一.

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一.

「ねぇ、シンデレラのお話って、知ってるでしょ?」 ふいに私の腕枕から頭を上げた女が、悪戯っぽくも憂いを(たた)えた瞳を向けて言う。 「あぁ、知ってるよ。世界中の誰でも知ってるさ」 答えながら首を回し、まるで西洋のモデルのような整った顔立ち、首から肩へかけてのライン、今はシーツに隠されているその下の肢体に視線を泳がせる。 その女とはついさっき出会ったばかりだった。 いつも通りに十八時に退社し、いつも通りに馴染みの定食屋で夕食を済ませ、いつも通りに馴染みのバーで辛口のカクテルをたしなんでいると、 「隣、いいかしら?」 不意に背後から声が掛けられ、私が答えるよりも早く隣の席に一人の女が、長く柔らかなブロンドの髪をゆったりとかき上げながら腰を降ろして肩肘をつくと、切れ長の大きな目で上目遣いに私を見詰めてきた。 「どうぞ」 言いながら振り返りその目と目が合った瞬間に、私は雷に撃たれたような、とでも言おうか、とても理屈では語れない、これまでの人生で一度も感じたことの無い程の激情、衝動、何かそういった本能の爆発のようなものに襲われ、その後の言葉を全て失った。 女はそんな私に妖艶に微笑むと、私の飲みかけのグラスを指先で焦らすように手繰り寄せ、ゆっくりと口へ運び、飲み干し、 「時間が無いわ。行きましょ?」 と私の手を取り立ち上がった。 私はもはや体の自由を奪われたかのように、彼女にいざなわれるがままに店を出て、夜の店が立ち並ぶ坂道の途中にある路地へと入り、真っ直ぐに高級なファッション・ホテルの一室へと辿り着き、今に至る。 「シンデレラがどうかしたのかい?……あぁ、もう十一時を過ぎてるのか。つまり、そろそろ帰るって意味かな」 ベッドサイドに乱雑に脱ぎ捨てられた衣服の中からスマホを見付け出して画面を確認している私に、 「まぁ、ね」 女は答え、 「じゃあ、本当のシンデレラのお話は知ってる?」 と続けた。 「本当の……って、あぁ、昔流行った気がするな。原作のシンデレラはけっこう残酷で怖い話だっていう」 「じゃなくて、実在した本物のシンデレラの話よ」 「えぇ?シンデレラって実話だったのかい?それは初耳だな」 スマホを置いて再び彼女に視線を戻しながらも、こういう状況で語るような話ならばただの軽い冗談かなとも思ったが、 「まだ時間もあるし、折角だからちょっとお話ししようかしら?奇天烈怪奇な運命に飲み込まれた一人の娘の物語……。昔々、フィレンツェ郊外のとある農村に、アンジョレッタ・クロッコという娘がおりました」 ゆっくりと身をよじり仰向けになった女が語り出したので、私は肘をついて頭を支え、流暢な日本語を紡ぎ出すその異国の女の口元を見詰めながら、黙って耳を傾けた。
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