反射する夏

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―――7月上旬某日 梅雨の晴れ間に、学校のプール掃除が行われていた。約、一年間使用されていなかったそこは、緑色に変化していて見るものおぞましい程に汚れていたのだが、水を抜いた後に俺達三全員がせっせとブラシを掛けて磨くと綺麗な水色の底が見えた。 (授業のプールなら入っても良いんだよな) そう考えてしまうのは、持病である喘息が悪化して発作が起きてしまったからだった。 そのせいで、水泳チームの大会を棄権せざる負えなくなってしまった。持っていたブラシに寄りかかってうなだれていると篠生と声を掛けられる。 「んー?」 「どうした?」 「いや、なんでもない」 「今日アイスでも食いに行かね?」 目の前に現れた、友人の秋がにっこりと笑って言った。 (やべ、気遣わせた) 「おぉ。行くかー!」 俺はブラシをかんかん鳴らして答える。 「俺、チョコミントにしよ」 「またぁ?少しは冒険しろって」 「えー?じゃ、篠生は?」 「俺、ロッキーロード」 「お前も毎回同じじゃん!」 げらげらと笑い合う。 殆どの友人が、俺の病気の事を知っているのでこうして気を遣わせてしまう。 良い友達を持ったわね、と母に言われた事を思い出した。 (腐ってもしょうがないしな) 喘息のおかげでわかった事もあるし、こうして高校生らしく放課後に遊びにも行く様になった。 悪い事ばかりではないと食べるアイスを悩む友人を見ているとそう思えてくる。 「じゃ、大納言にしようかな?」 「……。普通じゃね?」 プールの掃除を終えて、教室に戻ってきた俺はタオルを忘れた事に気がついた。 汚れると思い、フェンスに掛けて置いたのだが持って帰って来なかった。 面倒だが、取りに戻るしかない。 「秋、タオル忘れたから取りに行ってくるわ」 「ほーい」 幸い、HRも終わっている。 秋はスマホに夢中で声だけで返事を寄越した。 教室を出てプールに戻るとそこには既に少しだけ水が溜まっていた。 底に溜まった水がきらきらと反射していて眩しさに目を細める。水面に反射する太陽が綺麗で飛び込み台に浅く腰掛けて水がぽこぽこと溜まる様子を眺めていた。ポケットに入っているスマホが鳴ったが見る気がせずに、ただぼうっとしていると足音が聞こえた。 誰かいたのか、と思いながら音のする方に目を向けると、そこには学年で一番有名な生徒が立っていた。 「天武?」 天武と呼ばれた男は微笑んだ。 「俺の名前、知ってるんだ」 知っている、というよりは知らない人はいないと言った方が正しい。 天武翔太は頭脳明晰、容姿端麗、加えてスポーツ万能という類稀なる才能の持ち主である。 顔立ちはロシア系の血が四分の一入っていて地毛が茶髪で肌は白く、すっと通った鼻立ちとぱっちりとした目。 学校で一番モテると言っても過言では無く、女子生徒に告白されている所を俺も見た事があった。 「え、まぁ、お前人気者だし」 「そんなことないよ」 俺は戸惑いながら返すと、天武はさらりと謙遜して隣の飛び込み台に腰を掛けた。 (おいおい、座るのかよ) 天武とは一度も同じクラスになった事がないので、まともに話すのは今日が初めてだ。 少し緊張しながら天武を窺うと目が合う。 ぱっちりとした大きな目は、少しだけ青み掛かっている。 (こういうのってブルーアイズっていうんだっけ) 「お前の目、綺麗だなぁ」 「え?」 彼の目を凝視しながら思わず呟いてしまった言葉に、天武が驚いた声を出す。 「あ、ごめん。―――目がすげぇなって思ってさ」 自分の語彙力に呆れながらも素直に言うと天武がぶっと笑い出した。 「あはは!水野って面白いね!」 「別に普通だろ」 (なんか……話してみると想像と違うな) 俺の勝手な天武のイメージは王子様という印象だった。誰にでも分け隔てなく優しくて、困った人に手を差し伸べて囚われたお姫様を助ける、誰もが想像する様な典型的な姿を思い描いていた。 今みたいに腹を抱えて笑う姿を見ると、天武も一般的な男子高校生なのだと実感する。 「はぁ……。久しぶりにこんなに笑った」 「いや、ほぼ初対面で男から目が綺麗って普通に考えてキモかったわ、ごめんな」 「ううん。容姿を褒められる事はあっても目は初めてだったから新鮮だよ」 天武が言うと嫌味に聞こえないから凄いと思う。 「まぁ、容姿は誰から見てもイケメンだろ」 「水野から見ても?」 「え?あぁ、そうだな」 天武の目が俺を射抜くように見つめられ、何故か心臓がどきりとした。 「水野からイケメンと思われたなんて嬉しいね」 「なんでだよ」 「女の子からはよく言われるけど、男からはあまり言われないから」 (それは、僻みや嫉妬があるからな!) 「そりゃそうだろ。お前のせいで失恋する羽目になる奴がどんだけいると思ってんだよ」 「失恋ね……。―――水野は経験あるの?」 失恋経験の有無を聞かれたが正直な所、幼い頃に片思いしたスイミングクラブの先生に振られた事しか思い出せない。もう少し大人になってからね、と言われて大泣きした消したい過去である。 「大昔に苦いのが一回。天武はあんのか?」 「俺は片思い中だから失恋はまだ」 「え?天武って今フリー?!」 俺は、思わず大きな声で聞き返してしまう。それは、クラスメイトがしていた噂話で他校のミスコンに選ばれた程の可愛い女子生徒を付き合っているというのを聞いていたからだ。 「今って?随分前からいないけど?」 「……まじか」 噂は信用できないものだ、と考え込んでいると天武がにこりと笑った。 「だから片思い中だって」 「そうか、頑張れよ」 さして応援するつもりもないが、とりあいず頑張れと言っておく。 (お前なら即オッケーが貰えるだろ) 「やる気のない励ましをありがとう。――ところで水野、なにかプールに用事あった?」 「あ!そうだ!タオル忘れたみたいでさ……。―――あれ?フェンスに掛けて置いたんだけど」 当初の目的を思い出して、タオルを探すが見当たらない。 「ないっぽいけど?」 天武が辺りを見回して気まずそうに言った。 「おかしいな、先生が持っていったのか?」 生徒の忘れ物を先生が持って帰ってくる事はよくある。 「じゃ、俺が聞いておくよ?今回プール掃除の担当者ってうちの担任だし」 「でも悪いだろ、今からでも聞きに行ってくるわ」 「今は職員会議中だよ」 「……。じゃ、申し訳ないけど頼んでいいか?」 勿論、と天武が太陽にも負けない程の眩しい笑顔を見せた。 天武君が呼んでるよ、とクラスの女子に言われて振り向くと教室の入り口にその人物が居た。 クラスの女子達の視線を感じながら、呼び出した天武の元に向かう。 「おはよう」 今日も眩しい程の笑顔で挨拶される。 後ろで女子達が騒ぐのが聞こえた。 (やっぱり人気だな、こいつ) 「おう。昨日は、長く話し込んでごめんな?」 「ううん。これ忘れてたタオル」 天武が紙袋を渡してくる。 「あぁ!ありがとな!やっぱ先生が持ってた?」 「うん。昨日、俺が家に持って帰って洗濯しちゃったんだけど大丈夫?」 さらりと告げられて驚く。 丁寧に袋にまで入れてくれて、尚且つ洗濯をしてくれたらしい。 「いやいやそんなに気を使わなくても!」 「別に普通でしょ?」 「……。お前、何気に良い奴だなぁ」 天武の紳士的な優しさに本音がぽつりと零れた。 「それ褒めてる?」 「当たり前だろ?さすが王子様って思ってる」 「王子様?」 「あぁ、俺の中の天武のイメージ」 ふざけて言うと、天武がにやりと口元だけ上げた。 「それはそれは光栄ですね、お姫様」 天武は王子様口調で俺の頬を右手の甲でそっと撫でると、途端に教室から悲鳴と絶叫が聞こえる。 「おいおい、女子達騒ぎ過ぎだろ!」 視線は無視していたが、騒音は無視が出来ずに振り返って注意する。 『水野が邪魔で天武君が見えない!』 『え、BL?真面目にBL?!』 『どっちが攻め?』 女子達が一斉に喋り始めて、訳がわからない。 「なんだよ、攻めって。意味わからんわ」 女子達の不思議な発言に首を傾げる。 「一組の女子は元気だねぇ」 「うるせーだけだろ」 「元気があって良いよ、うちは静かだからさ」 「四組は落ち着いてるもんなぁ」 四組は進学コースで全クラスの中でも学力が良い生徒のみのクラスである。 学校自体の偏差値はそれほど高くはないが、四組は志望校を落ちた生徒や、学力のレベルを下げて入学した生徒が多い。なので、基本的には一年から三年までずっと四組という生徒がほとんどだ。 (多分、天武もずっと四組だったような気がする) 「水野も遊びにおいでよ」 「いや、遠慮しておくわ」 以前から四組の雰囲気はどことなく近寄りがたい。 一組から三組までが就職コースの生徒ばかりなので、四組の生徒とは進む道が完全に違っている。 どことなく四組の生徒から下に見られる様な気がするので、行きたくなかった。 「水野と同じ中学の嵯峨もいるよ?」 「……。あぁー……。嵯峨ね。でも俺、中学の時からそんなに接点無いし」 素っ気ない言い方にならないように努めながら言う。 嵯峨基晴は小学校から同じで現在も同じ高校に通っているが、性格に少々問題がある。 中学である出来事が起こって以来、完全に絶縁状態になったきりまともな会話はしていない。 (まぁ、あいつは話掛けてくるけど) 出来る限り嵯峨とは関わらないと俺は決めている。 天武と嵯峨が話すというのも意外だが、王子様は誰にでも優しいものだ。 「そっか。いつでも遊びに来てね」 「はいはい。あ、タオルのお礼するわ。なんか食いたいもんとかある?」 「え?」 天武がきょとんとした顔で俺を見る。 「そんなに驚くことか?」 「いや、びっくりして」 「親切にしてもらったんだから当然だろ」 そう言って笑うと、視線を逸らされた。 「あー……。じゃ、考えておくね」 「お、おう」 不自然に目線を逸らさせたので、少々強引だったかと反省する。俺は仲良くなれると思ったが、天武はそうは思っていないかもしれない。 自分の奢りを反省しつつ、嫌だったら断ってくるだろうと思っていると天武の友達がやって来た。 「次、移動だから行くね」 「タオルありがとな」 ひらひらと手を振ると、廊下を移動していた四組の生徒の中に嵯峨を見つけたので急いで俺は教室に戻った。 「で?」 「なに?」 「いつから天武と仲良くなったわけ?」 仲良くなった、と思っているのは俺だけかもしれないがとりあいず質問に答える。 「あー昨日?」 秋から取り調べみたいな質問を受けていると、クラスの女子達も秋の後ろで腕を組みながら俺の回答を待っていた。 (だからこえーよ、まじで) 「なに?!昨日って!」 仕方なく、昨日起こった出来事を正直に話すと女子達は羨望の声を上げていた。 「天武ってどことなく近寄りがたいイメージあったけど、普通に良い奴だった」 王子様は、庶民Aの俺にはあまりにも遠い存在である。 「ほんとにー?俺達就職コースを馬鹿にしてない?」 「してないって!」 「進学コースの奴ってこえーもん」 「それは俺も同意するけど、天武はそういう奴じゃなさそう」 「そうかなー?」 秋は疑いの目を俺に向けてくるが、話をした感じは嫌な雰囲気は微塵も感じなかった。 むしろ、俺達就職コースの生徒が壁を作ってしまっているのかもしれない。 (嵯峨みたいに嫌な奴ばっかりじゃないよな) 仲良くなれると良いなと思いながら、授業の準備を始めた。 がやがやとうるさいHRで担任が告げた言葉の俺は衝撃を受ける。 「この前の世界史の小テストで50点以下の奴は今日居残りなー」 クラス全員から不満の声が上がるが担任は取り合わない。 「うるさーい。お前らなぁ、俺が担任なんだから世界史もっと頑張れよ!」 『無理―!』 『世界史とか意味わかんないし』 ヤジは完全に無視さて、居残りの生徒の名前が次々に呼ばれていく。 (呼ばれませんように……呼ばれませんように……) 世界史が得意ではない俺はひたすら祈っていた。 「最後は篠生な」 その祈りも虚しく、担任は笑顔で俺を呼んだ。 HRが終わった後、居残りの生徒は授業の復習を行ってから小テストの見直しを命じられた。 どこが間違っていたのかを早々に理解して、職員室に提出していくクラスメイトを見送りながら問題を見直していたが教室に一人になってしまってどこか心もとない。 さっきまで降っていた雨は止んでいたが梅雨空のどんよりした空気が教室に漂っていた。 「はーあぁ……。もっと頭良く生まれたかったわ」 小テストの回答を見ながら独りごとが零れてしまう。これ以上、考えてもわからないので諦めて職員室に向かおうと考えた時に教室の扉が控えめにノックされた。 誰だ、と思いながら後ろの扉を見る。 「篠生?」 (最悪だ) 極力関わりたくない相手の嵯峨が扉を開けて入って来る。 「……なんか用?」 「高橋先生は?」 高橋とは俺の担任である。 「今、職員室にいるよ」 話したくはないが、聞かれた以上仕方なく答えた。 「そう」 「うん。じゃ」 これ以上話したくなかったので俺は席を立った。 「どこ行くの?」 「職員室」 嵯峨の方を見ずに答える。 「じゃ、俺も行くわ」 「なんで?なんか用事あんの?」 「あるから来てんだけど」 嵯峨の神経を逆なでする会話に苛々するが口を開くと口論になりそうだったので、聞こえないふりをした。 後ろから嵯峨が付いてくるのを無視しながら歩く。 「篠生、居残りだったの?俺が教えようか?―――って篠生、聞こえてるだろ?」 「秋に教えてもらったからいい」 「あいつに教えてもらってもなぁ」 嵯峨は人を小馬鹿にしたり見下したりする態度を普通にとる。 そこには悪意は存在していなく、素なのだ。 (悪意がある方がまだ可愛いんだよ) 「秋は頭良いからな」 「まぁ、篠生よりはね。でも秋だってそんなに成績が良いわけじゃないよね」 俺を馬鹿にするのは構わないが友人の悪口を言われると非常に不愉快だった。 「……。お前さ、いい加減にしろよ」 振り返るとけろりとした表情の嵯峨と目が合う。 黒曜石色の瞳を睨むが、表情は変わらなかった。 「高校三年になっても、篠生は馬鹿だなぁと思ってさ」 「だから?俺が馬鹿でもお前に関係ないだろ」 「ないけど?」 「……。あのさ、お前が俺を嫌いなのは一向に構わないんだけど。 ―――俺もお前とは極力関わりたくないの。だからほっておいてくんない?」 黒曜石が微かに揺れる。 真っ黒なそれは嵯峨の人間性を表したかの様だった。 俺は嵯峨に背を向けて、職員室まで足早に歩いて行く。 相容れない人間は本当にいる。嵯峨にとっては俺がそれで、俺にとっては嵯峨がそれだ。 苛々しながら目的の職員室に入ると、担任が暢気にお茶を飲んでいたので当り散らす。 「なんだ、なんだ反抗期か?」 「別に。―――はい、これ小テスト」 「おう。頑張ったな」 頭をわしゃわしゃ撫でられて少しだけ苛々が収まった。 嵯峨が入って来たのが見えたので、目も合わせずに俺は職員室を出た。 頭がぐるぐると怒りに支配されながら、帰宅しようとすると玄関口へ出ると水野と呼ぶ声がした。 「良かった!まだ帰ってなかった」 「天武……」 鞄を持って玄関口に走ってくる天武が見えた。 「水野?なんかあった?」 「いや、なんもないよ」 俺の様子がいつもと違うと感じたのか天武が訝し気にこちらを見た。 嵯峨の事は話したくなかったのですぐにとぼけたが、天武は意外に鋭い。 「そう?―――あの、朝の話なんだけど」 「あーなんかごめんな?無理に誘ったみたいになって」 天武が嫌なら、と言うとぐいっと左腕を掴まれた。 「嫌じゃないよ」 天武の綺麗な瞳がまっすぐに俺を見つめた。 美しい宝石みたいなブルーアイズに射抜かれてどきりと心臓が鳴る。 「あ、うん……。―――ならどっか行くか?」 「実は俺、お好み焼きが食べたいんだよね」 「お好み焼き?別に良いけど」 なんで、と聞くと天武は困った顔をする。 「あまり食べた事がないから……その、食べてみたくて」 「そうなのか?じゃ、食べに行くか」 「うん」 嬉しそうにする天武を見て安心する。 お好み焼きを食べてみたいと照れる天武を見て先程の嵯峨に対しての苛々も収まってくる。 その後俺達は、互いの連絡先を交換して夜に日程を決めることになった。 ベッドに寝転んでいるとスマホが鳴る。 メッセージアプリには翔太という名前が表示されていた。 『水野、連絡先教えてくれてありがとう これから宜しく』 その言葉に、笑いが込み上げてくる。 『それは俺の方だろ。天武とラインしてるって言ったらクラス中が発狂しそうだな』 主に女子達が。 『そんな事ないよ。それに水野だって俺のクラスで人気だよ?』 (ははは。ありえねー!) 『いや、それはない』 『ある。水野君ってかっこいいって言ってるし』 『そもそも四組の女子と接点ないだろ』 『去年の、体育祭で怪我人の女子を抱き上げて保健室連れて行ったでしょ?』 体育際、という文字でなんとなく思い出す。 室内で球技をしていた時に、女子生徒が一人足を挫いてしまったのだ。 たまたま近くにいた俺は、立てそうにないその子を抱き上げて保健室に運んだ。 『あぁ!そんな事もあったな』 『男子のヤジとか冷やかしを一蹴してたし、俺から見てもかっこよかったよ?』 『お前に言われると複雑』 熊が泣いているメッセージスタンプを送る。 すぐに、ウサギの可愛いメッセージスタンプが届いた。 「なんでウサギ!」 『で?話変わるけど、お好み焼きはいつにする?』 『俺はいつでも大丈夫。水野に合わせるよ』 こういう所が女子にモテる要因なのだろうと勝手に推測する。 『じゃ、今週の土曜は?』 『うん、オッケー』 こうして俺は、学年一有名な天武翔太と週末に食事に行くことになったのだった。 第二話へ続く
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