1. 夜の始まり

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 わたしがバーレスクダンサーとして踊っている店は、湾岸地区の地下にある。夜になるとひっそりと静かなそのエリアの、穴場的な大人の遊び場だ。アパートからは電車と徒歩で30分くらいの場所にある。  楽屋のドアを開けると、いつも以上に騒々しい。けたたましい笑い声や、がなり立てるようなラップ音楽。その合間を縫って調子っ外れな歌も聞こえてくる。  わたしは誰の邪魔にもならないように端っこに座り、たまごサンドを取り出して齧った。飲み込もうとしたタイミングでばん! と背中をどやされ、むせる。 「ショーコ、早くメイクと着替え!」 「待ってママ、今日まだ何も食べてなくて」  XX(ダブルクロス)のオーナー、美香子ママ。ラスベガスのバーレスクショーでソロを踊っていたダンサーだ。  派手で目を惹く外見なのは、ここのオーナーを「演じているから」だそうで、普段は和装のしっとり美人、というのはバーテンダーの古株、立川さん曰く。 「さっさと食べなさいよ、ステージでおならしたらしばくからね!」  みんなの間からどっと笑いが起こり、わたしは恥ずかしくて赤面した。この前、ステージから引き上げるときに小さく「ぷっ」としたのを、しっかり美香子ママに聞かれたらしい。残りのサンドイッチを急いで口の中に押し込む。 「ほら、気を悪くしないで。衣装直しといたから」  先日のショーでファスナーが壊れてしまった衣装、ママが「繕っとくね」と持って帰ってくれたのだ。ママは裁縫も得意で、私たちの衣装直しも手伝ってくれる。  以前に所属していたところでは、自分で衣装を直していた。だから裁縫はまあまあ得意な方だ。でも、ここではママに甘えさせてもらってる。同じダンスというジャンルでも、一年前にいた場所とは百八十度違う世界だ。 「ねぇショーコさん、アイライン引いて」  最近入ったばかりの新顔、ルルが私にアイライナーを持たせる。 「いいよ、目を閉じてじっとしてね」  ルルの閉じた瞼に、くっきりとラインを引いていく。ルルは目が垂れているのを気にしているので、心持ち上目にラインを描いてあげる。 「ありがとう! アタシがライン引くと、いつもパンダになっちゃうからさ」 「どういたしまして。またいつでも言って」  長いことステージ用のメイクはしてきたから、映えるお化粧はお手の物。バレエとバーレスクでは、若干化粧の派手さが違うけど、基本は同じだと思ってる。 「後三十分でステージよ! ストレッチしておきなさい!」  美香子ママの声に、慌てて今日のセトリを確認。私の出番は最初と五曲目、七曲目だ。ステージ横のカーテンをまくり、客席を確認する。今日の入り、この時間で満席……よし。  黒いビスチェと黒い網タイツ。ガーターベルトを止めて、黒のシルクハットをかぶる。カツラは金髪のショートボブ、カラコンは青、リップは真っ赤なルージュ。白い手袋をはめて小道具のステッキを持てば、わたしはバーレスクダンサーだ。自然と背が伸び、腰のラインを意識する。この世界に入ったこと……後悔は、してない。 「本番五分前! 袖に集まって!」  ダンサーのリーダー、アキさんの声にみんなが集まる。ソロダンサーのキキは一番後ろで、群舞が最初に出る。 「五、四、三、二、一! 出て!」  アキさんにお尻を押されてステージに飛び出る。ポジションについて待機。DJが効果音をあげて盛り上げる。MCのヒデがマイクを持ち、アナウンスする。 「XX(ダブルクロス)お抱えバーレスクダンサーズ、登場です!」
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