カルフが勉強ができるようになった時の話

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 カルフは、校舎を通り抜け、部室棟へ歩いて行った。  今、キミサカ含めテニス部は校庭のコートで練習中だ。テニス部の部室の中には、テニスウェア姿に着替えた女子の制服が残っているはずだった。  その部室の前で、カルフが葛藤を抱えて仁王立ちしている。怪しいことこの上ないが、それを物陰から見ている僕とハインツも同じくらい怪しいことこの上ないだろう。  さすがに部室に入ろうとしたら止めようと思っていたけど、カルフもそこまでは思いきれないようだった。彼の口がもごもごと動き、ひとり言をつぶやいている。 「……俺は、何をやっているんだ。何がおまじないだ、男らしくない。そうだ、そんなものに頼らず、堂々とはっきりと、自分の口で断るのが男ってもんだろう。よし、帰るぞ!」  そう言って扉から離れようとした時、カルフがつまづき、部室のドアに寄りかかってしまった。はずみで、ドアが開く。  体勢を立て直したカルフが、しかしなぜか、露わになった部室の中を凝視していた。かと思うと、中へ入っていく。 「おいおい」  僕はそうつぶやき、ハインツとともに、カルフを連れ出そうと踏み出した時だった。  部室の中から、カルフの声が響いた。 「何やってるんだよ、モリノ」  僕とハインツは仰天し、部室のドアのすぐ前まで移動して、中を覗いた。  薄暗い部室の中で、カルフとモリノが対峙している。  優等生のクラス委員長の手が、制服のスカートに伸びようとしたところで止まっていた。  カルフは、静かに言った。 「そういうことかよ」  モリノはすっかり青ざめ、ぶるぶると震えている。  そしてその指先から、ぽとりと何かが落ちた。カルフからは見えない角度のようだったが、僕らにはころころと床を転がるダンゴムシがはっきりと見えた。  一連の虫ポケット事件、現行犯を抑えたわけだ。 「委員長ともあろう奴がな。幻滅、だぜ」とカルフがため息をつく。  モリノはほとんど泣きそうになっていた。当たり前だ。展開次第では、これからの彼の学園生活は地獄と化すだろう。部室に忍び込んだのが、これが初めてだったのかどうかは分からないが、虫のことよりも、女子の制服をこっそりいじりまわしていたなんていうのは、致命的だ。 「い、言わないでくれ。誰にも、頼む」 「泣いてんじゃねえよ! お前が泣く立場じゃねえだろ!」  カルフの一喝に、モリノはひいっと悲鳴を上げた。 「つ、つい、魔が差したんだ。こんなこと、ボクだってしたくなかった、でも、つい、そう、ついなんだよ。べ、勉強のストレスとか、親のプレッシャーとか……」 「分かるぜ」  ん?  壁の陰に隠れたまま、僕とハインツは、カルフのこの言葉には疑問符が湧いた。 「そうだな、モリノ。ついなんだよな。魔が差したんだ」 「み、見逃してくれるのかい。ボクを糾弾しないのかい」 「糾弾なんかできるもんか。だって俺も、ついさっきまでは、お前と同じことをやろうと考えていたんだからな! そのスカートを使って!」 「な、なんだって!?」  僕はこの時、ようやく、カルフがしている巨大な勘違いに気付いた。  ハインツを見ると、両手でお腹を押さえて悶絶している。腸ねん転とかにならなければいいけど。 「モリノ。俺達のやろうとしたことは、男らしくないぜ。いや、男の風上にも置けないことだ」 「ああ……、その通りだ。カルフ、カルフ・コイルフェラルド! 僕は君を誤解していた、自分の過ちを認めることの、しかもこんな行為をだ、それはなんて勇気の要ることか!」 「幸い未遂のようだな。さあ、その制服をたたんで置きなよ。そしてここを出たら、俺たちは生まれ変わるんだ。男らしく、今までより少しだけ立派な人間にな」 「ああ……ああ」  何やら肩を抱き合いながら、涙など浮かべて二人が部室から出てくるので、僕とハインツも退散した。  こうして、学園を(多少)騒がせた虫ポケット事件は終焉を迎えたのだった。  なお、虫ポケット事件の犯人がモリノであったことは、僕とハインツがこっそりと先生に報告しておいたので、モリノはしかるべき罰を受けた。カルフには内緒で。  その後、カルフは自分の口でちゃんとキミサカにお断り申し上げたらしい。  そして、定期テストの度にモリノはカルフに親身に勉強を教えてやるようになり、カルフの学力は格段に上昇した。  急に仲良くなった二人に、クラスメイトたちは怪訝な顔をしていた。が、何も悪いことなど起こっていないので、さほど問題にもならなかった。  僕が知らんぷりしてカルフに「どうして急に仲良くなったんだ?」と訊くと、彼は親指など立てて、 「男同士の秘密だ、言えないぜ」 と不敵に笑って言った。  フィアの姿は、また見えなくなった。いずれ楽しそうなことがあれば、現れるだろう。  どうということのなかったような、あったような、そんな夏が過ぎて行った。 終
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