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1 菜々
今日もワイドショーは賑やかだった。今日もコメンテーターは得意げだった。メディアが取り上げたのはやはり歌詞の暴力性だ。そして、多くのコメンテーターが中高生に支持されていることに言及していた。犯罪心理学が専門のどこそこ大学の教授曰く。
「歌詞から受ける印象は精神的に幼く非常に粗暴な人物像です」
すると、スタジオのタレントがそれを裏付けるエピソードと称してジョーク紛いの話を語った。司会の芸人が空かさずツッコミを入れる。笑い声が起こる。
「やべぇやつっぽかったもんな、こいつ」と兄はテーブルに肘をつき、白米を頬張りながら喋る。
「だって、少年院いたんでしょ?元々犯罪者みたいなもんじゃん」と口をくちゃくちゃ言わせて喋る兄が不快でならない。
俊幸が逮捕されて三日が経った。俊幸は動機を語ろうとしなかった。「俺が殺したんだから、それ以上も以下もあるか」と言い続けていた。その態度が憶測を呼びワイドショーで連日放送された。
小学生時代の同級生がインタビューを受けている。モザイクで顔は分からない。声も変えられている。
「いやぁ、そんな人を殺すやつとは思えなかったので…驚いています」
それを見た兄が「うさんくせ」と呟いた。私は黙って見てろよと思った。
どうでもいいことばかりだ。俊幸に関する情報はどれもどうでもいいことばかりだ。誰もが彼が悪であることを願っているようだ。私は彼が悪者だろうとどうでもいい。
インターネットはもっと闇が深い。『腐敗性物質』について語り合う掲示板サイト。『俊幸逮捕について語るスレ』が立っていた。スレ主が一言。「どう思う?」と不特定多数に問う。テレビの憶測より厄介な妄想や、誹謗中傷が一気に目の前に現れた。
「顔からして犯罪者」
「こいつのファンってだけで痛いやつ確定」
「腐敗オタの女はだいたい勘違いブス」
「俺は尖ってて好きだぞ」
「曲はいいんだよな」
「歌詞はあれだけど」
「痛いファンが真犯人がいるとか言い出しそう」
「あいつオレオレ詐欺の受け子やってたってマジ?」
「マジ、普通にクズ野郎だからな」
「そりゃまあ、通行人をいきなり傘で刺し殺す畜生ですから」―
パタン。ノートパソコン閉じた。馬鹿らしい。俊幸の言う通りだ。彼は人を殺した。それ以上でも以下でない。なのに、みんな自分の都合で真実を見えなくしているんだ。憶測や妄想や、誹謗中傷で見えないものを見えなくていいものに置き換えてるだけなんだ。
もう兄はとっくに学校に行っていた。また学校に行けなかった。四月までは通えたのにな。もっといえば、小学校は六年間楽しんだのに。ゴールデンウィークが明けるとともに通うことが馬鹿らしくなった。由美がいなかったらたまに顔を出すことすらしなかっただろう。
入学式の日に彼女の鞄に俊幸をモデルにしたキャラクターのキーホルダー付けていたのを見て、私は無遠慮に話しかけた。『腐敗』のファンなんだね!ととびきり人懐っこい笑顔で。私たちが仲良くなる理由なんてキーホルダーだけでよかった。
私は無駄に背が高い。由美はとても小柄だ。凸凹コンビ。小さい由美の頭をたまに撫でてやりたくなる。由美はよく「菜々みたいにスタイルがよかったらな」と言った。そうかな?としかいつも返せなかった。私は中学一年生にしては、というより、女性の中でも身長が高い。「スタイルがいい」と言う子は他にもいた。でも、それは由美の言葉と意味が違うように聞こえた。由美の言葉には嘘はなく、他の子の言葉から「私を褒めて、かわいいでしょ?」と翻訳できてしまった。君がかわいいとして、私にはどうでもいいとしか思えないのに、「きみのほうがかわいいよ」と言ってしまう。その度に嫌な女になった気がする。
学校とは勉強をする場であるが、勉強以上に必要となるのが、自分の立ち位置である。素早く権力の軸を見極め行動することが求められる。軸になりたい人物は我こそはと主張し合う。おおよそ、一週間もすれば、誰が発言力があるかが分かってくる。我がクラスは郷田さんとその取り巻きからなるグループが軸となっていた。郷田さんはキッパリハッキリ物事を言う人だ。飾ったことを言わない。一年生の中で一際大人びていた。自分が大人びていることに気づいていないためか嫌味がなかった。そして、なにより、美少女という言葉がよく似合った。男子には男子なりの序列があるらしく、グループがいくつか出来上がっていた。男女共通した序列の特徴は発言力の強さだ。郷田さんが好きといったものは、女子の間で流行った。逆にいつの間にか流行るそれらについて行けなくなるとクラスで浮くことになる。
無害と見なされている大人しい真面目な子たちでできたグループ。流行りについていけずに「浮いて」しまい「きもい」とからかわれているグループ。どこにも属せず何も喋らない子。
私は初めこそ郷田さんグループの子たちと一緒にいたが、すぐに面倒くさくなった。誰それちゃんには内緒だよ?だとか、あの子って〇〇なとこあるよねーだとか。根も葉もない、いや、根や葉があってもつまらないグループ内での足の引っ張り合いにいがみ合いにうんざりした。郷田さんとは仲良くなれたかもしれないけれど、もれなくついてくるいざこざを思うと自然と一人を選ぶようになった。
見渡せば学校とは小さな嫉妬や、見栄が渦巻き、誰と仲がいいかで立場を確認し合い、突き放し合い、その巻き添えを底辺の「きもい」子たちが受けていた。学校という空間に充満する特殊な空気にやられ、四月半ばで通学が憂鬱になった。
学校での唯一の救いが由美だった。由美は隣のクラスだった。上手にクラスの序列に溶け込んでいるようで、いつも何人かの女子と行動していた。しかし、私が教室を訪ねると友達を置いて私と二人きりになるのを選んだ。私たちはよく廊下の窓から空を眺めた。とりとめのない話を、聞かせ合えるだけ互いを信頼していた。嫉妬や妬みや序列とは関係なく「友達」。そして、縁を結んだ俊幸は友情のシンボルだった。
『腐敗性物質』は四年前にメジャーデビューしたロックバンドで、デビュー曲はそれなりに話題になったが、その後はパッとしないバンドだった。パッとしないなりに、知名度はあった。過激で暴力的な歌詞が特徴で、退廃的な世界観が中高生の間で支持されていた。
ただ、私と由美はバンドではなくヴォーカルの俊幸のファンだった。俊幸という人物の謎に満ちた雰囲気の虜だった。無造作に伸びた髪に顔が隠されていて、表情が窺えない。よれよれのTシャツに身を包み。歌声は常に嗄れていて、綺麗とは程遠かった。メンバーの中で唯一年齢以外のプロフィールがない。彼はバンドの作詞作曲を手がけていた。暴力的だったり、退廃的だったりと評される彼の歌詞の世界を、自ら穢すように汚い歌声で歌う。とある雑誌で『腐敗性物質』の特集記事が載ったことがあった。メディアにあまり出ることがない彼らとしては珍しいことだった。インタビューで俊幸は自身の音楽性について問われ、「俺は聴いてもらいたくて歌ってるわけじゃない。叫ばないとおかしくなるから」と言っていた。
小学生五年生の時に私は三つ上の兄の影響で彼らを知った。流行りものに敏感で、見限るのもあっさりな兄の部屋から聴こえてきたのだ。当時、ファーストアルバムを満を持して出した時だった。私は汚い歌だと思ったと、同時にどこか物悲しい気がして、兄に内緒で聴くようになった。兄が彼らに飽きて、捨てると言った時、私は咄嗟にちょうだいと言った。女の子が聴く音楽じゃないと、母がしきりに言っていた。少し気が引けたので、母に隠れて聴いていた。
それからしばらくして彼らの雑誌のインタビューを読んだ。「俺は聴いてもらいたくて歌ってるわけじゃない。叫ばないとおかしくなるから」この言葉がストンと心のどこかに落ちた気がした。なるほど、物悲しさの正体はこれか。俊幸は歌ってるんじゃない。叫んでいるんだ。それも生きるために。彼にとって世界は暴力的で、退廃的だからこそ、叫ばないとおかしくなるんだ。小学生の私には友達がいて、家族がいて、幸せや不幸を意識する瞬間がなかった。多分、幸せなんだと思っていた。叫ばないとおかしくなる世界なんて私の周りには一つもなかった。なのに、彼の言葉が理解できる気がした。いつか、私にも叫ばないといけない瞬間が来る気がした。
中学生になって、そして不登校になって、私は度々無意味に叫びたくなった。叫びたくなると父の声が脳内再生される。「学校に行きたくないなら、無理して行くことないよ」と父は優しく私に言った。父の声がすると胸の奥の奥を誰かに掴まれている気がするのだ。
そして、あの7月16日。その日も家に一人、叫びたい衝動を紛らすために付けたテレビ。ニュース速報の音がなる。俊幸の逮捕。私は叫びたかったのに、声が出なくて。由美の声が聴きたい。急いで電話を掛けた。叫ばなくてよかった、私には友達がいる。気づくと泣いていた。何の涙か分からなかった。「菜々!」と呼ぶ友の声に幸も不幸も曖昧で、多分幸せな私は初めてはっきりと幸せを感じた。
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