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竹垣佐内が強い。
立ち合えば初太刀で相手の首が飛ぶ。剣を打ち合う音もしない。
その奥義は「針山(しんざん)」にある。
技ではなく、心得である。
「針山に跳ぶ」の意で、敵の刃を眼中に入れず、ただ無心で踏み込む。相打ち覚悟の捨て身の剣だ。
そんな佐内を、
――肝が座っている。
と評する者もいる。
が、それは正しくない。
たとえ敵を倒しても、自らもまた倒れればそれは敗北と変わりはない。
その相打ちをあらゆる相手、あらゆる試合ではじめから狙うのだから、むしろ、
――自棄(やけ)である。
というのが正しい。佐内とは、どうやらそういう質であったらしい。
その太刀筋は横薙ぎである。それが相手の首を断つ。
「涅槃の太刀」とも呼ばれるが、剣技というより一種の曲技だ。
一閃と同時に首がくるりと宙を舞い、元の位置にぴたりと収まる…というのだから凄い。出口を失った血潮が真横に広がり噴き出す様は、花弁にも似るそうだ。
真偽の程はわからぬが、卓越した技であったのは確かだろう。
その死に顔があまりに安らかである事から「斬られた者は束の間極楽浄土の夢を見る」とさえ噂された。
よって「涅槃の太刀」である。
佐内が兵法者として名を高めるのと時同じくして、夜鷹(売春婦)の死体が続けて出た。
いずれも一刀のもとに喉笛を切断されており、死に顔は安らかである。白い川原に横たわり、赤い花弁を散らした姿は、まるで一枚の絵を見るようであったと当時の瓦版にはある。死体には、半紙が添えられていた。
「このもの、苦界(売春婦などの水商売)に堕つる我が身をさいなみ介錯を求めたりて候。年の数と同じ金子と引き換えに我が太刀にて介錯せしもの也」
細部に違いはあっても、死体の傍らには例外なくこの一文があった。
既に「涅槃の太刀」は知られている。佐内と立ち合った兵法者が浮かべる死の笑みと、女達のそれは同じだった。
当然、佐内が怪しまれる。受け取りようによっては早く自分を捕縛しろとも読める。裏づけもすぐに取れた。夜鷹の間で「介錯屋」竹垣佐内は、美しく優しい死を与えてくれる名人だと知られているようだった。己の人生を「介錯」してもらう為に、金を貯めている女も少なくない。
役人達が二の足を踏んだのは、佐内の腕前を知っているからである。抵抗されれば捕り方たちに死者が出る。
そこで兵法者に助太刀を頼むという案が出て、富源心太朗に声がかかった。
「三日後までに人数をそろえ、佐内のところに踏み込むつもりである」
心太が引き受けると、役人達はそう言い残して去った。
しかしその晩のうちに当の佐内が訪ねてきた。助太刀云々の話を、どこかから聞き及んだのだろう。
問答は無用だった。二人は川原まで無言で歩き、共に剣を抜いた。
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