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僕の通う中学校は、ドイツ人女性が校長を務める、東京の片隅にありながら異国情緒あふれる学校だ。
石造りの校舎が地元では評判で、全寮制ということもあってか、品行方正な生徒が多いと噂されているとも聞く。実際、他と比べてどうなのか、僕には分りようもないけれど。
校内には、先生にも生徒にも、外国人が多い。というより、日本人の方が珍しい。
僕にはハインツとカルフという双子の友達がいて、彼らも英国人だった。ドイツ人のような名前だと、周囲からはよく言われている。
兄のハインツは読書が趣味で落ち着いた性格だったけど、弟のカルフはいささか短慮なたちが目立った。勢い任せの行動で、先生達をよく怒らせる。ただ、それが彼の最高にいいところでもあった。
学校の勉強は、僕とハインツが学年の中では上の中程度。カルフについては、本人の名誉のために明言を避ける必要がある。
いや、あった。
彼はある時期から、並みの生徒なら軽く凌駕する学力を身に着けることになったのだ。
これは、そのきっかけとなった『事件』の話である。
僕らが中学二年生の夏の時だ。
朝、登校した僕とハインツが寮から校舎へと入り、教室へ向かう途中だった。
石で出来た階段を、教室のある三階へ上がって行くと、大きな声が聞こえて来た。
ハインツと顔を見合わせる。
確認するまでもなく、ひと足早く寮を出たカルフ……そして、女子の声だ。
「こんな悪戯するの、カルフ君くらいしかいないでしょう!」
「俺じゃないって言ってるだろ! なんで信じてくれないんだよ」
僕らが階段を上りきると、カルフが三階の廊下で同級生の女子と対峙していた。
カルフは、身に覚えのない濡れ衣を着せられることが多かった。年頃というものなのか、僕らの学年では、男子が女子に他愛もないいたずらを仕掛けることが流行っていた。
その中で、カルフは探検や冒険は好きだったけど、女の子をからかうことには全く楽しみを見出さないタイプだった。
だが、クラスの皆、特に女子は、何かしらおかしなことが起こると「カルフ君の仕業に違いない」と囁き合うのが常だった。
カルフはこういう時、『証拠があるのか』とは決して言わない。本人いわく、それは、器の小さい男のセリフなのだそうだ。
しかし、より効果的な弁明をするのかといえばそういうわけでもないので、背負ったままになった誤解は少なくない。
この日騒ぎになったのは、二年生の女子達のスカートのポケットに、知らぬ間に虫が入れられるという悪戯だった。
カナブンとか、ダンゴムシとか、つまみやすいタイプの様々な虫が、女子が気付かないうちにポケットへ仕込まれており、そうと知らずにポケットへ手を突っ込んだ女子が悲鳴を上げる、というものだ。
教室に入っても、先ほどの女子がカルフに詰め寄っていた。
「カルフ君、この間も校舎の裏庭で、何とかいう虫を取ったって騒いでたじゃない」
「あれはヘラクレスオオカブトだぞ、ポケットに入れられるような虫じゃない! まあ、本物じゃなくて、ちょっと鮮やかに変色したリンゴの芯だったんだけど」
「……どうやったら間違えられるんだ、弟よ」
ハインツの冷ややかな声を聞き流し、カルフはなおも無実を主張している。
正直、僕もハインツも、カルフを疑ってはいなかった。こいつはいかつい先生の鼻を明かしてやろうと奮闘することはあっても、女子に意地悪をするタイプじゃない。
ただ、それが正義感や女子への優しさじゃなく、単に「そんなことしてもつまらないから」という価値観から来ているのが残念ではあったけど。
その時、横合いから冷静な声が割って入った。
「気付かれもせずにそんな早技が出来そうなのは、カルフ君くらいということだろう。君のおっとりしたお友達には不可能だろうしね」
そう言いながら僕とハインツを黒縁眼鏡の向こうから半眼で見ているのは、クラス委員長のモリノだった。
成績優秀な優等生だけど、一学期に僕とハインツに成績であっさり抜かれてから、僕ら三人には冷たく接して来る。今の「おっとりしたお友達」とは僕のことだろう。まあ、カルフにはいいとばっちりだった。
「モリノには関係ないだろ。ほっとけよ」
カルフが言うと、モリノはおとなしく自分の席に戻った。
「くそっ、何とかして犯人捕まえたいな。ハインツ、いい考えないか?」
「現段階では、手掛かりが少なすぎるな」
双子が、何かいいアイディアは無いのかという目で僕を見た。
僕は肩をすくめて、一時限目のテキストをカバンから取り出した。そんなアイディアが都合よく湧くわけもない。
放課後、三人で昇降口に向かう途中、カルフが言った。
「そうだ。悪戯の件、フィアが何か見てないか、訊いてみようぜ」
僕は首をかしげる。
「フィアかあ。ハインツ、最近フィアを見た?」
「いいや。彼女、用が無い時には色々ちょっかい出して来るのに、こっちが会いたい時はなかなか会えないからな」
昇降口からは、夏の日差しが地面に突き刺さっているのが見えた。
ロッカーのふたを開けて、上履きをしまったカルフが、ぼやく。
「せっかくこの学校に来たってのに、フィアの奴ろくに授業なんて聞かずに、好き勝手やってるぞ。こないだも俺の教室に授業中ふらふら入ってきて、少し授業を聞いたらつまんないからって出て行ったんだ」
まあ、確かに彼女にはそういうところはある。
「あれ、カルフ。ロッカーに何か入ってるよ」
僕が指差すと、カルフは、
「あ、いや、いいんだ」
と言い、パタリとふたを閉めた。それをハインツがパカリと開ける。
「ラブレターじゃないか。やるな弟よ」
「からかってんだよ、俺を」
カルフは本気でそう思っているらしかったが、僕とハインツは、彼がこの頃ずいぶんもてているのを知っていた。
カルフは活動的だし、女の子にも基本優しい(というより、男友達と変わらない屈託の無さで接する)ので、特別不思議なことは無い。女子が何かとカルフに騒ぎ立てるのも、彼にちょっかいを出すのが目的であることが明白な事例が、多くあった。
「くそ、フィアはどう探したら会えるんだ。ハインツ、どう思う?」とカルフが話題を変える。
僕たちは昇降口を出て、石造りの校舎に乱反射する蝉しぐれを、全身に浴びた。
「僕にも分からないけど。でも、教室を探してもまず見つからんだろうね。だから、教室以外の所を探せばいいんじゃないかな」
「たとえば、どこだよ」
そう言ってカルフは、傍らの桜の木を見上げた。蝉でも見ようとしたんだろう。
その視線の先の枝に、フィアが座っていた。
「……いたな」
ハインツが短く言うのとほぼ同時、フィアは枝から下り、熱された地面に音もなく着地した。スカートを直すが早いか、
「知らないわよ、虫を入れた犯人なんて。本当にカルフじゃないの?」
僕とハインツは、顔を見合わせて、軽く肩をすくめた。
「ちがわい。女子なんてただでさえやかましいのに、もっと騒がせても意味無いじゃんかよ」
「ふーん。そのやかましい女子からお手紙もらってたようだけど、どうするつもり?」
「どうって、何かしなきゃいけないのか」
フィアが、鼻白んだ。人差し指をカルフに突き付け、
「あなたまさか、黙殺するつもりじゃないでしょうね。差出人は何て子なの?」
「テニス部の、キミサカって言ったかな。ああくそ、向こうが勝手に俺のことを嫌いになってくれないかなあ」
もてない男が聞いたら踏みつけられても文句の言えないセリフを吐くカルフ。
フィアはつかつかと彼に歩み寄り、にやりと笑って、
「いいおまじないを教えてあげる」
「なんだよ、それ」
「相手の女の子の制服のスカートを手に入れて、カルフが自分ではくの。そして彼女の前で高速で連続ターンを決めつつ『猫とカバの神様、どうか夜空を平和に!』って五回叫ぶのよ。そうすると、相手は恋心を失うというわ」
カルフはごくりと生唾を飲み、
「利くのか……それ」
「てきめんよ」
親指を立てるフィアの前で、真顔のカルフ。
見かねた僕が、
「ねえカルフ、それはおまじないじゃなくてさ、」
と歩み出たけれど、カルフはくるりと僕に背を向けて、
「はっはっはっ、俺がそんなことするわけないだろう。ところで俺どこかに何かを忘れものしたから、先に寮に帰っててくれよ」
そう言うと、カルフは踵を返してさっさと校舎へ戻って行った。
ハインツがつぶやく。
「まさかあいつ、それで僕らをまけると思ってるんじゃあるまいな」
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