さようなら

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私は明日引っ越す。 現在住んでいるB県から遠く離れたZ県に引越しをする。 ・・・中学二年生の冬。 きっとおそらくほかの中学生は高校受験のために準備を整えている最中だろう。私はしなくて良い。次に行くZ県の中学は私が昨日まで通っていた中学の姉妹校に当たるため転入のための実力試験だけを受けた。 私は小学生の頃から女子校にいるので周りに男子がいない。 だから、実際満員電車で男子校の生徒に近づくと怖くて足がすくんでしまう。 理由は解らない。 自意識過剰なのかもしれないし、周りの男性が父と先生しかいない環境に慣れてしまっているのかもしれなかった。 恋に憧れ友達の片想いをドキドキしながら聞いていた私に好きな人が出来たのは、中学二年生の春。 通っていたスイミングに新しく赴任してきたコーチだった。 初めて目が合った瞬間、私の胸が騒ぎ出した。 ドキドキドキドキ・・・ 音が大きく耳が裂けそうだった。 周りに心臓の音が漏れているのではないかと不安にもなった。 なんとも思っていませんよ・・そんな表情を取り繕うだけで精いっぱいだった。 それから8か月。コーチを見ているだけで幸せだった。 コーチがいるともっときれいに泳ごうと思えたし、髪を結ぶゴムもピンクや赤などの華やかな色に変わった。 少しでもコーチの視線に止めて欲しくて、コーチの前ではわざとスイミング仲間とはしゃいでいた。 スイミングの帰り道、空を見上げて綺麗な星が見えるとそれだけで気持ちが浮き立った。 父の転勤が決まったとき、私は泣いた。 友達と離れる事、生まれ育ったB県と離れる事もつらかったが、きっとZ県でも友達はできるだろうし、Z県にもきっとなじんでいくんだろう。 でもZ県にはコーチがいないのだ。 私は反対したが、もうどうにもならなかった。 もともとB県には親族もおらず私は一人っ子だっため、親も下宿させることすら許さなかった。 粛々と転校のための手続きが行われた。 私は諦めるしかなかった。 そして明日の朝、とうとうZ県に行く。 もうきっと二度と会えない。 私は夕方から始まるスイミングスクールの観覧席にいた。 最後にコーチの姿を目に心に焼き付けたかった。 親からは18時までに戻るように言われていた。 コーチが始動する時間は17時。 家からスイミングスクールまで自転車で20分。 僅か40分、精いっぱいコーチを見て一生忘れないようにするんだ。 コーチが訝し気にこちらを見たときはすっと視線を外しほかのレーンを見ているふりをする。気が付けば17時30分をまわっていた。 あと5分しかない・・・。あと5分・・・。 私はカバンから紙と鉛筆を取り出した。 ○○コーチへ さようなら。 大好きです。 その紙をそっとコーチ陣のロッカーの上に置いた。 もしかしたら一生見つけられないかもしれない。 捨てられるかもしれない。 それでも、どうしても伝えたかった。 あと5分あれば、もっと素敵なラブレターが書けたかもしれなかったけれど、これが今の私の限界だった。 さようなら、私の初恋。さようなら、コーチ。・・・
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