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演奏者同士が入れ替わるその僅かな静寂の後、ステージ上に姿を現した天崎翼は、もう何度も立っているそこで足がすくんでしまいそうだった。それでもなんとか己を鼓舞し、ステージ中央で一礼する。その後ろで翼を待っているようなピアノと向き合って、はたと気づいた。
全身に力が入ってしまっている。最近新調したばかりの慣れないスーツが、緊張感をさらに助長させているようだった。
これじゃあまるでダメだ。翼は目を閉じて天井を見上げる。深く息を吸い、無駄な思考回路を断絶させたのを確認して鍵盤と向き合う。
大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせ、這うように鍵盤の上に指を添わせた。
その場の空気、雰囲気が一瞬にして変わる――。
*
エントランスに張り出された結果を見て、翼は深く息を吐いた。
「またダメか……」
正直、今回は行けると思っていた。今までのどの演奏よりも気高く、それでいて繊細で、なおかつ全身全霊を叩き込んだという自信があった。
それでも、ダメだった。
「はあ……」
帰ろう。ため息をついてその場を離れようとした時だった。
「天崎くん」
不意に呼び止められた。今年からクラスが一緒になった双子の姉妹、姉の成瀬恵那と妹の麻那だった。二人とも全く同じ容姿をしているから、ぱっと見ではどっちがどっちか分からない。
「二人とも、見に来てたんだ」
「昨日LINEしたでしょ?」
麻那の方が眉をひそめる。そうだったっけ、と翼はスマホを取り出してLINEを開いた。確かに麻那から「明日恵那と見に行くね」と来ていた。当日前、最後の確認に追われていて気づかなかったようだ。
たった今それに気づいた翼を見て、麻那はどこか呆れにも似た声を漏らす。
「ホント、天崎くんってピアノに集中すると何にも気づかなくなるよね」
憮然とした気持ちになったけれど、事実だから何も言えない。昔から暇さえあればピアノを弾いていたような子供だった。家族からも、「たまには外で思い切り遊んできなさい」と言われたほどだ。それくらい、翼にとってピアノというのは身近にあるものだった。言ってしまえば、生活必需品のようなものだった。
「良いだろ。そういうやつなんだし」
言うだけ言ってその場を離れる。予選落ちという結果を突きつけられた以上、もうこの場に残る理由はない。
「あれ、結果見ないの?」
「もう見たよ。また予選落ち」
「またぁ? え~、今回は行けたと思ってたんだけどなぁ」
「なんで恵那が思ってんの」
カナリアの鳴き声が遠く小さく聞こえる中、翼は一人で現実を受け止めた。
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