第一章:似た者同士

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 鍵盤の上に指を添え、すべての雑念を取り払う。もう何度も弾き慣れた『月光第3楽章』を奏でていった。  …………。  ……………………。  ………………………………?  弾いている途中、翼は違和感を覚えた。  なんだろう、昨日までと、どこか違う気がする。  確かに今、彼は『月光第3楽章』を弾いている。だが、その(ずい)の部分が、昨日までのそれとは打って変わって聞こえてきた。  昨日までは、曲のタイトルに似合わないような――言ってしまえば、新月の夜のような重苦しさがあった。それがどうだ、満月の光が差し込んでいるような暖かみと儚さ、そして寂静さすら感じた。  翼はふと、視線をすぐそこで聴いている彩夏の方を見た。穏やかな表情をしていた。  それを見ると、まだ半分も弾き終わっていない『月光第三楽章』が不意に止まってしまった。目を閉じて聞き入っていた様子の彩夏も不思議そうに目を開いて首を傾げる。  〈どうしました?  楽譜を立てるところに置いていたスマホの画面にそう表示される。 「……あっ!」  数秒遅れて、ようやく翼は自分が演奏を止めているのだと知った。事の重大さを思い知る。演奏家において、たとえプライベートの演奏でも途中でそれを止めることは御法度(ごはっと)に等しい。 「ごめん、こんなつもりじゃなかったんだけど……」  今から巻き返そうとしても無理だと分かった。だから極まりが悪そうに彩夏と目を逸らす。  何をやっているんだ、僕は……。初対面の女の子の安らかな表情を見て気が緩んでしまうなんて。些細なことで惑わされていたらダメじゃないか。  内心で自分をひたすら叱責していると、スマホが震えた。相手は言わずもがな、目の前の少女だった。  〈ステキでした  え……?  〈そんな風に楽しそうにできるの、羨ましいです  羨ましい? 楽しそう?  〈途切れたのは残念でしたけど(笑)  〈いつか全部、聞かせてくださいね  翼は凝視していたスマホから目を離し、いつの間にか隣に立っていた彼女を見た。やや涙目になりながら、真っ直ぐに翼を見ていた。  楽しそうも、羨ましいも、かっこいいと同じだった。初めて言われた。 「……ありがとう」  そう、一言だけを絞り出すので精一杯だった。彼女は何も反応しなかった。
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