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 スポーツで全国に名を轟かしたいわけでもなく、かといって学力で今後の未来を良くしていこうなんて思えない、そんな平凡で普通な中学生がそれでも全寮制のある高校に行きたいと胸に浮かべながら受験に挑んだとする。そんな時に最初に発見し、それからいくつかの高校を余所見して、でも結局は初めに見つけた高校に歩みを止める。  桜坂高校を選んだ理由はそんな感じだった。そこまで高くない学費に、手の届かない偏差値でもない。特に突出した個性の持っていないわたしには適切な高校だった。 「人と人との繋がりを大切にする」それが本校の掲げる生徒像であり、誰しもが守るべき校内のルールだった。それなのに、と思ってしまう。生徒どころか先生すら昨日までは存在していた確かな繋がりを簡単に切ってしまう。  寮生活に夢を見ていた一年前のわたしに忠告しておきたい。二年生になったわたしからのありがたい言葉だぞ、と。昼ドラで女子寮の予習をしておくべきだって。  桜坂高校は地方の片隅にあるが交通の便に苦労することはなかった。休日に暇を感じれば都心には電車一本でいけたし、近くにショッピングモールがあるおかげで生活必需品の補充にも困らなかった。しかしこの一年でわたし自身、あまり都心やショッピングモールに出向いたことはなかった。手頃に買えるものは手近な場所で済ませたかった。その条件に適した場所は桜坂商店街だった。  桜坂高校に国道を挟んで伸びる桜坂商店街は観光客目当ての商売をしていなかった。ゆるキャラもいないしイベント時期の盛り上がりも見せない。そのおかげか地元民からは愛される商店街になっていた。必要なものは全てそこで揃ったし、少しの娯楽施設もあった。  そんなアットホームの商店街から追い出されたのか、それとも自ら逃げ出したのか、綺麗に並んだ店の列から少し離れた場所に一軒の小さなお店がある。  白をベース色にして、青色を挿絵としたお店の外見は悪くない。海が透き通る地中海に建っていてもおかしくはないような洒落た雰囲気を感じられた。しかしそれを邪魔するために生まれたような看板が全てを壊していた。 ドアの上に掲げられた木目上の板には、殴り書いたような文字で『探偵事務所』と書かれていた。  寮から全速力で走ってきたせいか息が乱れている。額に滲んだ汗を腕の裾で拭う。腕時計で時間を確認すると針は丁度六時を指していた。ゆっくりしている時間はなさそうだ。わたしは勢いよくドアを開けて中に入る。 「こんにちは」  店内は薄暗かった。それは天井から垂れる無駄にお洒落な電球が性能よりも外見を優先したからなのか、ただ単にカーテンを締め切ったままだからなのか、わたしにはわからない。  少しの間を待っても返答が返ってこない。もしかしたら外出中なのかと思ったけど店の奥から何やら物音が聞こえてきた。  わたしは物音が聞こえる方に向かって歩き出す。  店内は外装とは異なり茶色をベースとした家具で揃えられている。部屋の真ん中には場違いなほど大きい机。それを挟み、見つめ合うソファも薄い茶色をしている。壁際にはタンスや本棚が並んでいる。  そして部屋の一番奥にはドアが一枚ある。その中から物音が聞こえ、多分わたしが探している人もその中にいる。  いきなりドアを開けるのは流石に失礼だろう。気持ち強めに二、三度ノックすると部屋の中から声が聞こえた。 「少し待っていてください。すぐに伺いますから」  しばしの沈黙。そして思い出す。この人の少しは当てにならない。わたしはもう一度ノックしてから、返事を待たずにドアを開けた。  その瞬間、甘い匂いがわたしを包み込んだ。砂糖とチョコレートイチゴ。 「こんにちは」  その部屋は前の部屋の半分ほどの大きさだった。壁際にはキッチンに冷蔵庫が並び反対側の壁には本棚やシェルフがある。中央にはわたしの胸ほどの高さの机とそれを取り囲む足が長い椅子が三脚あった。  そしてわたしの探していた人物は呑気に椅子に腰をかけながらマカロンと戯れていた。小さなマカロンを丁寧に半分にナイフで割り、口に放り込む。それからわたしを見てニヤリと口元を緩ませる。 「おやおや。水鳥川ちゃんじゃないか。どうしたんだい? 君がここに来るなんて珍しいじゃないか」  男は手だけで目の前の椅子を勧めてくる。二人きりの部屋でむやみにこの人に近づくのは避けたいが立ち話をするのも疲れる。わたしは椅子に座ってから口を開いた。 「久しぶりですね、駒沢さん。それこのお店で売るんですか?」  わたしは目の前に置かれたいくつかのマカロンを指差した。紅色、茶色、白色と色鮮やかなマカロンは美味しそうに見えたが、市販の物にしては形にばらつきがありすぎた。それにキッチンには泡立て器やチョコレートのゴミなどが置かれている。このマカロンは駒沢が作ったものだとすぐにわかった。 「探偵事務所で探偵が手作りお菓子を売っている小説を僕は読んだことがない」  どうやらこのマカロンはお店用じゃないらしい。なら、 「趣味がお菓子作りなんて、そんな可愛さがあったんですね」  わたしの知る駒沢さんはこん人じゃない。もしかしたら少し会わない間に彼は更生したのかもしれない、なんて甘ったるい幻想はすぐに崩れ去った。駒沢さんは見覚えのある、いやらしい笑みを浮かべた。 「素手で魚を捕まえるのは難しい、でも意外と釣竿を使ってしまえば初心者でも簡単に魚を釣れてしまう」つまり、と言った。「女子高生はマカロンとか好きだろ」  向けられた目線の気持ち悪さはわたしの背筋を凍らせた。見ると腕に鳥肌まで浮いている。ああ、気持ちが悪い。だから駒沢さんと会いたくなかったのに。  駒沢さんという変態に出会ったのは約一年前だ。ある事件で容疑者にされたわたしを見事な推理で救ってくれた。今回の窃盗事件でも思ったのだが、どうやらわたしは事件に巻き込まれやすい体質らしい。さらにその体質に付属してきたのは容疑者にされやすい、なんて考えると悲しくなってくる。でも実際に駒沢さんと知り合うきっかけになった事件以降も三度ほど容疑者扱いを受け、その度に駒沢さんの助けを必要とした。築きたくない関係は知らない間に意外と深くまで伸びているかもしれない。  しかし思い返すと死にたくなるエピソードが他にもある。それは初めて駒沢さんと出会い、見事な推理でわたしを助け出してくれたときのことだ。身長は高いし、顔は整っているし、女性に対しての扱いも丁寧な、見てくれだけはいい駒沢さんに初恋を捧げてしまったことだ。しかしその夢のような甘い初恋は駒沢さんといくつかの事件を共にしていく度に、蜃気楼に包まれて目に見えなくなっていった。四度目の容疑者扱いを受けた時には駒沢さんはただの変態にまで落ちていた。 「わたしはマカロン嫌いですけどね」と話を切るために一つ咳をする。雑談をするためにここにきたわけじゃない。「あの話を一つ聞いてくれませんか。時間は取らせません」  駒沢さんは半分残ったマカロンを手に取り少し眺めてから食べた。幸せそうな顔をしてから残ったマカロンにサランラップをふんわりとかける。 「時間は取ってくれて構わないよ。今夜はずっと会いてるし、明日の朝も用事はない。時間をかけてゆっくり話してもらったほうが僕は嬉しいんだけど」  駒沢さんの戯言は無視する。 「あのですね。これは例え話だと思って聞いてください」  例え話だと、切り出したのに特に深い理由はなかった。しかし思うにわたしは彼からの助けを最低限のもので済ませたかったのだろう。現実の事件に巻き込まれているから助けを乞うよりも、架空の事件として架空の謎を解いてもらったほうが、なんとなく心が軽くなるような気がした。  しかしそんな甘い計算は探偵には通用しないらしい。簡単に解を導かれてしまった。 「水鳥川ちゃんは小説の主人公にでもなるつもりかい。行く先々で事件に遭遇するのは探偵としては羨ましい限りだけど、君はそうじゃないだろ」  嘘で包まれたわたしを助けて欲しいなんて、やっぱり虫が良すぎた。それに探偵を騙せるほどわたしの脳みそは良くできていない。わたしは素直に頭を下げた。 「すみません。これは例え話じゃないんです。その、また、わたし事件に巻き込まれてしまって。それに容疑者にされて」 「なるほどね」と駒沢さんは呟く。「だからここに来たんだな」 「はい。もう一度わたしを助けてくれませんか」  少しの沈黙の後、駒沢さんはパッと表情を明るくさせた。それは新しいおもちゃを買ってもらった子供のように。 「その事件の謎を解いてもいい」駒沢さんは人差し指を立てた。「でも一つ条件がある。それを聞いてくれるなら手伝ってあげてもいい」  躊躇してしまう自分がいる。過去に助けてもらった時にも条件を課されたことがあった。それは制服姿で写真を撮らせてとか、髪を十秒触らせてとか、紳士にあるまじきお願いだった。多分、いや必ず今回のお願いもそういう類のものだ。しかしだからといって後に引くことはできないし、他に頼れる人もいない。  だから結局わたしは前回と同様に頷くことしかできないのだ。 わたしの承諾を確認して、駒沢さんは子供のように無邪気に笑う。 「なら水鳥川ちゃんにはここでアルバイトをしてもらいたい」  アルバイト? 想定していた条件と少し違って戸惑う。胸くらいなら突き出す覚悟ができていただけになぜか変な気持ちになる。 「そんなことなら、もちろんいいですよ」  駒沢さんは頷くと椅子から腰をあげる。壁にかけてあったコートを羽織りながらドアノブに手をかける。 「時間がないと言っていたけどタイムリミットがあるのか?」  そうだ。わたしにはタイムリミットが存在していた。言われて思い出すなんて何を考えているんだ。時間を確認すると六時十分。どうやらわたしは十分もこの店で足踏みをしていたようだ。急いで椅子から立ち上がる。 「六時半までには謎を解かなければいけないんです。残りは二十分です」  なら急がないとな、と呟いてから駒沢さんはドアを開けた。
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