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「次は被害者の坂上に話を聞こう」  その言葉はわたしの心を重くさせた。できれば約束の時間までは会いたくなかったが、そうは言っていられない。怖気付いている時間すら惜しかった。わたしは直ぐに階段を降り始める。坂上先輩は部屋にいなかった。それなら思い当たる場所がある。  途中、駒沢さんが訊いてきた。 「そういえば犯行時刻はいつからいつだっけか?」 「えっと、五時から五時半までです」 「確か水鳥川ちゃんがランニング終え、寮に帰宅したのは二十分を少し回った頃だったよな」 「はい、そうですね」 「その時鍵は?」 「もちろん三浦さんに預けてから外に出ましたよ。帰ってきてからはわたしの手元にありました」  駒沢さんの横顔を見つめる。綺麗だな、と不覚にも思ってしまう。少し熱を帯びた顔を隠すために足元の動きが早くなる。 「駒沢さんもわたしが犯人だと思いますか? わたし以外に犯行は不可能だと思いますか?」  つい深く考えもせずに思ったことを聞いてしまった。撤回しようと思ったが駒沢さんに先を越された。 「天使は悪魔になれないから天使なんだ」と言った。「僕はこれでも探偵だ。神聖な仕事場に犯罪者を引き入れたりはしないさ」  ありがとうございます、とでも言えばよかったのだろうか。でも結局何も言わないまま目的の場所まで着いてしまった。ドアには十四の文字。 「すみません!」とノックしながら声をあげる。すると中から「どうぞー」と騒がしい声が聞こえてきた。  一度深呼吸してからドアを開ける。  室内の造りはどの部屋も一緒だった。しかしその部屋はひどく狭く感じた。それは人口密度のせいだと直ぐにわかった。中央の机に群がる生徒に、ベッドに腰をおろしている生徒。さっと眺めただけで八人の顔を確認できた。その中にはこの部屋に来た目的の坂上先輩もいた。  群がりの中から一人の生徒が立ち上がり、わたしの方を見た。知らない顔だ。正確には見たことはあるが名前は知らない、だ。 「ああ、水鳥川先輩か」  どうやら後輩のようだ。わたしは優しく微笑む。 「坂上先輩を呼んでもらってもいいですか」  彼女は一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐに「坂上先輩。水鳥川先輩が来ていますよ」とだけ伝えてすぐにその場にしゃがみこんだ。そして彼女と交換家のように次は坂上先輩が立ち上がり、顔を向けた。わたしを見た瞬間、心底胸糞悪そうな顔をした。  わたしは気にしていなふりをして、質問した。隣に駒沢さんはいない。今回は外で待ってもらうことにしたのだ。先輩達に面倒臭い説明をするには時間が足りない。しかし質問内容を相談するまでの時間はなかった。ここは自分だけが頼りだ。 「突然すみません。三つ訊きたいことがあるんです。いいですか?」  坂上先輩はあざ笑うかのような笑みを見せた。 「まだ真犯人とやらは見つけられていないようね。もう諦めたら?」  安い挑発になるほどわたしは安くない。冷静な口調で言う。 「時間までには必ず見つけます」  面白くない返事だったのだろう。坂上先輩はそっぽを向いた。気にせずわたしは訊く。 「先輩が友達の部屋に行ったのは丁度五時。そして教科書を取るために自分の部屋に戻ったのが五時半ですよね」  この情報に誤りはなかった。坂上先輩は面倒臭そうに頷いた。 「この犯行推定時刻の三十分間、坂上先輩の鍵はずっと手元にありましたか?」  つまらない会話を早く終えたいのだろう。坂上先輩は早口になった。 「あったわよ。水鳥川は知っているでしょ。私はスマホに鍵を付けているの。スマホは机の上に置いていたからいつでも目に見える場所にあったし、調べ物でも使ってたから、私の鍵は犯行に使われた可能性はないわ」 「なら坂上先輩の他に一緒にいた人が犯行推定時刻の間に部屋を出たのを見ましたか?」  すると坂上先輩はわたしを睨みつけた。 「わたしの友達を疑っているの! 部屋を出た友達なんていないわよ」 「すみません。先輩の友達を疑ってなんかいません。ただの確認です」 「なら、もう用は済んだでしょ。さっさと出て行きなさい」  坂上先輩は手の甲でわたしを追い出す。しかしまだあと一つ確認しなければいけないことがある。 「最後に一つ。まだわたしを犯人だと思っていますか」  坂上先輩は自信満々な笑みを浮かべた。 「もちろんよ。犯人はあなた以外ありえない」  その返事を聞いてから、小さく頭を下げた。 「お疲れ。収穫はあったかい?」  部屋を出ると春の風が頰を叩いた。しかしそれは駒沢さんの吹いた風だった。軽く虐待をついてから報告をする。 「やっぱり坂上先輩の鍵は犯行に使われていませんね」  坂上先輩はスマホと鍵を一つとして考えていた。常にスマホは手元にあったから鍵は盗まれていない、と思っている。スマホから鍵さえ外せれば、先輩の考えを利用しアリバイを作りながら同時に犯行を実行できる。しかしそれはあまりにも現実的じゃない。それに坂上先輩にバレずに鍵だけを盗めても、犯行推定時刻内に誰一人として部屋を出ていないと言われた時点でこの説は終わっている。 「犯行推定時刻に坂上先輩と同じ部屋で外に出た人はいないそうです」   そうか、とだけ駒沢さんは呟いた。  少しだけ負け戦な雰囲気を感じる。腕時計を見る。約束の時間までは残り五分と少しだ。時間も情報も足りない。もうこれ以上あがいても無駄かもしれない。そんな気さえする。  もうやめましょうか、という言葉が喉からでたがっているのがわかる。もう飲み込むことはできない。止められない言葉が口の隅から漏れかけたその時、そういえばと駒沢さんが言った。 「そういえば、水鳥川ちゃんが坂上と話している間に一人の女の子と話した」  駒沢さんの声は不思議だ。聞くだけでわたしの心の中の希望と言う名の芽を育んでくれる。もう少しだけ頑張ってみようと思える。 「竹本って知っているか?」 「さっき言ったじゃないですか。竹本先輩はわたしの部屋の前住民ですよ。坂上先輩と喧嘩したっていう」  そこまで聞いてようやく思い出したのか、ああ、と声をあげた。 「あの竹本はやっぱりさっきの竹本だったのか」  駒沢さんの言っていることが理解できなかった。 「あの竹本とか、さっきの竹本とか、何を言っているんですか?」  いやな、と駒沢さんは言った。 「聞いていた印象と違っていたからな。竹本という子は二人いるのかと思っていたんだ」  印象ね。どんな風に駒沢さんに伝わっているかはわからなかったが竹本先輩は厳しい先輩だった。それは理不尽に後輩だけに厳しい性格ではなく、それ以上に自分にも厳しい先輩だった。どんな時でも凛々しくてかっこいい。正義を貫く姿は女子寮の秩序を守る鏡だった。 坂上先輩よりも後輩からも先生からも慕われていたのは間違いない。わたし自身そんな竹本先輩を心から尊敬している。同時に憧れの先輩でもあった。どうせ坂上先輩との喧嘩も竹本先輩は巻き込まれただけだと思っている。  しかし駒沢さんが語った竹本先輩はまるで別人だった。 「廊下で偶然すれ違ったんだよ。見るからに体調が悪そうな顔をしていたから訊いたんだ。大丈夫かって。だったら何かに怯えているような顔を無理やりぎこちない笑みに変えて、大丈夫と言ったんだ。でも彼女の表情は明らかに辛そうだったから、このまま引き止めて水鳥川ちゃんが帰ってきたタイミングで寮監室に連れていこうかと考えたんだ。だから彼女を引き留めるために、今の状況を話したんだ。ついでに情報収集もしようって考えさ。僕が探偵だってことや、水鳥川ちゃんと一緒に真犯人を探しているって話をした途端、彼女は体を震わせ、より一層青ざめた顔を見せて、すぐに何処かに走り逃げてしまったんだ」  駒沢さんの話だから信じられないわけじゃない。でもそう簡単に飲み込めない。  あの竹本先輩が何かに怯えていた。ありえない。坂上先輩を前にしてだって果敢に挑む先輩だ。竹本先輩はいつだって凛々しくかっこいい。わたしの憧れだ。そう簡単に怯えた醜い姿を他人に見せたりなんかしない。 それに探偵や真犯人探しの話を聞いた後の先輩の調子は明らかに不自然だ。身体を震わせ青ざめるなんて、竹本先輩には似合わない。わたしが心から尊敬している先輩はそんな表情を見せたりなんかしない。  歯がゆい気持ちを隠すように、わたしは訊く。 「残り五分ですね。最後に一人くらいなら話を聞く時間がありますが」  答えはもうわかっていた。駒沢さんは予想通りの返事をする。 「寮監室に行こう。三浦さんから話を聞きたい」 「わかりました」
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