「ルーシー」

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「ルーシー」

 発達しすぎた文明、行き過ぎた環境破壊による地球への深刻なダメージを重く見た異星人が、全世界共通のタイマー『人類滅亡時計』を設置したのが今から十年前。  どこからともなく世界中の天空に訪れた異星人らは、人類のどんな武器でも破壊出来ない巨大電光掲示板を大地に落とした。 『十年後、人類を滅亡させます』  というメッセージと共に突如としてカウントダウンは始まり、そのタイムリミットはきっかり十年だった。  人類は、大笑いした。  こんなもので我々の文明が滅ぶわけがない。  なにかのジョークだろう。  十年と言わず、今すぐ滅亡させてみればいい。  世界はやがて『人類滅亡時計』の存在を忘れ、もとの破滅的な日常へと戻って行った。繰り返される戦争。特権階級によって独占される富。意図的にばら撒かれる疫病。手をつなぐことを忘れた人類は、電光掲示板を見上ることさえしなくなった。  五年が過ぎた時、とあるカルトサークルのメンバー四人が『人類滅亡時計』の前で集団自殺した。 「私たちに未来はないだろう」 「しかし、我々は異星人に殺されることを望まない」 「我々の求めた幸福はもはや存在しない」 「先に行って待っている」  彼らは口々にメッセージを叫び、その場で首を切って自害した。それらの光景は『人類滅亡時計』の前に設置された定点カメラに納められ、インターネットを通じて全世界に配信された。  その日から『人類滅亡時計』の電光掲示板は、Linda、Urkiola、Cynthia、Yorikoという四人のメンバーの名前から頭文字を取って「ルーシー」と呼ばれるようになった。  ルーシーは、以前僕が飼っていた犬の名前だ。  時間にルーズな僕はいつも寝坊して、学校では遅刻の常習犯だった。僕は朝になるときまって、止めた記憶の無い目覚まし時計をひっつかんでこう言うのだ。 「ああ、ルーシー、言っただろう。アラームが鳴ったら吠えてくれって」 「ハァハァ、ハァハァ」  ルーシーはきょとんとした顔で舌を出し、黙って僕を見返していた。  ルーシーが死んだ時、僕は硬くなった彼女の身体を抱きしめて大声を上げて泣いた。今から六年前だ。だから集団自殺したカルトサークルのせいで、『人類滅亡時計』にルーシーの名前が付けられことが僕は許せなかった。 「完成したわよ、ミトーメ」  声を掛けられ振り返ると、部屋の入口に幼馴染のフーミーが立っていた。 「やあ、間に合ったんだね。本当に完成するとは思わなかったよ。君は天才なんだね」 「まあね。だけどテストが出来ないもんだから、ぶっつけ本番になっちゃうわ。もし失敗したら、まあ、そうね、死ぬわね」 「いいさ、どうせ人類は滅ぶんだから」 「もし全てが異星人の仕掛けた壮大なジョークだったら?」 「いや、宇宙連邦の最新データによれば、もう既に地球上どこにいたって逃げきれない数の怪光線発射装置がスタンバってるそうだよ。言ってみれば、そうだな、人類消滅ビーム、いや、皆殺し怪光線だね」 「ルーシーと同じ物質で出来ていて、絶対に壊せないっていうアレね」 「うん。その、ルーシーっていう呼び名は嫌いだけどね」 「ごめんごめん。だけどホラ、これがあれば、私たちだけは生き残れるかもしれないわ」  フーミーの手には、彼女の親指よりも一回り程大きな筒形の機械が握られていた。彼女はそれを、『ハイパー跳躍装置』と呼んでいた。分かりやすく言えば、時間を五分間だけ飛び越える事が出来るスイッチだそうだ。原理は分からない。自称天才科学者であるフーミーがその装置の作成に取り掛かり始めたのが、今から丁度十年前。『人類滅亡時計』が設置された直後だった。  完成するとは思わなかった。というか、本当に完成しているかどうかは誰にも分からない。 「パパとママが、さっき自殺薬を飲んで静かに息を引き取ったわ」 「僕のところもそうさ。地下室のベッドに、綺麗な姿のまま並んで寝ているよ」 「私たちも、そうする?」 「いや、僕は人類の最期が見たいんだ。世界中の空から『皆殺し怪光線』が降り注ぐ様子を見ながら死んでいくんだ」 「あら、生き残るのは嫌? 私と二人で」 「もし、ホントに生き残れるなら、相手は君がいいよ。だけど、どうかな」 「……あと、何分?」  僕は部屋の壁掛け時計を見上げて、あと一時間だと告げた。  それから僕たちは、短い自分たちの人生について語り合った。  楽しかったことも悲しかったこともたくさん経験したはずなのに、確定的に訪れる死を前にすると全てが虚しく感じられた。僕たちは何度もキスをした。そして驚く程激しく泣いた。死んだ両親に対する愛情が、今更僕たちを追いかけて来たらしい。いや、これから始まるはずだった、僕たちの未来を失った悲しみのせいでもあるだろう。 「あとどのくらい?」 「もうそろそろかな、あと五分くら……い」  フーミーに言われて時計を見上げ、ぎょっとした。 「時計が止まってる」 「え?」 「さっきと同じ時間を示してる。まずいな、テレビをつけよう」 「今日の午前中で全ての放送が終了したわ」 「なら、インターネットで定点カメラの映像を見よう。ライブ配信だから平気だよ」 「駄目、サーバーがダウンしてるもの、来る時確認した」 「そんな」 「どうしよう。この『ハイパー跳躍装置』は押した瞬間から五分間だけ地上からいなくなれるの。そしてきっかり五分後に元居た場所へ戻って来る。押すタイミングを間違えたら、さよならバイバイよ」 「『皆殺し怪光線』が発射されたタイミングで押すのはどう?」 「それ、いつ分かるの? それを知る為にルーシーが設置されたのよ?」 「ルーシーって呼ばないで」 「ごめん、でも、どうするの?」 「『皆殺し怪光線』の仕組みは解明されているんだ。全世界同時に人間だけ消滅させるビームが発射される。だけど、一瞬なんだよ。膨大なエネルギーを消費するから、照射される時間はほんの一瞬だって聞いた。だからその瞬間を知ることさえ出来たら」 「だけど言い換えたら、ほんの一瞬で人類を消せるビームだってこと。そんなの逃げきれないわ。……ホラ、ホラ、もう、今かもしれない!ああ、次の瞬間かもしれない!」  僕とフーミーは『ハイパー跳躍装置』を握りしめたまま、部屋の窓から空を見上げた。真っ青に晴れ渡った大きなキャンパスの向こう側に、薄っすらと、信じられない程巨大な宇宙船が見えた。 「もう、諦めましょう、ミトーメ。最後の最後に、君と喧嘩なんてしたくない」 「そうだね、もう諦めよう、フーミー。ごめんよ、まさか時計が止まるだなんて」 「いいわ。こうして手を取り合って死ねるんだもの。悪くないわよ」 「僕もそうだよ。ねえ、フーミー。どうして異星人は、十年間の猶予をくれたんだろうね?」 「さあ。『ハイパー跳躍装置』の完成を待っててくれたのかしらね」 「僕らのためにかい?」 「ロマンチックじゃない?」  ハァハァ、ハァハァ。  突然、声が聞こえた。  いや、それは声じゃない。……息遣いだ。 「ルーシー?」 「え? ミトーメ、今、ルーシーって言った?」  ウーーーーー、ワンッ!!! 「いまだ押せフーミーッ!」  たった五分に満たない時間で、この地球上を支配していた人類が音もなく消滅した。あとに残されたのはかつて誰も味わったことがないであろう静けさと、動植物たちだけだった。人類の歴史は終了したのだ。  この僕と、フーミーを除いて。   「ルーシー」、了  
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