永別にしないために

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「私はただの一度も将棋や囲碁で稔磨さんに勝てたことはありませんよ」 「…」 せめて最後のプライドで後手に回ろうと思っていた伊藤だったが、紗恵の言葉を聞くと、無言で盤を回して白の駒を自分に向けて先手を取った。 自分を易々と下した紗恵ですら歯が立たない稔磨相手に、後手では分が悪いと判断したのだ。 稔磨はついさっき初めてチェスを見たにも関わらず、だ。 稔磨は苦笑すると開始を促す。 「よろしく」 「ああ」 伊藤は先程と同じようにポーンを進める。 稔磨も悪手を打つことなくセンターを狙いに行く。 将棋とチェス、この2つのボードゲームは似ているようで、実は大きく違う。 将棋をやり慣れた人間は、似ているがゆえに将棋のセオリーに囚われやすく、チェスでは本領を発揮しにくい。 しかし、稔磨は決して囚われることなく、チェスのルールに柔軟に対応して伊藤を追い詰めていっている。 まだ序盤だというのに、稔磨は圧倒的だ。 傍目の紗恵は、初心者というハンデをものともしない稔磨に自らとの差を思い知った。 相手をしている伊藤は、それを恐怖とも思えるくらい痛感させられているのではないだろうか。
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