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「あ、そういえば……」  あまりこういう話をできる相手がいないせいか、真面目な顔でオカルトについて喋りながら、莉乃はどこかうれしそうにしていたので、美名はもう少しこのオカルト談義に付き合うことにした。 「なに?」 「今朝ね、うちのマンションの同じ階に住んでる人が、夜中に変な音が天井から聞こえてくるって言ってたのよ。あれってもしかして、心霊現象なのかな?」 「音、ラップ音かな?」 「具体的には聞いてないけど、天井裏を何かが動いてるような音なんだって」 「ふうん……」  莉乃はアゴに手を当てて何やら考え込むような顔をした。 「今まではそんなことあったの?」 「いや、たぶん最近始まったことだと思うけど。わたしは聞いたことないし」 「うーん……、それじゃただ単にマンションの上の人がドンドンしてるだけじゃない?」 「やっぱり、そうなの?」 「勝手にテレビが点いたり、電気機器が誤作動したりはしてないんでしょ?」 「それはないと思うけど」 「だとしたら、ポルターガイスト現象の可能性は否定できないわけではないけど……、たぶん霊の仕業じゃないわね。単なる空耳か、人為的な何かでしょ」  美名が予想していたのとは違って、常識的な反応だった。毎日怪談に触れている身からすれば、多少異音がするくらいでは興味の対象外になってしまうのだろうか。  美名は今朝の理佐の姿を思い出しながら、 「そう。じゃ、今度その人に会ったら、そう言っとくね」と言った。  わざわざ理佐の部屋を訪れてまで報告するようなことではないし、またそのうちマンションの廊下で会うだろう。  昼休みの終了を知らせる予鈴が、校舎の壁を登ってくるようにして聞こえてきた。掃除の時間が始まるのまでにはまだちょうど10分の余裕があるので、美名も莉乃も動こうとはしない。 「あ、そうだ、大事なこと忘れてた。美名に、聞かなきゃいけないことあったんだ」  莉乃はその場に立ち上がった。 「何? 何かあった?」美名は座ったまま、莉乃を見上げる。 「うちのクラスの園田って知ってる? 園田北斗(そのだほくと)」 「あの、サッカー部の人?」 「そう」  園田北斗は校内でも有名人だった。一年生のときからサッカー部のレギュラーに抜擢されて、活躍している。そこそこイケメンで、サッカーにはほとんど興味もない美名でもその名前を知っている。 「園田君が、どうかしたの?」 「今日、ここに来る前ね、園田がめずらしくわたしのとこに寄ってきて、『3組の城岡美名さんと仲いいの?』とか聞いてくるのよ。中学からの友達だけど、って答えたら、『城岡さん、今彼氏いるの?』とか聞いてきてさ。もしかして園田、美名に気があるのかもね」 「え?」思わぬことを言われて、美名は戸惑い、絶句してしまう。 「そんで、城岡さんのSNSのID教えてくれ、みたいなこと言ってくるのよ。自分で聞けば? て言ったんだけど、どうしてもって頼まれてね。とりあえず、『勝手には教えられないから、いちおういいかどうか本人に聞いてみる』って言っておいたけど。どう? アイツに美名のID教えてもいい?」 「え……、いや、どうしよう……?」  戸惑ってる美名を見て、莉乃は少し悪戯っぽい表情でニヤつく。 「初彼氏ができるチャンスじゃん。しかも、学校でも人気者の。まあ、アイツ部活が忙しそうだからあんま一緒に遊ぶ時間なさそうだけど、悪くないんじゃない?」  美名は頭の中に、記憶を頼りにして園田北斗の姿を思い描いた。放課後の運動場、オレンジのユニフォームを着てボールを追いかけている姿を、何度か見たことがある。運動部にしては珍しく長く前髪を伸ばしていて、日焼けが絶えることのない顔は濃く色付いている。女子のあいだで人気なのに、浮いた噂は一度も聞いたことがなかった。 「どうする? 断っとこうか?」  美名はためらいがちに、 「いや、別にかまわないけど……」 「そう。じゃ、教えとくね。心配しなくても、そんな固く考えなくてもいいって。気に入らなけりゃ、ブロックしちゃえばいいんだから」  同年代の女子はほぼ例外なく関心事の少なくない部分が恋愛や好きな男子のことで占められているものだが、美名はこれまで、自分に恋人ができるところを想像したことがほとんどなかった。ここ3年ほどは、一度もないと言ってもいい。  仮に自分を好きになってくれる男子がいたとして、お互いのことを深く知るようになった場合、自分のこの家庭環境をどう説明したらいいのだろうか。それを考えると、つい二の足を踏んでしまう。何を始めるにしても、とりあえず家を離れて環境を変えてからじゃないとできない。  空から、勢いのついた大きな水滴がひとつぶ、顔に落ちてきた。  顔を上げると、たちまち玉のような形の大きな雨粒が、続けて降ってくる。 「あ、やった! これで体育中止になるわ。ラッキー」莉乃が六月の雨を歓迎するかのように、両方の手のひらを空に向けた。  掃除の時間の開始を知らせるチャイムが鳴った。
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