イズミ

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イズミ

「今日はゴーヤチャンプルなんだ」 食堂に入り、食卓に並んだ料理を見て、柳が珍しく話しかけてきた。ゴーヤチャンプルの上にかけられたカツオ節が熱でウネウネとまるで生き物の様に揺れている。 「うん。暑いから、夏バテ防止にね。柳さんはスパムじゃなくて、豚肉だよね」 「何で、分かった?」 椅子に座りながら、柳が聞いてくる。 「八百屋の斉藤さんが教えてくれたんだ」 「ああ、なるほどね」 いつもの様に手を合わし、いただきますと言う柳を見ながら真一は『泉くん』の話もしようと思ったが、何故か出来なかった。 『泉くん』が柳の料理を作ってあげるほどの仲で、斉藤が覚えるくらい、頻繁に通っていたなら。もっと泉の痕跡が屋敷にあってもいいはずなのに、今日聞くまでその存在すら知らなかった。 初日に見た散らかり放題の部屋、宅配での食材取り寄せが続いていたなら当分前に何かあって、『泉くん』はいなくなったのだろう。 それはもう自分が詮索してもいい様なことではない、とゴーヤを食べながら真一は思った。 律子に柳の様子について聞かれたのは猛暑がようやく去っていった頃。 「作品の進捗ですか?冬には出来上がるみたいですよ」 柳の屋敷に行かない日は画廊で過ごす。そんなに忙しくない画廊とはいえ、流石に仕事がたんまりあるのだ。律子も自分で動いてるとはいえ、雑務はどうしても真一がやる羽目になる。 「ああ、作品もだけれど、体調は大丈夫?」 「今の所は。真夏に少し夏バテっぽくなってましたけど」 「それなら良かった。真一くんも無理しないでね」 律子がそう言って、手元の画集をめくり始めた。今日はお客が一人も入らない。ゴー、と空調の音とページをめくる音が響く。律子の座っている椅子の横で、真一はパソコン業務をしている。 夏の夕陽が画廊を赤く染めていく。 「……あの、律子さん。以前、柳さんのことちょっと訳ありだからって言われてましたよね。何かあったんですか?」 真一の言葉に、律子が画集から目を離して真一の方を向く。テーブルに置かれた紅茶を一口飲むと、頬杖をつく。 「一緒にいて分かったと思うけど、人間嫌いなところがあるからそれが気になったのよ。でもうまくいっている様だから……」 そう言いながら、真一と目を合わさない。人間嫌いが『訳あり』の一部であることは分かったが他にも何か、律子は隠している。 「……今日はもう、仕舞いましょう」 柳との暮らしは慣れてしまえば苦痛ではない。少しムッとする事はあっても、後腐れなくやれているのだが、ここ最近何か喉に小骨が刺さった様な気持ちになるのは、斉藤と律子の様子だ。ただの世話人が詮索することではないのだ。だけど…… 週に三回、一緒にいる間柄はどこまで詮索が許されるのだろうか。 その日はアトリエを掃除する日だった。いつもは柳がこもるので掃除はしないのだが、週に一回、掃除をする日を設けることとなった。 屋敷の部屋を改造したのだろう、土間になっていて天井も高い。大きなイーゼルがたくさんあり、棚にはたくさんの画材が置いてある。印象的なのは大きな窓。そこから沢山の木々が見えてまるで緑のカーテンだ。 いつもなら柳がまた作業に入るので早めに切り上げるのだが、昨日の夜、今日はアトリエはもう使わないから、と言われていたので少し時間をかけて掃除しようと真一は腕まくりをした。 窓を開けて換気をしながら掃除をする。墨の香りが漂っていたアトリエは、外からの空気であっという間に香りが消えた。 真一はこの墨の香りが好きだ。ここに来てからではあるが、この仄かな苦い香りが落ち着く。 許されるならこのアトリエでゆっくりとした時間を過ごしてみたいと思ったこともある。 緑のカーテンの中、チェアーに座り、お気に入りの本を読みながらコーヒーを飲む。 隣で柳が物静かに創作を続ける…… 不意に鳥の羽ばたく音が聞こえて、真一はハッと我に返った。 (今……、何考えてた?) 先ほどの妄想が、何か考えてはいけないことのような気がして頭を振る。 そしてアトリエの奥、いつもは掃除していない棚をハタキで掃除していると…… カタン、と何かが落ちる音がして、慌てて真一が音のした方に駆け寄った。 落ちていたのは小さなイーゼル。かけられていたキャンバスが転がっている。そのキャンバスを見て、真一は、あっ、と小さな声を出す。 そこに描かれていたのは背の高い青年だ。カラフルな色を使っている。今の柳の作風とは違うのに、それが柳の作品だと確証したのは、その人物が先日見た、律子に納品される筈だったあの作品に描かれている「彼」と瓜二つだったから。 (だけど、こんな色使い……) ふと、衝動にかられて真一は、近くの棚の作品を漁ってみる。すると出て来たのは、その彼のスケッチ。しかも、何枚も出てくるのだ。 どれも細身で、優しい表情をしている。中には頬杖をついてこちらを愛おしそうに見つめていた。そしてその口元には特徴的なホクロがあった。 何枚も出て来た作品の、顔が認識できるものは全て口元にそのホクロがある。 (全部、同じ人物を描いたんだ) こっちを見つめる目は、まるで恋人のようで…… 『そういや、泉くんもそんなこと言いよったわ』 斉藤の言葉が脳裏をよぎる。 料理を作ってあげるほどの仲で、斉藤さんが覚えるくらい頻繁に通っていたなら。『泉くん』はひょっとして、モデルだったのではないか。この大量にあるスケッチを描くぐらいに通う、モデルで……。 (もしかしたら、恋人……?) あの眼差しがそう、感じさせた。男同士だとか、そんな概念が吹き飛ぶほどの眼差し。 だとしても何故、こんなに奥に作品をしまっているのだろう。そして画廊にある絵のように水墨画という色のない作風になったのだろう。 真一は作品を収めて、その場から離れた。
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