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シホリと五輝の出会いは一年前。
場所は自殺の名所として有名な海沿いの崖。
その崖の先端に、片手にぬいぐるみを抱えたシホリが、ゆっくりと近づいていく。
『待ちたまえ』
崖に打ち付けられる波の音に混ざり、シホリの耳に声が届いた。
『そこから飛び降りる前に少し話をしよう』
シホリの虚ろな目が、どこからともなく現れた男、五輝の姿を捉える。
『……話すことは、ありません』
『いやなに、別にキミを説得しようってわけじゃない。僕だって飛び降りる側の人間だしね』
シホリの怪訝な表情を尻目に、五輝は近くの岩に腰かけた。
『じゃあ僕から話そうか。僕は五輝というただの無職のおじさんさ。先月まではうだつの上がらないサラリーマンをやってたんだけど、上司のミスを押し付けられてクビにされ、信頼していた友人には騙され借金の肩代わりにされて毎日怖い人に追われてる。挙げ句に妻と娘に逃げられ生きる意味を見失った。飛び降りるには十分な理由だろう?』
シホリは未だ目を合わせようとしない。
『キミはまだ、未成年のようだから一応訊いておくよ。キミのご家族は?』
『……父と呼べる存在は初めからいません。母も基本、私のことは放任してて、いつも知らない男と一緒にいます。唯一母親らしいことをしたと言えば、私が寂しがらないようこの子を与えただけ』
そう言って薄汚れたクマのぬいぐるみに視線を落とすシホリ。
『そして唯一家族と呼べる存在だった祖母も今朝、心労がたたり帰らぬ人となりました。ですからもう、この世に未練も生きる意味もありません』
『そうか。この世界で生きる意味は無い、か』
五輝は勢いよく膝を叩くとそのまま立ち上がり、改めてシホリと向き合った。
『僕も同じだよ。この狂った世界に愛想が尽きている。だから世界を変えるために命を賭けることにしたんだ』
『命、を?』
ようやくシホリは五輝の顔をまともに見た。
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