アルファ編

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アルファ編

 俺はオメガを飼っている。  あいつとはあるパーティで偶然知り合い、出会ってすぐに「番にしてくれ」と言われて唖然とした。  相手をよくよく見てみると、オメガらしい華奢な体に整った顔立ち。特にぽってりとした小さな唇が印象的だった。  しかし俺の答えはノーだ。  一夜の遊びなら、もちろん受けた。  しかし永遠の関係を、運命でもなんでもない相手と結ぶなんて、絶対にごめんだった。  俺は幼いころから『運命の番』を得た叔父を見て育ったせいか、人一倍『運命の番』に対して憧れを抱いていた。  いつも寄り添い、仲睦まじく過ごす叔父夫夫。周囲は暖かい空気が流れ、端で見ているだけで癒されるような、清涼な空気が漂うのだ。  番にするなら、運命の相手以外ありえない。  だから目の前のオメガを拒絶したのも、当然の話だった。  しかしあいつは諦めなかった。 「可能性が僅かでも残されているのなら……」  そう言って引こうとしない。  運命の番に出会えるのは、数万人に一人の確率とも言われている。むしろ出会えないまま生涯を終える者の方が多いくらいだ。  それを知っているからこそ、あいつは食い下がって来たのだろう。 ――目的は金か?  オメガは狡猾であざとい人種だ。かわいい顔で迫ってきて、アルファを食い物にするような輩ばかり。初心(うぶ)であどけない顔をしているが、大方こいつも俺の金が目当てなのだろう。  そっちがその気なら……。 「運命の番が現れるまででいいなら、側に置いてあげるよ?」  意地悪く、そう言ってみた。  絶対に番うことはない、期間限定の遊び相手だ……そう宣言されたら、プライドの高いオメガのことだ。激怒して俺の前から去るだろう。  そう思っていたのに、あいつは目をキラキラと輝かせながら 「ありがとうございます!!」  と心底嬉しそうに微笑んだ。 「見込みのない、しかも運命の番ではない相手に、なぜそこまで固執するの?」 「アルファに従属することこそが、オメガの悦びでしょう? 僕はあなたに支配されたい」  あいつはそう言って微笑んだ。  その答えに、上司の番であるオメガの言葉が思い浮かぶ。  もしや……と思い出身校を尋ねると、あいつは不思議そうな顔をしつつも、ある有名高校の名を口にした。 ――やはり。  それは、オメガだけが通える全寮制の高校だった。  特筆すべきはその授業内容。アルファにとって都合のいいオメガになるよう、教育を施すのだ。  上司の番もまたその学校の卒業生で、従順でアルファに決して逆らわない、理想のオメガである。 ――これは、いい玩具が手に入るチャンスかもしれない。  思わず口角が上がる。 「じゃあ今日から君は俺のオメガだ」 「はいっ!!」  こうしてあいつとの関係はスタートしたのだった。  あいつとの関係を両親に伝えると、早速調査を行ったらしい。  ベータばかりが生まれる家系に偶然生まれた唯一のオメガ。  共働きの両親と弟の四人暮らしで、自宅は三十五年ローンで購入した一戸建て。駐車スペースはあるが、庭のない狭小住宅だ。  小、中は公立の学校に通っていた、ごくごく一般的なベータ家庭出身のあいつ。  だからこそ、両親は俺たちの関係をこぞって反対した。 「きっと金目当てに違いないわ。あなたにはもっと相応しいオメガがいるから、即刻別れなさい!」 「大丈夫。その点は()()もちゃんと弁えていますよ」  俺に運命の番が見つかったらこの関係は解消するという約束だと言うと、両親もそれならば仕方ないといった顔をした。  運命の番と出会えるなんて、奇跡に等しい。叔父夫夫(ふうふ)のような巡り合わせ、普通ならあり得るわけがない。  それでも俺は、万が一の可能性に賭けたかった。  幼いころから抱いていた夢だったからか、両親も俺の気持ちを充分理解してくれて「今だけだぞ」と黙認してくれたのだ。  それでも 「三十歳までに運命が見つからなかったら、そのときは例のオメガとは別れて、私たちが選んだ相手と結婚すること」  と念を押してきた。  少しばかり不服ではあるが、両親としては最大限の譲歩といったところだろう。仕方なく俺もその言葉を承服した。  こうして俺は、あと数年を自由に過ごせることとなった。  その先の未来に、当然あいつは存在していない。  はずだったのだ――。 **********  あいつは思いのほか、俺の隣に置いても不都合ない男だった。  そればかりか妙な居心地の良ささえ感じる。  控えめな態度ながらも気が効くし、俺がなにも言わなくても欲していることを察知してくれた。あいつの前で俺はなにひとつ要求したことはない。言い出す前に、あいつが全てやってくれるからだ。  セックスだって、俺の要求したことはどんなアブノーマルなプレイでも、全て受け入れる。  羞恥に頬を染め、目に涙を浮かべながら喘ぐ姿は加虐心をいたくそそって、俺の心を満足させた。  万が一にも番になるわけにはいかないからと、あいつのヒートのときだけは接触を避けた。オメガのヒートは苦しいものだと聞くが、番になる気がないのだから仕方がない。  せめてもと、効きがよく副作用の少ない抑制剤を渡してやると、あいつは笑顔で受け取った。  はにかむような、控えめな笑顔。  そんな顔もかわいいなと思い、抑制剤を渡した自分を褒めてやりたい気分になったものだ。  あいつとの付き合いが長くなるにつれて、ほかのアルファの目に触れさせたくないという気持ちが高まっていった。  俺のためにこれだけ尽くしてくれる相手は、そうそういないだろう。  それを、ほかのアルファに奪われたら?   ――そんなことは許さない。  いても立ってもいられず、半ば強引に同棲に持ち込んだ。そしてマンションから極力出ないように命じた。  買い物は全てネット通販を利用。  さすがにヒートのときだけは実家に帰らせたが、それ以外は俺の言いつけをよく守り、あいつはマンションから一歩も出なかった。  当然だが、これは監禁ではない。  あいつにはマンションのカードキーを渡していて、いつでも出入りできる状況にしているのだ。  だがあいつは俺の言いつけを守って、自らマンションに籠もっている。  本当にいい拾い物ものだったと、俺は歓喜した。  そんな生活はもう三年ほど続いていた。  俺はあと数ヶ月で三十になる。  両親との約束の日は近い。  なのに未だ運命の番を見つけられずにいた。 「マッチングパーティーに行ってみたらどうだ」 「まだ数ヶ月は猶予期間があるはずですが」 「下見も兼ねて、今のうちから参加しておくのも手だ」  両親はそう言ったが、俺は気が進まなかった。  このころにはあいつのことを愛し始めていたからだ。  あいつは俺が探し求めている運命の番じゃない。  だけどそんなこと、もうどうでもよかった。  あいつだけが欲しい。  あいつ以外は要らない。  だけど両親は、あいつを番にすることを反対している。  それに最近になってあいつ自身が、俺の番になる気がないようなことを言い始めたのだ。 「早く運命の番が見つかるといいですね」 「あなたの番になる人は、きっと幸せですね」  そんな言葉を聞くたびに、苛立ちが募っていく。 「お前は俺の番になりたくないの?」 「僕はあなたの運命じゃありませんから……」  あいつは寂しそうに微笑んで、俺を拒絶した。  今まで蔑ろにしてきたツケが回ったのだろうか。 ――どうしたらいい?  焦る頭で打開策を考えた。  あいつだって本心から拒絶しているわけではないだろう。それが証拠に、あいつはマンションを出て行かないではないか。それに以前と変わらず、かいがいしく俺に尽くしてくれている。  大好き。  俺を見る瞳の奥が、今でも雄弁に語っているのだ。  俺がずっと、運命運命と言い続けたせいで、きっと拗ねているに違いない。 「運命よりもお前がいい」と一言告げれば、素直なあいつに戻るだろう。  そして次のヒートが来たら(うなじ)を噛もう。  両親は反対しているが、一度番になった者を簡単に引き剥がせるわけがない。  ただでさえ、アルファによる一方的な番解消が社会問題になっているのだ。大会社の社長である父は、世間の目を気にして反対しなくなるはず。父に言いなりの母も、これで黙るだろう。  そうと決まれば……。  俺はある計画を実行に移すことにした。 ********** 「オメガとのマッチングパーティーに出なくちゃいけなくなったんだ。……お前も来るかい?」  あいつにそう告げた。  マッチングパーティーには一応親の手前、参加することにした。  だが目的は、あいつ以外のオメガと出会うことではない。  あいつの目の前で、ほかのオメガに見向きもしないところをアピールした上で「お前が一番いい」と伝えるためだ。  周囲にも俺たちの仲の良さをアピールして、あいつが俺の番だと認識させる。  そうやって脇を固めたうえで、あいつを番にしてしまえば、両親だって頭ごなしに反対はできなくなるだろう。  それはとても妙案に思われた。  絶対に上手くいく自信があった。  これが俺たちの運命の分かれ道になるなんて、このときの俺は考えもしなかったのだった。 **********  パーティー会場は、大勢の人で賑わっていた。  参加者はアルファかオメガのみ。全員が番を求めて、貪欲に活動していた。 「お前も好きに遊んでおいで」  そう言ってあいつの側を離れた。  あいつも俺以外のアルファを知った方がいい。  そのうえで、俺が一番最高のアルファなのだと理解すればいい。  そんな俺に愛されているとわかったら、あいつは涙を流して喜ぶだろう。  ひとりになった俺の元に、オメガたちが群がった。  目線だけであいつを探すと、飢えたアルファどもに囲まれているのが見えた。 ――俺のオメガに群がりやがって……。  アルファどもに囲まれるあいつを見ただけで、苛立ちが激しさを増す。しかしそれを抑え、なんでもないような顔をしながらオメガたちと談笑を続けた。  しかし心はここにあらず。  思わず口元が緩む。願った未来はもうじき手に入る。  そう信じて疑わなかった。  なのに。  突然、熟れたリンゴに似た甘やかな香りが、会場中に漂った。  あいつのフェロモンだと、すぐに気付く。  以前、予定より早くヒートが始まった際に一度だけ嗅いだことがあるが、これはそのときよりも強烈に匂っている。  ヒートは二週間前だったはず。なのになぜ、こんなにフェロモンが香っているんだ?  俺は慌てて駆け寄った。  大勢のアルファに囲まれている最中に、こんなフェロモンを垂れ流しにして、万が一にも誰かに奪われたら……と恐れたのだ。  俺が近寄るとあいつは、トロンと蕩けた目で見上げた。  頬は紅潮し、呼吸が荒い。  息を吐き出すたびに、フェロモンがどんどん濃さを増す。 「チッ、場所を移動するぞ」  すぐに連れて行かなければ、ほかのアルファに手出しされてしまう。  一刻も早くマンションへ戻って、項を噛まなくては……。  あいつを抱き上げようとした瞬間。 「それに触るな」  低く鋭い声が辺りに響いた。声の主は、俺の友人だった。  その声に歓喜したあいつは、脇目も振らずに友人の胸に縋り付いたのだ。  まるで俺の存在など忘れたかのように。 「……っ、待てっ! そいつをどこに連れて行くんだ!」  それは俺の番だ。  俺の恋人なんだ。  頼む、連れて行くな。俺から奪わないでくれ!  心の中で何度も叫んだが、友人は俺の言葉を拒絶した。 「お前には関係ない。これは、俺の運命の番だ」  友人はあいつを抱いたまま、一度も振り返ることなく会場をあとにした。 **********  一週間後、マンションの荷物を引き取りに、あいつがやってきた。  隣には当然、元友人の姿が。手を繋ぎ、心底幸せそうに微笑むあいつ。  好き。  大好き。  愛してる。  元友人を見つめる目が、そう語っていた。  あの日、パーティー会場から去って行った元友人たちを呆然と見送った俺は、その姿が見えなくなってだいぶ経ってから、ようやく我に返った。  慌てて携帯に連絡したが、あいつや元友人が電話に出ることはなかった。メールやSNSも同様だ。  連絡が取れない間、俺はあいつを奪われたのではないかと気が狂いそうだった。  元友人から連絡が入ったのは、夜が明けてすぐのこと。 「番になった」  そう一言告げられて、俺はあいつを永遠に失ったことを知った。  友人との関係もそこで終わり。  こうなった以上、今までのような付き合いなど、できるはずがなかった。  二箱に纏められた段ボールを見て、あいつの持ち物はこれだけだったのかと、改めて愕然とした。  知らなかったのだ。あいつがなにを持っていたかなんて。  そんなこと知らなくたって、俺たちは上手くやっていた。  やっていたはずだったのに……。 「おい……」  去りゆく背中に、思わず声を掛ける。  少しでも俺を想う気持ちが残っているなら……一縷の望みを託す。  しかしあいつは美しく微笑みながら 「あなたにも、早く運命が見つかりますように」  と言って、今度こそ本当に去って行った。  その笑顔は綺麗で純粋で……俺が今まで見たこともない、美しいものだった。 ――俺はあいつに、あんな顔はさせてやれなかった。  俺と一緒にいるときのあいつは、はにかんだような、少し寂しげな笑顔ばかり浮かべていたのに……。  このときになって俺は、今まであいつに無理をさせていたのかもしれないと思い知った。  激しい後悔が押し寄せてくる。 「好きだったんだ……本当にお前を愛していたんだ……」  思わず零れた本心が、静かな部屋に溶けて消えた。
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