50人が本棚に入れています
本棚に追加
三流カストリ記者の取材
「だから、あたしも詳しくないんだって。人から聞いた話しばっかだよ」
「それでも良いんですよ、節子さん。聞けるだけでありがたい! 僕は節子さん無しじゃあ生きていけませんよ。あなたから話しを聞かなきゃ、記事の一つも書けやしないんですからね」
闇市の飯屋の奥で、私はパンパンガールと若者のやり取りを眺めていた。
端から見れば、売春婦を口説き落とそうと躍起になっている世間知らずの若者にしか見えない。
しかし、話している内容は不穏で私の興味をそそるものだった。
この若者……佐原薫とかいう男は、三流カストリ雑誌の記者だった。“上野の神隠し”についての取材をしに上野を訪れ、この節子というパンパンガールから話しを聞かせてもらおうとしている場面に、私はやって来てしまったようだ。
肩で切り揃えられた髪を耳にかけ、節子は細い煙草をふかした。濃い化粧は男を誘惑するにはもってこいの派手さがあり、年齢もどれほどか判断が難しい。
黒く縁取られた双眸が、私を睨む。この女にとって、私は邪魔者のようだ。
確かにこの場に私が居座っているのは不自然だろう。髪が伸びきり、汚れて異臭を放つ服に身を包んだ、みずぼらしい少女。ここいらじゃ嫌われ者の浮浪児以外の何者でもない。
だからと言って、ここから離れるつもりはない。佐原も私を邪険にするつもりはないらしく、私が“赤い外套の男”に反応して上着を掴んですがったら、「君、名前は? 知ってるの? よし。僕の隣にどうぞ!」と言って座らせたのだ。
つまり、ここに私がいることは彼の意思でもある。
「その子も一緒に話しを聞くのかい?」
「どうやら“赤い外套の男”について知ってるみたいですし、僕としては一緒に聞いて欲しいし、逆に話しも聞かせて欲しいくらいです。あ、お酒は足りてます?どうぞ、飲んでください。大丈夫、経費で落としますから」
節子は嫌そうな顔をして鼻を鳴らした。
思えば、この佐原薫という若者はなかなか女受けする顔立ちだ。様々な男を相手に仕事しているパンパンでも、若くてそれなりに見栄えする男に「節子さん、節子さん」と甘えられたら、良い気分になるのかもしれない。
ご機嫌な時に汚いガキが邪魔をしたなら、それは嫌な気分にもなる。
私は節子に極力目を合わせないよう、目の前にある握り飯へと視線を落としていた。
「食べていいよ。経費で落とすから」
佐原が私のために買って来てくれたものだ。久々に見る白い握り飯。まだ熱を持つそれを、私は無我夢中で口に運んだ。胃袋が固形物で満たされていく。
「さて、節子さん。聞かせてくださいよ」
「ふん、仕方ないね。あたしが“赤い外套の男”について聞いたのは、ここ最近のことなのよ。そうね……夏の終わりか、秋になった辺りよ。浮浪児が拐われてるってパンパン仲間の間でも話題になってね」
「それまで、浮浪児の失踪はなかったんですか?」
「あたしの知る限り、聞いたことはないね。いや、浮浪児がいなくなること自体はあったよ。その辺のことは、この子の方が詳しいだろうけど、警察の浮浪児狩りや人知れず死んでるか……幸運な子なら、身内が見つかって人間らしい生活に戻ったかだろうね」
そうだろう?と節子が私に視線を向けた。餓鬼のように食べ物にむしゃぶりつきながら、私は大きく頷く。
節子はグラスに入った安酒を煽ってさらに続けた。
「春や夏の頃に浮浪児がいなくなるなんて理由はそんなもんさ。だからあたしらも気にも留めない。けど、一定の時期……さっき言った頃からだけど、“赤い外套の男”が子供を連れて行くなんて噂が、上野にいる連中の中で囁かれるようになったのさ」
「不思議な話しですね。どのくらいの子供がいなくなったんでしょう。拐われたのは子供ばかりですか?」
「正確な人数までは……ごめんよ、薫ちゃん。あたしもそこまでは把握してないよ。少なくとも、かなりの人数さ。一度に三人くらいはいなくなってる。それが複数回だから、二十人はいるんじゃあないかい?」
佐原は手帳を取り出し、癖のある字で節子が話したことを書き記した。彼が記者というのは本当らしい。
「最初は女の子ばかりが拐われていたと聞きました。男の子も一緒に拐われるようになったのは、最近のことですか?」
「最近だよ。男の子だけなら、そんな人数いないんじゃあないかしら」
その中に、栄太と幸治も含まれているのだろう。
私は可愛らしい汚れた笑顔を思い出していた。
どこかぼけっとしている久恵の面倒を見る幼い兄弟は、あの日私が久恵のことを任せたばかりに一緒に連れて行かれてしまったのだろうか。
そもそも、私が久恵のそばを離れなければ、あの三人は今もこの上野にいたのだろうか。
私のせいだろうか……。
飯屋の喧騒も、佐原と節子の話し声も、私には遠くに聞こえた。
後悔ばかりが胸の中に渦巻いていた。
「それにしても、何のために子供を……節子さん、何か考えられる理由はありますか?」
「あたしに分かるわけないだろう。あたしは単に、人から聞いたことや覚えている範囲で話してるだけさ」
「失礼、そうでしたね」
節子が新しい煙草を口に咥えると、佐原はマッチを擦って火をつけた。やけに慣れた手付きである。火の消えたマッチの匂いが、ぷんと漂った。
「共通点のようなものはありますか? ほら、連れ去られた子供たちに」
「どうかしら……あたしはそういった子たちと接していたわけじゃあないしねえ。最初は女の子だけだったから、売られちまったかな? とも思っていたけど、男の子もだろう? 確かに男の子も商品になるさ。珍しい分、あたしらみたいなパンパンより儲けもあるだろうね。けど、それにしては年齢がねえ……」
「若すぎると?」
「そう。十歳とかそんくらいなら、ちと若すぎるさ。まあ、あたしはもう二十四歳でここらの界隈じゃそろそろ年増扱いだから、言えたことじゃあないけどね」
「何を仰るうさぎさん。節子さんはまだまだ若くて美人ですよう」
「あらまあ! 薫ちゃんたら、そんな持ち上げちゃってえ。良いことしてやっても良いのよ?」
媚びを含んだ甘い女の声に、佐原は「うへえ、嬉しいですう」なんて情けない声を上げていた。本気なのかおべっかなのか分からない。
「あたしより、そういうのは浮浪児に聞いた方が早いんじゃあないかい?」
機嫌を良くした節子が私へ顔を向け、目の前に焼き鳥の盛られた皿を置いた。私に恵んでくれるらしい。これも佐原が女を持ち上げたおかげだろう。女の気紛れに感謝して、甘辛く味付けされた鶏肉を貪った。
「君は……名前は?」
「春子。村西春子だよ」
名字など、久しぶりに名乗った。春子という名前でしか呼ばれなくなって、どれほどの時間が経ったか分からない。自分で名字を名乗り、久々に自分が村西家の長女だったことを思い出した。しかしもう、村西家はない。
そうか、春子ちゃんね。と佐原が頷いた。
「じゃあ春子ちゃん。君は“赤い外套の男”について、何か知っているのかい?さっき僕に、教えてくれよと言っていたけど、それはどういうことだい?」
歯応えのある鶏肉を咀嚼し飲み込むと、私は二人の顔を交互に見遣って口を開いた。
「私の知り合い……同じ浮浪児なんだけど、つい最近いなくなっちまったんだ。三人がいなくなる直前、私は闇市で“赤い外套の男”を見たんだ」
最初のコメントを投稿しよう!