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わたしは誰…艦…それとも…?
くるくると三回転半する青空、液体窒素で身体満たされたような寒さ、重く鈍い痛み、首から下の喪失感。
そして、意識を圧迫する大地。目の前にスポークが飛び出ていた。
無影灯が天井に輝き、マスクを強引に被せられ五感を手放す。
とうとつに再起動する自我。
気づくと少女は艦になっていた。
見渡す限り星の海。果てしない漆黒が右から左へ続いている。
両手両足、首から下の感覚はある。視線を巡らせると素肌が見えた。右腕から指先まで一本筋の存在感が蘇る。二の腕から胸に焦点を移すと何も身に着けていなかった。
キャッと反射的に身をすくめる。両足の間に星が落ちていた。
「何なの? ここはどこ? 誰かいるの?」
自分の声は聞こえる。では、ここは真空でなく宇宙を描いた個室だ。監禁されていると悟った少女は耳をそばだてる。手のひらがうなじに触れた。
髪がない。
「えっ、うそ?」
手櫛がさっと空間をすり抜けた。「ええええええ」
ペタペタと指が頭蓋のかたちをなぞる。人差指と親指のシャクトリムシが頭皮を一周した。あるのはざらついた鮫のような肌触り。そして、耳が猫よりもとがっていた。
確証を求める焦りと、未知を恐れる迷い。両者がせめぎあって触覚を突き動かす。そして安心を探すまさぐりは背中の弾力性に行き当たった。
「えっ…羽?」
身をよじると背中越しに白い先端が見えた。
「なんで、なんで、ちょっと待って、なんで?」
思い描く現実と目の当たりにした事実の落差が意識を船底に突き落とした。
”ザザッ…こちらサラキア界上保安軍。通学艇α775、応答せよ”
”人類圏首都サラキアの保安軍である。当該船は海王星経済空域を侵犯している。応答なき場合は実力排除する”
耳障りな空電がいらつかせる。
「通学艇α775ってスクールバスじゃん!」
とうとつに少女は自分の立ち位置を取り戻した。ガス惑星の雲に浮かぶ人工都市。そこから第199衛星レミントニウスにある学舎まで毎日通う大気圏往還機に自分は乗っている筈だった。
”…申し遅れました。こちらα775。船長兼通学保護司のジョアンナ・リンジーです。乗員乗客はひとりを除き全員無事…”
「一人をのぞき…ってどういう意味なの。っていうか、何で無線が聞こえるの?」
少女は頭をかかえた。つるつるのスキンヘッドに触れて慌てて指をひっこめる。
「何でなのよ」
非日常が自分の理解を追い抜いて、置き去りにしていく。その理不尽さに怒りが爆発した。
「いい加減にして!」
無意識に腕を振り上げると、背中の翼が追随した。そしてはるか前方に切り立った山が見えた。
いや、きらきらと海王星の文様を鏡のごとく映しだす「それ」は宇宙船の翼だった。
「α775じゃない?」
少女の疑問に聞いたこともない声が反応した。
”ハロー。リュドミラ・チェロキー。全開戦闘モードの初期起動に成功しました。自我覚醒により全認証を省略。おおあばれを楽しんで!”
合成音声がよそよそしい。
「何こいつ、てか、あたしはリュドミラなんて名前じゃないし…」
思う間もなく、ターコイズブルーの格子が視界を裁断した。つづいて、赤や黄色の基点が目まぐるしく駆け回る。
そして見えざる手が上腕の感覚を勝手にもぎ取り、袖を通すように宇宙船の翼へ突っ込んだ。
続いて右目の隅にウインドーが積み重なる。その一つが拡大して航路図になった。
なぜ、そうわかるのか。自分では解説できない。ただ、振り上げた腕が熱くなった。
視点にα775が入る。ずんぐりむっくりした艇を三点から同時に眺めるなんてありえない。
サラキア界上保安軍のロゴマークを付けた巡視艇が遠巻きにしている。
”ジョアンナ・リンジー。そちらの『艦』は?”
軍とリンジー先生が嫌な会話をはじめた。非常時の知識としてレクチャーを受けているが、心の隅に封印したい内容だった。
”ええ、攻撃を受けました…”
残念そうな口調。聞きたくもない。その先は耳を塞ぎたい。
”AAAED処置を使ったのですか。法令により聴取にご協力をお願いしま…”
言い終えぬうちに翼が打ち震えた。
死刑宣告が始まった。
”ベロウゾフ・ヂャボチンスキー溶液に反応あり”
「やめて!」
”攪拌パターン・青”
「嘘だと言って!」
ミサイルに液体燃料が注入される。
”特権者です”
ドン、と背中を押されて、彼女はこの日、航空戦艦になった。
紅蓮の弓矢が木っ端みじんの花を連ねる。
サラキア界上保安軍、だった鉄材がα775めがけて戻ってくる。
「こぉの!」
むき出しの破壊衝動が速射砲を屹立させた。バリバリと給弾しては薬莢を捨て、給弾しては薬莢を捨て、給弾しては、カートリッジを排出した。
呆然と虚空に立ち尽くす自分、みっともない裸を容赦なく反映する鋼の翼、そしてその向こうにα775が垣間見えた。
”まさか! おお、そんな。なんてこと。あら、まあ、いやだ”
通信帯域が狼狽している。
リンジー先生は頼れる担任だと信じてたいが、ぶざまが尊敬を突き崩していく。羽毛と鋼の翼をもたない人間はどうしてこんなに弱いのか。
差別意識めいた感情が自然と芽生え、少女はかぶりを振った。
「まるでわたしが人間じゃないとでも?」
”イエス。リュドミラ・チェロキー。貴女は航空戦艦の義体なのですから”
「イヤだわ」
私は蟲じゃない、とリュドミラは暴れる、泣きじゃくる。
無理もない。ips細胞から培養された十万トン級の宇宙航空戦艦が自分の一部でそれとテレパシー接続されているのだ。
それがフランカー戦闘機のような美しい流線型ならまだいい。その流麗な機体のクローズアップ画像には蟹の甲羅の表面のようにミリサイズの棘がありところどころにつぶらな単眼が埋まっている。
ハロー、リュドミラ。貴女の動揺はよくわかります。しかし、貴女のボディと同格の先輩達の目覚ましい活躍をさげすむ理由にはなりません。これから伝記映画をご覧いただき、新兵教育を受け特権者と闘う最前線に出てもらわねばなりません。
リュドミラはかぶりをふった。
すると接近警報が鳴り響く。
3時の方向に大規模な重力波探知。
「えっ、あれは?」
IFFが識別番号と戦力評価をする。
オーランティアカ級超長距離航空戦艦三隻。
とてもかなわない。
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