オメガ編

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オメガ編

 大好きな人がいる。  五歳年上のアルファ。  あるパーティーで偶然出会い、彼に一目惚れした僕は、その場で告白をした。 「僕を番にしてください!」  彼はフッと笑ったあと、拒絶した。  自分は運命の番を待っている。だから君とは番えない、と。  けれど僕は、どうしても諦め切れなかった。 「運命の番が現れるまででいいなら、側に置いてあげるよ?」  彼の言葉を、僕は受け入れた。  きっと彼にとってはほんの暇つぶし。  だけど僕にとっては大きなチャンス。 「君を好きになるなんて絶対にありえないのに、それでもいいの?」  僕は無言で頷いた。  だってもしかしたら一緒にいるうちに、僕を好きになってくれるかもしれない。  そうしたら番にだってなれるかも……そう思ったのだ。 「見込みのない、しかも運命の番ではない相手に、なぜそこまで固執するの?」 「アルファに従属することこそが、オメガの悦びでしょう? 僕はあなたに支配されたい」  へぇ……と言って彼は僕の出身校を訪ねてきたので、校名を告げるとクッと口角を上げた。 「あの学校出身なのか。……いいよ、君を飼ってあげよう」  ただし運命の番が見つかるまでだからね……もう一度念を押すと、僕の頬をゆっくり撫でた。  あれから三年。  僕は彼と同棲している。  彼のために家をピカピカに磨き上げ、心尽くしの料理を作る。  彼が疲れて帰って来たときは、リラックス効果のあるアロマを焚いて、全身マッサージも欠かさない。  請われれば発情期以外でもセックスをする。  逆に僕の発情期(ヒート)に抱かれることはない。  ヒートに当てられて、万が一にも頸を噛んでしまったら困る、と言う彼の主張を受けてのことだ。  だから僕はヒートの時期は実家に篭って抑制剤を服用している。 「それでいいの?」  ベータの弟には再三そう尋ねられた。  僕の答えはいつも決まっている。 「いいんだよ、これで」  だって好きなんだ。  彼の思うとおりに行動できれば喜んでもらえる。  あの大きな手で頬を撫でられて、優しい声で「お前はいい子だね」って褒められるのが僕の幸せ。無上の喜び。 「あっちに運命の番が見つかったら、兄さんは捨てられちゃうんだよ?」 「そうだね」 「だったらこんなこと、まるで無意味じゃないか!」 「無意味じゃないよ。今が幸せなら、僕はそれでいいの」  弟は、全くもって理解できないという目で僕を見た。  友人たちもそう。  親には泣かれてしまった。  都合よく使われている?  いいんだ、それで。  だってアルファの彼に征服されることが、オメガである僕の悦びなのだから。  僕はたしかにそう思っていたんだ。 ********** 「そろそろ番を作れと、両親が五月蝿くてね」  唐突に彼がそう言った。 「今度オメガとのマッチングパーティに出るんだ。……お前も来るかい?」  パーティには最上級のオメガたちだけでなく、優れた独身のアルファも数多く出席するという。 「もしかしたらお前の運命の番も、そこで見つかるかもしれないよ」  屈託無く笑う彼に、僕も笑顔で応える。  胸が激しく痛んだけれど、それはすぐに押し殺す。  アルファの言葉には逆らえない。  彼が喜んでくれるなら、それでいい。  だけど本当は……少しだけ、疲れてしまった。  自分から望んで始まった関係だけど、僕の思いが彼に届くことはない。  それが無性に悲しくて、苦しくて。  どれだけ支配されても、心が満ちることはなかったのだ。 ――やっぱり僕は、出来損ないのオメガなんだ……。  ベータの家庭に生まれた、唯一のオメガ。  ヒートが来るまでずっとベータだと思っていたからなのか、僕の考えは普通のオメガと違うらしい。  学生時代、クラスメイトたちに散々「オメガらしくなれ」と言われ、僕自身頑張って努力してきたけど……やっぱり僕は、本当のオメガにはなりきれないようだ。  きっと彼も、僕が出来損ないだから、少しの愛も与えてくれないんだろう。    離れなきゃいけない。  でも離れたら僕はどうなる?  先の見えない未来を思うと、不安だけが募っていく。  マッチングパーティーに出席しても、運命の番に会えるとは思えないけど、彼の言葉には逆らえない。 「僕も出席します。パーティーで、あなたの運命の番が見つかるといいですね」  激しくざわめき、泣き叫ぶ心を無理やり押さえ込んで、僕は笑顔を作る。 「あぁ」  彼は笑って、そう答えた。 **********  後日訪れたマッチングパーティは、大勢の人で賑わっていた。  会場に入ってすぐに別行動を取るように言われ、僕はすぐに壁際に避難する。  誰にも見つからなければいい……そう思っていたのに、あっと言う間にたくさんのアルファに話しかけられてしまった。  遠くにいる彼をチラリと見ると、彼もまたたくさんのオメガに囲まれている。美しいオメガたちを前に、悠然と微笑んでいる彼の姿を見ているだけで、胸が苦しい。  いけない、こんな感情は。  彼が幸せになることが、僕の喜びなんだから。  たとえそれが、ほかのオメガとであっても……彼が幸せなら僕はそれで構わない。  虚ろな気持ちで目の前のアルファたちと会話を交わしていると、不意に鼻孔を爽やかなミントの香りが(くすぐ)った。  香りは徐々に濃さを増し、背中がゾクリと震える。  胸がバクバクと音を立てて、体の奥は燃えるように暑くなり、全身から汗が吹き出た。  あっ……と思う間もなく、香りに酔ってふらついた僕はその場に崩れ落ちてしまったのだ。 「どうした!?」  彼が慌てて駆け寄ってきた。 「……ヒートか!?」  はぁはぁと荒い息を吐くことしかできない僕を、驚きの表情で見る。  それもそのはず。  ヒートは二週間前に終わっているのだ。  こんな短期間でヒートが来るなんてあり得ないのだから。  だけど僕の下半身は激しく疼き、後孔が愛液で濡れそぼっているのがわかる。  ちょっとの刺激で射精してしまいそうなほど、体は敏感になっていた。 「チッ、場所を移動するぞ」  彼が僕を抱え上げようとした瞬間。 「それに触るな」  低く鋭い声が辺りに響いた。  あからさまな威嚇に、周囲のアルファたちがたじろぐ。  霞む目で声のした方を見て、僕の両目から滝のような涙が溢れた。  その人は愛おしそうな目で僕を見つめながら、一歩ずつ近付いてくる。  すぐにわかった。 ──この人が、僕の運命の番……。 「待たせてすまなかった。ずっと、探していたよ」  厚い胸板に縋りながら 「会えただけで嬉しい……」  と呟くと、番は満足そうな顔をしながら僕を抱き上げた。 「……っ、待てっ!」  彼が叫ぶ声がした。 「そいつをどこに連れて行くんだ!」  番は彼を一瞥すると 「お前には関係ない。これは、俺の運命の番だ」  そう言って会場を後にした。  番のマンションに運び込まれた僕は、その日のうちに頸を噛まれて、正式に番となった。  翌日、家族に番を紹介すると、皆手放しで喜んでくれた。 「あのまま質の悪いアルファに囲われたままだったらどうしようかと思っていたわ……」  そう言って泣く母を見て、僕は自分がどれだけ愚かなことをしていたのか、初めて思い知った。 「僕はなんて親不孝者だったんだろう」 「親御さんも君も、その分これから幸せになればいい。俺は絶対不幸になんてしないから」  そういうと番は、僕の唇にキスを落とした。  番の家で暮らすために、彼の家にある荷物を取りに行った。  一緒に暮らしていた年月は長いけど、彼にいつか番ができたとき、すぐに出て行けるようにしていたため、僕の私物は限りなく少ない。  あっという間にまとめ終わり、ダンボール二箱に収まった荷物を持って彼の家を後にした。 「おい……」  声をかけてきた彼に 「あなたにも、早く運命が見つかりますように」  そう言って僕は、精一杯の笑顔でサヨナラを告げた。 「呆気なかったな。いいのか?ずっと一緒に暮らしていたんだろう?」 「……彼のことはたしかに好きだった」  それこそ番になりたいと切望したほどに。  でも。 「もう過ぎたこと。僕にはあなたがいるから」  番いたいと思った相手を簡単に捨てて、次の恋を掴み取った僕を、移り気なやつだと思うだろうか。  だけどもう、どうしようもないんだ。  僕の心はもう、番以外には動かない。  番以外は欲しくない。本能がそう叫ぶ。  とは言え、身勝手な行動だと思われたらどうしよう。  もしも嫌われてしまったら……? 不安がよぎる。  けれど番は僕の頭をクシャッと撫でて 「過去なんて必要ない。それにあの男に連れられて行ったマッチングパーティで出会ったのも、運命の一端だったのかもしれない。君は俺に会うために、あの男の側にいたんだよ」  番の優しい言葉に、僕の胸は暖かいもので満たされていく。  今までずっと、望んでも手に入らないものを、番は簡単に与えてくれる。 「運命の番……ずっと嫌な言葉だと思っていたけど、あなたに出会ってこの世で一番尊い言葉に変わったよ。……愛してる」  俺もだよ、そう言って彼は再びキスを落とした。  その唇の温もりに、僕は新しい世界の始まりをたしかに感じたのだった。
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