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 トントンと二度ノックすると中から三浦さんの声が聞こえた。 「どうぞ」  寮監室に入ると甘い紅茶の匂いが鼻をついた。どうやら丁度紅茶を淹れていたらしく、三浦さんはカップを片手に微笑んだ。  寮監室は縦長の部屋だ。ドアを開けた右手側には横に長い窓があり玄関を一望できた。その窓の下には長机が伸びており、上にはパソコンや何枚かのプリントがあった。反対に左手の壁際には大きなコルクボードが掛けられていた。そこには部屋番号が並んでいる。各番号の下には二つの画鋲があり鍵が掛けられるようになっていた。今は半分以上の鍵がコルクボード上には掛けられていなかった。つまり半数以上の生徒は寮内にいるのだ。  三浦さんは手近の椅子を手で勧めてくれた。座ってゆっくり話している時間もなかったが、立って話すのも落ち着かない。従ってわたしと駒沢さんは腰をおろした。座る直前、駒沢さんはわたしに「好きなことを好きなように訊いてくれ」と言った。わたしは首を縦に振った。 「時間あんまりないんだよね」と三浦さんは腕時計を気にした。「わたしに答えられることならなんでも訊いてちょうだい」 「ありがとうございます」と小さく頭を下げてから早速質問に入る。「犯行推定時刻はずっと寮監室に?」 「そうね」と頷く。「四時からずっと生徒からの相談を受けていたわ」 「なら外部の者が寮に出入りしたのを見ましたか?」  三浦さんは丁寧に首を横に振った。 「ここから玄関は丸見えです。そんな人物はいませんでした」  寮監室の三浦さんの監視をすり抜けて寮に出入りすることは不可能だ。やはりこの窃盗は外部の者による犯行ではない。 「鍵はどうですか? わたしの鍵が誰かに盗まれたってことはありますか?」 「それは不可能だと思います。なにせ私だけではなく生徒一人の目も同時にごまかせるほどここは広くありませんから」  息を吐く。選択肢が残されていない。 「なら、マスターキーはどうですか。盗まれる可能性はありますか?」  すると三浦さんは申し訳なさそうにズボンのポケットを探り、二つ折りの茶色の財布を出した。そこそこの年月を共に過ごしたのだろう。所々が擦れて薄くなっている。三浦さんは小銭入れを開けて中から一つの鍵を出す。それはすぐにマスターキーだとわかった。 「それもありえないと思います」と静かに言った。  私は頭の中を整理する。  坂上先輩とわたしの部屋には鍵がかかっていた。つまり犯人は鍵を持っていた人物になる。まず被害者の坂上先輩の鍵は今回の犯行には使われなかった。証言を基にして考えるとそれは納得できた。次にマスターキーだ。この鍵があればどの部屋でも入ることができる。しかし三浦さんの目を誤魔化しながらマスターキーを盗むのはやっぱり無理がある。同様に寮監室に保管されていたわたしの鍵を使った犯行も不可能だ。  つまり犯人はどのように、どの鍵を入手して犯行を犯したのだろう。  考えると頭が痛くなってくる。それに駒沢さんから竹本先輩の話を聞いたせいか推理に集中できていない気がした。  その時、椅子が動く音が聞こえた。見ると三浦さんが立ち上がって、窓の方をちらっと見てから、コルクボードから一つの鍵を取っていた。そして窓ガラスを開け、 「おかえりなさい。はい鍵だよ」  と優しく微笑んでいた。  わたしは気になったことを訊いてみた。 「三浦さんは全寮生の部屋番号を覚えているんですか?」  すると三浦さんは困ったように頭を掻いた。 「可愛い子供達の部屋がどこかわからないなんて母親役失格でしょ」でも、と言った。「時々間違えちゃうんだけどね。やっぱり前の部屋の鍵を渡しちゃうことがあるの。しっかり覚えないとね」  驚いた。部屋替えは三日前に行ったばかりだ。それなのにもうほとんど覚えているなんて。 「わたしなんてまだ部屋を時々間違えちゃうんです」  そう言いながらふと思いついたことがある。少しだけ整理する。  ……ああ、なるほどね。犯人と犯行方法はわかった。  同時に竹本先輩が駒沢さんの前で、わたしが見たこともない表情をした理由がわかった気がした。  隣から声をかけられた。見ると駒沢さんが腕時計を指していた。 「約束の時間だぞ」  時間は六時半。どうする。どの道を進むにもとりあえず動かなければいけない。迷っていると駒沢さんの手が肩に触れた。 「この後、僕は必要かい?」  どうやら駒沢さんは、わたしが今どんな選択肢で困っているか理解しているらしい。さすがはわたしが選んだ探偵だ。  どうする、と自問自答する。でもその答えはとっくの前に決まっていることに気がついた。 決心はもう決まっている。わたしは駒沢さんに頭を下げた。 「すみません。ここまで手伝ってもらったのにわがままを言ってしまって」でも、と言う。「わたしはやっぱりこの道しか選べません」  駒沢さんは優しく微笑むと、わたしの頭に手を置いた。そしてクシャクシャと髪を撫でる。 「アルバイトは今日からだ。用事が済んだらすぐに来るように」 「はい、わかりました」  駒沢さんはそのまま寮監室を後にした。彼の背中を見送り、わたしも椅子から腰を上げる。  この後の状況を想像すると身体が震える。でも止まることはわたしが許さない。  わたしは三浦さんの目を見つめた。 「三浦さん、お願いがあります。その茶色の財布、少しの間だけわたしに貸してくれませんか」  覚悟はできている。わたしは小さく息を吐いた。
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