シャンディ・ガフの憂鬱 ~銀狼はカウンターで爪を噛む~

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 店の扉を開け、慌てながらも慎重に階段をかけ登ると、裏路地へ出る直前の階段で人の気配がした。今宵は満月が煌々と輝くので、その影響で側面の壁がくっきりと階段に影を落としている。真っ黒に塗りつぶされたようなその場所に、辛うじて人型だとわかる形が薄っすらと見え、紫煙がゆらりと立ち上っていた。 「シルバ…さん?」 「よ」 「もしかして、具合が悪くてそこに?」 「いや。マスターの言うとおり、俺の体は全然大丈夫」 (だけど、あんたへの飢えはこの上ないけどな……)  そう思いながら、咥えていたタバコを勢いよく吸った。彼女への飢えと、すぐに店を出てきたことによる嬉しさを抑えるかのように。 「タバコ一本分だけ、要ちゃんのこと待ってようと思って」 「え?」 「もうちょっと一緒に話したくてさ。良かったら二人で飲み直さない?」  思いもよらぬ誘いに、要は銀次の瞳を見つめ返した。彼の瞳は熱を帯びていて、一瞬躊躇はしたものの「いいよ」と答える。 「いいんだ? こう言っちゃなんだけど、初対面なのに警戒しないの? 俺のこと」  そう言われて、先程マスターが彼のことを『あんまりお薦め出来ないけど』と言ったのを思い出した。 (やっぱり似てる)  そう思うと、自然に笑みが漏れる。 「だってシルバさん、きっとイイだから」  要は確信していた。類は友を呼ぶのだと。一週間仕事で疲れ切った身体を、あの店とマスターがいつも癒してくれた。静かなジャズミュージックと温かな間接照明の中、自分のくだらない愚痴を文句のひとつも言わずに最後まで聞いてくれ、美味しいお酒を出してくれる居心地の良いBar『Coffin』。そんな店を営むマスターのところへ、昔お世話になったからと隣町からわざわざ訪ねてきた銀次が、同類でないわけがない。 (参ったね……)  月光に照らされた彼女の笑顔が眩しくて、先程よりも心臓がざわめくのを、銀次は抑えられそうになかった。 「じゃあ俺んちで……」 「それは却下」 「ちぇっ!」  そう舌打ちした途端、二人は笑い出す。吸っていたタバコを常備している携帯灰皿に仕舞うと、銀次はおもむろに立ち上がって裏路地へと躍り出た。    満月の光が、彼の身体に容赦なく降り注ぐ。己の遺伝子に組み込まれた、呪われた本能を呼び覚ましながらも、それと同じくらいの別の高揚感が、彼の体を駆け巡った。 「この辺り知らないから、要ちゃんの知ってる店でいいよ」  そう言って銀次が微笑むと、要はまたとびきりの笑顔で「了解」と返し、二人は二軒目へ向かって歩き出すのだった。 <完>
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