2 タケダヨシオ

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2 タケダヨシオ

「そんなに面白い?」 頭上からの問いかけに、タケダヨシオは漫画から目を離さず曖昧にうんと言った。新田俊幸は芝生に座って漫画を読んでいたヨシオを覗き込む。俊幸の影で視界は一気に暗くなった。 「どけよ」とヨシオが言うと素直に新田俊幸どいた。「あー、ひま」と言って芝生に仰向けで寝転んだ。 暇だった。〇〇小学生6年生 新田俊幸 と書かれたプラスチック製の名札が陽を反射していた。 「なぁ、ヨシオ。みんないつの間にかいなくなるよな」日差しに目を細めながら、俊幸が言う。 「は?」 俊幸は稀に思わせぶりなこと言うことがあった。彼がそのまま黙ってしまったので、ヨシオは再び漫画に集中した。 土曜日の午後三時。土曜登校は十一時に終ったのだが、いつも通りふらふらと道草を食った。その日は本屋により、ヨシオが漫画を買い、近くを流れる川でどちらが水切りが出来るかを競い、それに飽きると田んぼの側溝でカエルを探し、そして、広い芝生のある公園に行き着いたのだった。 ヨシオは漫画を読み終え起き上がって「そろそろ帰るか」と言った。まだ寝転んでいる俊幸に手を貸してやり起こす。よっといって起き上がると、俊幸は芝生が着いたか背中をはたいた。ヨシオも彼の背をはたいてやった。公園は俊幸の家と正反対の場所だったので、二人は公園で手を振って別れた。 ヨシオは一人で石を蹴ったり、また側溝でカエルを探したり、ノロノロと家に向かった。 道中、ヨシオはふと俊幸の言葉を思い出した。 「みんないつの間にかいなくなるよな」 誰がいなくなったんだろうか。学校の友を思い浮かべたが、転校した生徒はいなかった。先生も同様にいなくなってない。誰もいなくなっていない。俊幸はよくわからないやつだとヨシオは思った。 ヨシオが家に着くと、母はいなかった。母はヨシオが小学生になると働きだした。自分を学校に通わせるためだと、子供なりに理解していた。静かだった。ヨシオが「ただいま」と言う声は静寂に押し殺された。 ヨシオは「みんないつの間にかいなくなるよな」と呟いてみた。世界に自分一人きりになったような寂しさに包まれた。 テーブルに『あたためて食べてね』と母の書置きがった。冷蔵庫にラップされた大小二枚のお皿が入っていた。どちらもミートソースパスタだった。大きい方が父ので、小さいのがヨシオのだった。 母の料理と書置き。自分以外の存在だ。世界に一人きりではない。ヨシオは、ふいに逆のことを考えた。俺だけが存在しなくなった世界。俺がいなくなった世界は、俺がいなくなっただけの世界なのだろうか。 「バカヤロウ」ヨシオは小さく呟く。時計は午後四時十分あたりを指していた。晩御飯にはまだ早い。ヨシオは早く夜がくればいいと思った。 窓の外はまだ明るい。誰もいないリビングと母の書置き。留守番には慣れたつもりでいたのに、俊幸の言葉がいつまでも、心の片隅の小さな扉をノックしている気がした。 「みんないつの間にかいなくなるよな」俊幸の声を真似て言ってみる。「バカヤロウ」ともう一度呟いたヨシオの声を静寂がさらった。 タケダヨシオが目を覚ました時、時計は午前四時十分あたりを指していた。もう忘れたはずの思い出を夢に見た。 ロックバンド腐食性物資のヴォーカルとして活動していた歌手の俊幸容疑者本名新田俊幸。ヨシオが容疑者の小学校時代の友人として、取材を受けたのは四日前だ。 「いやぁ、そんな人を殺すやつとは思えなかったので…驚いています」 ありきたりなことしか言えなかった。素直な気持ちだったが、ヨシオはどこか後ろめたい気持ちになった。外はまだ薄暗く静けさに包まれていた。妻の寝息だけが聞こえる。「バカヤロウ」と呟いてみた。 記者に質問されて、ヨシオは新田俊幸について、何も知らないことに気づいた。二人で一緒に帰った帰り道。水切りをした川。カエルを探した田んぼの側溝。すべて、思い出として残っているのに。 いつだったか、公園の芝生に二人寝転び、日差しに目を細めながら長いこと話したことがあった。昼間なのに、星がある設定で天を指差し適当に「あれはM78星雲だ」とか「北斗七星が見えるぞ」と言い合っていた。すると、俊幸が「なあ、ヨシオ、流れ星は消えたかったのかな」と言った。また、変なことを言ってるよとヨシオは思った。「知らね」と返事をした。しばらく、二人は黙っていたが、俊幸が起き上がり「帰ろうぜ」と言った。その日も留守番だった。夜が早く来ればいいと願っていた。夜になれば両親のどちらかが帰ってくるから。 ヨシオは事件が報道されてから、新田俊幸のことを思い出すようになった。それと付随する形で鍵っ子だった頃の寂しいリビングと母の書置きを思い出す。 ヨシオは妻を見た。ぽっかりと口を開けた寝顔には安心が満ちているようにみえた。まだ二人に子どもはいない。親になった時には子どもに朝が早く来ればいいのにと思ってほしい。窓の外の薄暗い夜空にはまだ星が見えた。ヨシオは明日が楽しみになるような家庭にしたいと願った。妻と子が安心して寝てくれたらそれでいいと思った。 新田俊幸、彼のことを何も知らない。記憶に深く残っているのは彼が変なことを言う時はいつも寂しそうに笑うことだった。
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