことがないねえ。そのつもりなら、文俊や浩文に相談くらいはしたと思うよ」 「あの、例えばです。例えばですが……隠し子とか……」  俺の放った言葉に、李浩文は怒りを露にして机に拳を叩き付けた。 「そんなことあるはずないだろう!そんな隠し子などいない!」 「し、失礼しました。俺の失言です」  深く頭を下げると、李浩文は舌打ちをして足を組んだ。確かに今のは不味かった。  嫌な空気が流れている。芳賀さんは気にしていない様子だが、俺はこの息苦しさが限界だった。 「この子も、死んでしまったんだねえ」  沈黙を破ったのは楊宏偉だった。ゆったりとした声が広い応接間に響く。煙草という俗物的なものを手にしてはいるが、仙人のような浮世離れした雰囲気を持っている老人は、静かに紡いだ。 「はい。まだこんな小さいのに……可哀想なもんです」  俺が言うと、老人は大きく頷いた。 「安達さんと言ったかな?死は確かに悲しい。だが、時として死はとても重要なものになる。死は悲しいばかりではないのだよ。この子はね、きっと意味があって死を迎えたんだ。無駄ではない。女神の腹にいたのだから、きっと神性を持って復活する」  こいつ、何を言っているんだ……?  ぞわりと背中が粟立つ。俺は思わず芳賀さんへと視線を向けた。彼は煙草を咥えたまま、吸い込むことも忘れ睨むように老人を見つめていた。  呆然とする俺たちなどお構い無しに、楊宏偉は続けた。 「なあ、刑事さん。生きながらにして人間が神になるには、どうすれば良いと思う?」
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