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「詳しく話しなさい」と三浦さんは似合わない口調で問い詰めてきた。「もし正直に話さないならこの財布のことをみんなに話すから」
三浦さんは机の上に置いた二つ折りの茶色の財布を指差した。
そう。坂上先輩に謝った時に使ったわたしの財布だ。いや、わたしの財布として登場した三浦さんの財布、と言うべきか。
こうなることは予想できたし、覚悟もしていた。あの時はもう時間がなかった。三浦さんから財布を借りる以外の方法を考えている余裕はなかった。
坂上先輩への謝罪を終え、財布を返しに寮監室に入ると、三浦さんは有無を言わさずわたしを椅子に座らせた。
「どうしてあんな嘘をついたの」
三浦さんの綺麗な瞳がわたしを見つめる。
わたしはため息を吐く。財布を借りた時点で三浦さんに全てを話さなければいけない時はくるとわかっていた。下手な嘘はみっともない。わたしは床を見つめたまま言った。
「誰にも口外しないと約束してください」
三浦さんはすぐに頷いた。それを見てから、わたしは素直に話し出す。
「そうですね。どうしてわたしが犯していない罪を被ってまで真犯人を助けたかったのか、それを説明する前に今回の事件の謎解きをします」
わたしはこう切り出した。
「今回の窃盗事件は計算された犯罪ではなく、偶然生まれた状況に犯人は意図なく遭遇したにすぎないのです。まあ、財布を盗んだのは悪意まみれですが。でもどうしてそんな状況が生まれてしまったのかです。少し考えれば自ずと答えは見えてきます」
別に推理自慢をしたいわけじゃない、すぐに答えを言う。
「被害現場に入るには鍵が必要です。その鍵は三つあります。でも坂上先輩と三浦さんの鍵は犯行に使えません。二つとも常に所持者の手元にありますから。つまり、犯行に使えるのはわたしの鍵だけです。といっても、わたしの鍵は寮監室にありました。そう簡単に盗むことはできません」なら、と言葉を続ける。「盗むのではなく、正式に三浦さんから受け取ればいい。しかしこれにはある条件が付きます。それは三浦さんがわたしの鍵を、わたし以外の寮生に渡したことを三浦さん自身はわかっていない、ということです」
三浦さんは難しい顔をした。こめかみを押さえて何やら考え込むが、すぐに手をあげる。
「私は水ちゃん以外に、水ちゃんの部屋の鍵を渡してなんかいないわよ」
わたしは微笑む。
「そうです。三浦さんにとっては、わたしの鍵は常に寮監室にありました。誰か違う生徒に渡すなんて、そんなことはしません。三浦さん、始めに言ったことを覚えていますか。これは偶然の産物で生まれた事件です。犯人も意図してではないでしょう」わたしは言った。「三浦さんはただ渡す鍵を間違えただけなんです。自分でも言っていたじゃないですか。寮生の部屋番号はもうほとんど覚えた、でも時々前の部屋の鍵を渡しちゃうって」
三浦さんは息を飲む。どうやら理解したらしい。このあとは探偵事務所に行かなければいけない。早めに会話を終わらせよう。わたしは結論を急いだ。
「三浦さんはわたしの部屋の鍵を、部屋替え前の寮生に渡してしまった。一年もその鍵を渡し続けていたんです。習慣はそんな急に変えられません。ミスはあることだと思います。そして受け取る可能性がある生徒は一人しかいません。坂上先輩は前回から部屋を変更していませんからね。三浦さんは竹本先輩にわたしの部屋の鍵を渡してしまった。竹本先輩に聞きましたが故意は無かったそうです。さらに受け取った竹本先輩も同じミスを犯してしまいます。そうです。前までの部屋、現在のわたしと坂上先輩の部屋に勘違いして入ってしまった。竹本先輩はすぐに気づいたそうです。だけど魔が差したんでしょう。坂上先輩への恨みを晴らすには今が絶好の状況だと。以前まで同じ部屋だった竹本先輩は坂上先輩の財布の置き場所だって知っていたでしょ」
三浦さんが何も言わないのでそのまま話を紡ぐ。
「盗んだ財布はポケットにでも入れたんでしょ。竹本先輩の本当の部屋の鍵はまだ寮監室にありますから。だから竹本先輩は鍵を変えるために一度寮を出ました。もし次も三浦さんが間違った鍵を渡せばその時は言えばいい。それで前回の鍵がどっちの部屋のものだった、なんて詮索は行うはずもありません。つまり竹本先輩が鍵を寮監室に戻した時点でこの窃盗は完成されていたんです。どれだけ三浦さんに聞いてもわたしの鍵は寮監室の外には一片たりとも出ていなかったと答えられます。」つまり、と言った。「犯人はわたし以外ありえない、そんな状況が生まれるんです」
少しの沈黙の後、三浦さんは頭を静かに下げた。わたしは慌てて止めたが、中々顔をあげてくれなかった。やっとの思いで見せた表情は涙で乱れていた。
「わたしのせいで水ちゃんが悲しい思いを。ごめんなさいね」
と繰り返す三浦さんにわたしは優しく付き添った。しばらくして涙が収まった三浦さんに言った。
「別に気にしていませんよ。それにちゃんと謝ったので坂上先輩もきっと許してくれると思います」
薄っぺらな言葉を並べる。
「わたしは大丈夫ですから、三浦さんは気にすることなんて一つもないんですよ」
三浦さんはわたしにもわかるような作り笑いを浮かべた。
「ありがとうね、水ちゃん」
わたしは静かにお礼をしてから寮監室を後にした。最後に三浦さんが「どうして」と呟いたのを、聞こえないふりした。続く言葉は想像できた。
「どうして竹本さんを庇ったの」
玄関から見える空模様はもう随分暗い。どうやら少し話しすぎたようだ。スリッパを脱ぎロッカーからローファーと交換する。背後から声が聞こえたのはその時だった。
「どうしてわたしを庇ったの」
振り返ると竹本先輩が立っていた。先輩の顔を見られない。わたしは自分の足元に視線を集めたまま答えた。
「特に理由はありません」
返事がなかった。気になって顔を上げると竹本先輩の顔がはっきり見えた。
涙で赤く腫れた瞳。引きつった顔には凛々しさを感じない。全身から漏れ出す雰囲気は以前のかっこよさを全て捨て、ただただ黒く包まれている。
そんな先輩の姿を見たかったわけじゃなかった。声にならないわたしの想いは胸の中で静かに溶けていく。
駒沢さんと別れた後、三浦さんに財布を借りて、そのまま竹本先輩の部屋に直行した。坂上先輩との約束の時間に遅れることなんて、もうどうでもよかった。
運よく竹本先輩は彼女の部屋に一人でいた。ノックをしても返事はなかったが、鍵がかかっていなかったので恐る恐る中を覗くと、竹本先輩は毛布で包まりながらベッドで縮まっていた。その姿を見た瞬間悲しくなった。そして同時に救いたいと思った。わたしの憧れた先輩を取り戻すために。
だからわたしは竹本先輩に自分の推理を聞かせた。三浦さんの勘違いの事。竹本先輩の勘違いの事。竹本先輩と坂上先輩の喧嘩の事。
わたしの推理を静かに聞き終えると、竹本先輩は我慢していた涙が限界を迎えたのか毛布の上に雫をこぼした。
出来心だった、と。坂上に一つくらい仕返しをしたかった、と。あなたを巻き込むつもりはなかった、と。罪悪感で押しつぶされそうだと。先輩の口からは言葉が次々と漏れていく。
憧れだった竹本先輩が子供のようにいつまでも泣いていた。先輩の肩は優しく触れなければ簡単に崩れてしまいそうなほど脆く感じた。
正直竹本先輩の隣に座り、頭を撫でてあげている時間は幸せだった。誰も見たことがない先輩の表情を見ることができて優越感に浸っていた。こんな時間がずっと続けばいい、なんて甘い考えが何度も頭をよぎった。
でも今を逃せばわたしが憧れた先輩はもう戻ってこない。わたしが心から尊敬していた先輩は消えてしまう。わたしが好きになった竹本先輩にはもう会えない。
だからわたしは竹本先輩にある嘘を言った。財布を返してくれれば全てをなかったことにできる方法があると。竹本先輩は半信半疑の気持ちでわたしに坂上先輩の財布を託してくれた。
竹本先輩にもう一度会えるなら犯していない罪を被ることぐらい我慢できた。
でも結局、竹本先輩は帰ってこなかった。どうやら人生はそう簡単に上手くいかないらしい。諦めも重要だ。
わたしはローファーを履き玄関のドアに手をかける。振り返ると竹本先輩の瞳から涙がこぼれ落ちていた。
やめてくださいよ。
わたしの知る竹本先輩は簡単に人前で涙を流したりしない。
わたしの知る竹本先輩はいつでも凛々しかった。
わたしの知る竹本先輩はどんな時でもかっこよかった。
わたしの知る竹本先輩は正義を貫いていた。
わたしの知る竹本先輩は自分に厳しい人だった。
わたしの知る竹本先輩は憧れの人だった。
わたしの知る竹本先輩は心から尊敬できる人だった。
わたしの知る竹本先輩は……。
ドアノブを握る手に力がこもる。
「わたしは竹本先輩が好きだった」
涙と一緒に流れた愛の告白は、すぐに床に着弾し弾けるように消えていった。
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