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「女子高生しかいない女子寮に合法的に入れるなんて僕はこの時のために今日まで生きていたんだな」と駒沢さんがまるで子供みたいな無邪気な笑顔でそう言ったときは、本気で背筋が凍ったような気がした。
部外者を学校の敷地内に無断で入れるのは校則違反だ。時間がないのはそれを破っていい理由にはならない。寮を一旦通り過ぎて校舎に向かう。
職員室には休日なのに半分以上の職員がいた。近くにいた先生に手短に事情を話すと、わたしの隣に立つ駒沢さんを一瞬見て怪訝そうな顔をしたが、すぐに許可書を発行してくれた。外見だけだと紳士な駒沢さんだから許可されたが、多分内面を見ればそう簡単には許可を下ろしてくれなかっただろう。むしろそこは厳しくしてくれないと困る。私たちの女子寮にこんな化け物を解き放ってはいけない、なんて今から変態を連れて行くやつのセリフじゃないけど。
許可書を持って女子寮の入り口に着いた時にはもう約束の時間までの残り時間は十五分を切っていた。
女子寮に入るには正面玄関を通る以外に方法はなかった。両開きのドアを通り越すと横に長い、靴を履き替える場所がある。左手側にはわたしの背丈ほどのロッカーがあり、それは寮生の靴入れになっている。わたしはローファーを脱ぎ、スリッパに履き替える。ロッカーの隅にある職員用のスリッパを一つ拝借し駒沢さんに渡した。
駒沢さんは履き終えると玄関の右手にある部屋を指差した。
「これが寮監室か」
わたしは頷いた。
玄関を監視するように配置された寮監室には横長の窓がついている。そこからだと寮監室を出なくても玄関を一望できた。
丁度その時、寮監室の窓が横にスライドされ、中から三浦さんが顔を出した。
「水ちゃん、お帰りなさい」
三浦さんは優しく微笑むと、今度は自分の手を窓から外に出した。わたしは三浦さんが握っていたものを受け取る。
「ただいま。いつもありがとうございます」
そう告げると三浦さんはもう一度微笑んでから、すぐに顔を引っ込めた。遅れて窓もゆっくりと閉まって行く。普段の三浦さんなら世間話をしたがるのに今回は多分わたしに気を使ってすぐに戻ったのだろう。約束の時間まではもうそんなに暇がないことをしっているからだろう。
「今の人が三浦さんだっけか、寮監室のおばちゃんなのか?」
「はい、そうですよ」
「何を受け取ったんだ?」
駒沢さんがわたしの手を見つめる。
「鍵ですよ」と手を開いて見せる。至って普通な鍵だ。部屋同士の鍵は全て似ているが他人の部屋の鍵はもちろん開けられない。鍵の先の反対側には小さなストラップをつける穴があり、そこには部屋の番号を示す札がついている。手元の鍵には二十六と書かれている。
「どうして寮監室の三浦さんが君の鍵を持っているんだ?」
質問の意図が瞬時には理解できなかった。多分それはこの寮に順応しているからだろう。一年前、初めてこの寮に来た時にはわたしも同じ疑問を持ったのを思い出した。
「わたし達、寮生は鍵を外に持って行くことは禁止されているんです。昔は外出中に鍵をなくす生徒が多かったらしいので、今は寮を出る前に三浦さんに鍵を預け、戻って来たときに受け取るようにしているんです」
説明していて少し恥ずかしい気持ちになる。高校生になってまで鍵の管理すらまともにできないと思われているなんて。駒沢さんは聞き終えると、なるほどね、とだけ呟いた。続く言葉が聞こえないのでわたしから口を開く。
「とりあえずこれからどうしますか。あまり時間がないんですが」
駒沢さんは即答だった。
「君の部屋に行きたい。見てみたい」
まあ、犯行場所を見ることは大事なことだ。それでもこの息を荒くする猛獣を自分の部屋に招き入れるには抵抗がある。しかしこんなところで止まっていられない。渋々言う。
「嗅ぐ、舐める、触る、などの変態行為は慎んでください」
「僕は紳士だよ。女性の嫌がることはしないさ。それに君の部屋に入れるなら少しの我慢もむしろご褒美だよ」
駒沢さんの言っている意味がわからない。無視して歩き出す。すると後ろではなく横に並んで駒沢さんも歩き出した。
「あと今後は犯行現場と言ってください。気持ち悪いので」
駒沢さんは笑う。
「君は本当に推理小説が好きだよね」
そういう意味じゃないんだけど。まあ、でも今はそんなこと言っていられない。早足で階段を上る。
この女子寮は三階建の建物である。各寮生の部屋はどの階にも並んでいる。その他に一階には風呂場と洗濯室、二階には娯楽室、三階には自習室がある。寮生は全員で百人弱。この寮の最大収納人数まではあと十五人ほど空きがあった。
二階を超え、三階まで一気に駆け上がる。廊下を歩きながら自習室を覗き見したが人影はなかった。
途中誰かにすれ違ったら面倒だな、と思っていたが誰とも出会わなかった。
各部屋のドアには木で打ち付けられた札がある。三階の部屋だから三から始まる部屋を示すための二桁の数字が書かれている。従って二階の部屋番号は二から始まる二桁の数字になっており、一階も同様だ。
三十六と書かれた部屋の前に立ち、手に持っていた鍵を鍵穴に刺す。しかし上手くはまらない。上下を変えてもう一度試すがやっぱり入らない。こんな時に限って、と心の中で舌打ちすると同時に自分の勘違いに気がついた。振り返ると駒沢さんはあたりをキョロキョロと忙しなく目で追っていた。
「すみません部屋を間違えてしまいました。二階に行きましょう」
歩き出すとすぐに駒沢さんが訊いてきた。
「自分の部屋を間違えるなんて水鳥川ちゃんは結構おっちょこちょいなんだな。メモメモっと」
「部屋替えをしたばかりだからです」と少しムキになってしまう。「普段なら間違いません。でも三日前に部屋替えをしたばかりなんです。焦っていて前の部屋に来てしまっただけです」
なるほどね、と呟く。
「部屋替えはよくするのかな」
「いいえ、一年に一回です。だからわたしは今回の部屋替えが初めてでした」
「部屋は誰が決めるんだ」
「各階には階長が一人いるんです。その三人と三浦さんで話し合って決めるらしいです」
「この子はこの階に欲しいとか、この子とこの子は仲が悪いから同じ部屋はダメとか、そんな感じなのかな」
多分そんな感じなんだろう。見たことない光景が容易に想像できる。綺麗なバラには棘がある。きっとその部屋決めには女子寮の出来物が詰まっているのだろう。
そういえば、と思い出したことがある。別に今回の事件に関係があるかはわからないが、まだわたしの部屋に着くまでは少しある。暇は潰すべきだ。
「二階の階長は坂上先輩なんですよ」
すぐには坂上先輩が誰なのか、今回の事件ではどの役の人なのかわからなかったのだろう。わたしは口を出す。
「今回の事件の被害者で、わたしを犯人に吊るし上げた張本人です」
あー、と駒沢さんは納得する。
「ということは、坂上は多くの人から慕われているのか。君から聞いた話だと想像がつかないけど」
別にそこまで坂上先輩を悪く言ったつもりはなかった。でも少しの悪意も込められていなかったかと聞かれた素直には頷けなかった。
それに階長はたくさんの人から信頼を得た生徒がなるものじゃない。
ただ単純に、
「三年生が少ないからです。今、寮生は全員で約百人って言いましたよね。あれの六割は新一年生で、残り四割のうち三割は二年生が占めているんです。だから今この寮には十人くらいしか三年生がいないんです」
「つまりは、しょうがなかった、ってことか」
控えめに笑う。
「そうですね。しょうがなかったんです」
駒沢さんも笑った。
「それで坂上はその屈辱的なレッテルを剥がすことはできたのか?」
「一度貼ったシールを剥がすのは意外と難しいですからね。途中で破れたり、跡が残ったり
と、剥がす前よりも悲惨な状況になることもありますから」
坂上先輩は別に悪い人ではなかった。基本的には曲がったことが嫌いな性格だから人の上に立つには適していると思うし、意外と細かいことにも気づける面倒見の良い先輩だった。しかし神様はそう簡単に完璧な人間を作らない。長所を作るついでに短所も加えてしまう。坂上先輩はそのおまけが少し多かったのだろう。気性が荒い性格だから頭に血がのぼるスピードも速い。言葉は刺々しいし、喧嘩で手をあげた話も何度か耳にした。
味方を作る才能には逸している。しかしその能力は敵を増やす才能のおまけなのだろう。
気づくと二十六号室、わたしと坂上先輩の部屋に着いていた。
ふと考えると、坂上先輩に駒沢さんを部屋に入れる許可をもらっていなかったな、と思い出した。しかし今頃だ。気にしない。
わたしは鍵を鍵穴に入れる前に気になることを訊いた。
「この鍵ってピッキングで開けられたりします?」
鍵穴はいたって普通なものだ。駒沢は近づいてゆっくり観察してから顔をあげた。
「十分間、一心不乱で鍵穴を弄る生徒がいても奇妙には感じないなら」
どうやらピッキングでの犯行は不可能のようだ。潔く諦めて鍵を開けた。
入ると同時に駒沢さんは奇声をあげた。
「いい匂いがする。わかっていたけどやっぱりテンションが上がるな」
駒沢さんへの好感度は底無しの沼だ。これ以上は下がらないと思っていても、まだその下を見せてくれる。
駒沢さんの戯言は無視して部屋全体を手で示す。
「右側が坂上先輩で左がわたしのです」
部屋の左右の壁際にはベッドと机が並んでいる。左右の配置は全く同じだ。手前側に机があり、その端に面して置かれたベッドは部屋の奥に伸びている。部屋の中央には小さな机が一つ置かれている。服や小物品はベッドの下にある衣装ケースに閉まっている。
「水鳥川ちゃんは掃除が苦手なのかい? 意外だな」
駒沢さんは左右の机の上を見比べてから言った。何か言い返そうと思ったが上手い言い訳は出てこなかった。素直に言う。
「今日は特に汚いだけです。普段はもっと綺麗ですから」
しかし改めて坂上先輩と自分の机を見比べると嫌になるほど思い知らされることがある。教科書やお菓子のゴミで机の板が見えないわたしとは違って、坂上先輩の机の上は綺麗に整頓されている。教科書はちゃんと本棚に並んでいるし、お菓子のゴミも見当たらない。
空気を変えようと咳を一つ響かせてから切り出す。
「坂上先輩は机の上には不必要な物を置かないんです」
机上には小さな時計とカレンダー、ジュースの缶で作られたペンケースしか置かれていない。そう。見覚えのある場所に見覚えのある物は置かれていない。
「財布が置かれていたのはその机の隅です」
ベッドに面している机の隅を指差すと、駒沢さんは確認ついでに机を軽く触れてから訊いてきた。
「坂上はいつもこの場所に財布を置く癖があったんだよな」
「はい、そうですね」
「それを知っているのは水鳥川ちゃんだけなのかい?」
少し考えてから言う。坂上先輩の財布の置き場所を知ったのは先輩と同部屋になってからだ。
「同じ部屋になったことがある子なら誰でも知っていると思います」でも、と言う。「その事実を知らなくても、この部屋に入った人は財布の存在にすぐ気がつくと思います」
「そうだね。なら次に急ごう。もう時間はあまりないだろ」
と言って、わたしのベッドに腰をかけようとした駒沢さんを寸のところで止める。
「どうしてベッドに?」
どうやら気づかない間に駒沢さんを見つめるわたしの目は鋭くなっていたようだ。駒沢さんは手をあげて、いじけた子供のように言う。
「確認したかっただけなんだ。一切の下心しかない。許してくれ」
「事件に関係ないことはしないでください。あと下心が隠せていないのでしっかり閉まっていてください」
警戒心が緩くなっていた。放っておくと駒沢さんは何をしでかすかわからない。気を引き締めていなければ。反省のない笑みを浮かべる駒沢さんに、わたしは訊く。
「この部屋で確認しておく事はまだありますか?」
少しの沈黙の後、駒沢さんは真剣な口調で呟くように言った。
「下着チェックは重要だよな」
「無いようですね。なら次に移動しましょう。もうあまり時間がないので急ぎめでお願いします」
会話も早々に部屋を出ようとすると、駒沢さんの声に止められる。どうせくだらないことだから無視しようと思ったが、つい反射的に振り返ってしまう。
駒沢さんはわたしの机の側に積まれたダンボール箱を見ていた。
「まだ仕分けができていないんだな。一人で大変なら後日でも手伝いにくるぞ。というか、むしろ手伝わせてもらいたい」
やっぱり振り返らなければよかった。思っていた通りくだらないことだった。それに幾ら何でもわたしを見くびりすぎている。わたしは腕を組む。
「部屋替えは三日前ですよ。とっくの前に物の仕分けなんて終わっていますよ」ため息を漏らす。「それは前にこの部屋に住んでいた竹本先輩のものです」
「その竹本とやらは君にこれをくれたのか? いや、捨てるのすら面倒くさいから押し付けられたのか?」
首を横に振った。竹本先輩はそんなことをしない。
「ただ部屋の移動がまだ完了していないだけです。以前この部屋は坂上先輩と竹本先輩のペアだったんです」
「部屋替えで部屋が変わらない生徒もいるんだな」
わたしは頷く。
「階長になったら部屋を変えない人が多いんです。やっぱり荷物の移動とかは面倒臭いですからね。だから坂上先輩は去年から引き継ぎで同じ部屋なんです」そこで一旦切ってから、もう一度話し出す。「実は部屋替えの直前に坂上先輩と竹本先輩は大げんかをしたんです。なんでも殴り合いまで発展したとか」
そこまで聞いて、残りの展開を察したのか駒沢さんは興味なさそうに言った。
「坂上が部屋にいる時は荷物の移動を行えなかった。拳を交えて直ぐに仲直り、なんてことは男子間の認識だ。女子同士の根はそんな簡単には掘りきれないだろう。だから竹本は思うように部屋の移動を行えずまだ完了していないんだな」
そういうことだ。女子同士の喧嘩はそう簡単に終焉を迎えない。わたしは静かに頷いてから部屋を出た。六時半までは残り十分を切っていた。
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