第13話 お祭り前夜

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第13話 お祭り前夜

 同日、5月13日、15時半。川の畔。  昼間に約束した通り、父さんと美神さんは川の水位と水量を確認するために、川へと向かった。川の水位が高ければ当然危険であるし、水量が多くても危険だ。事故を防ぐためにも、やらなければならないことである。 「よし、緑川はん。それをおろしてや」 「は、はい」  父さんは、美神さんに渡された水位を測るための道具を川の中に入れた。普段のこの川の水位は、大体30センチくらいから1メートルくらいだ。つまり、それくらいならば普段通りなので問題はないといえる。 「どうや!」 「・・・・・・はい、問題ありません!」 「さよか。水位が問題なければ、水量も問題なさそうやな」 「そうですね」  父さんに問題はないと言われ、美神さんは運営テントへと戻っていった。水位と水量に問題がないということは、前夜祭と人形流しが行われるということだ。  その後しばらくして、町内放送で前夜祭の実施と、当日の実施が美神さんによって全町民へと伝えられた。  そして時は過ぎ、同日、18時。いよいよ前夜祭が催されることとなった。この前夜祭とは、予行演習の側面が大きいが、どのように人形流しをやるのか、それを町外から来た観光客の人にも見せる意味合いも強い。実際にやってもらうのは、当日になる。 「うわぁ。屋台もたくさん出てるんだね」 「ああ。予行演習言うても、前夜祭やからな。そういう祭りに乗じて集まる輩はたくさんおる。それを取り締まるのも、わしらの仕事じゃあ! ええのう、政!」 「おうっす!」  この人は、本当はヤクザか何かなんじゃないかと時々思う。が、生まれてからずっと関西に住んできたのは確かだが、中学に上がる頃にこちらに引っ越してきているため、関西のヤクザとは関係がないらしい。そもそも、二条城近くのマンションに住んでいたため、縁もゆかりもないとは本人談。  政と呼ばれた人は、数人の仲間を引き連れて、巡回へ向かった。そもそも、それは警察の仕事ではないのか、と思ったが、駐在さんとコミュニケーションを取って行っているので、自警団のようなものだろう。 「何食べる?」 「え? うーん、そうだなぁ」  前夜祭、というだけあって、屋台が当日ではないのにたくさん出ている。食べ物系はもちろんのこと、どこかで見たことのある射的のお店や、輪投げのお店などもあった。ブームを先取りしているのか、タピオカの屋台なんてものもあった。 「う、何、この臭い・・・・・・」  何を買うか迷いながら歩いていると、とある一角からものすごい異臭が漂ってきた。その一角は、屋台ではあったが、ただの屋台ではなかった。 「お、兄ちゃん。どうだい、食べていくかい?」 「い、いえ。それ、何ですか?」 「ん? 書いてあるだろ?」  鼻をつまみながら近づくと、紙のボウルに入った豆腐のような何かを勧められた。屋台には『臭豆腐』と書かれていた。 「臭豆腐?」 「まぁ、ただのこいつは臭いが激しいかもしれないが、揚げたやつはものすごく美味しいんだぜ? ほれ、騙されたと思って食ってみろ」 「いえ、結構です。食べたら、口にその臭いが残りそう」  実はこれ、誇張ではなく実際に食べたらしばらく臭いが残る。餃子や焼き肉を食べた後にニンニクなどの臭いが気になるのと同じ感じだ。  臭豆腐の屋台にさようならを告げて、さらに少し歩くと、お馴染みの屋台が見えてきた。 「あ、あれがいい」 「お、焼きそばか。いいぞ」  父さんに焼きそばを買って貰い、道の脇にそれて食べることにした。なんで、こういうお祭りや海の家とかで食べる焼きそばは美味しいのだろうか。と、真面目に検証してみたくなる。  焼きそばを食べてゆっくりしていると、奥から見知った顔がやってきた。じいちゃんとばあちゃんである。母さんは、昨日の雨で風邪を引いたとかで家で薬を飲んで休んでいる。 「じいちゃん! ばあちゃん!」 「ああ、修ちゃん」 「どうしたの、じいちゃん。お仕事はいいの?」 「ああ。昨日で全部仕上げたからのう。どれ、何か食べたい物とかあるかい? 買ってあげるよ」 「本当? ありがとう!」  じいちゃんの手を引っ張って、俺は屋台の方へとかけていった。父さんには焼きそばを買って貰ったけど、欲しいものは他にもあるのだ。  それから少し経って、21時頃。本番はもう少し早い時間に行うが、いよいよ人形流しのデモンストレーション(?)が行われることとなった。それに先だって、町長から人形流しについて説明がされる。 「えー、それでは。これより、人形流しについて説明します。人形流しとは、時は遙か遡り、今からちょうど500年前の1615年、江戸時代初期に歴史は始まります。当時は、大坂夏の陣のまっただ中でした。そんな中、大坂冬の陣と大坂夏の陣で亡くなられた方の魂を、迷いなく天へと送るために始まったのがこの、人形流しなのです。それから数百年がたち、次第に意味は変わっていき、江戸時代後期には厄を人形に乗せて流したり、願いを込めて流すようになり、今日に至ります。そこで、本日は予行練習としていましたが、大坂夏の陣で亡くなられた英雄たちの死を追悼して行いたいと思います。あ、明日の人形流しは、例年通りですので、そう畏まらなくてもよいですよ」  町長からそう説明されると、予め準備していた10人と、一般参加者から選ばれた10人の計20人が、大坂夏の陣追悼の人形流しを行った。  ほんのりとろうそくによって灯が灯された人形が、小さい船に乗って流されていった。ちなみにこの追悼人形は、翌日に行われる人形流しで厄を乗せて流された人形と同じように、焚き上げ供養される。  こうして、お祭り前の前夜祭は終わりを告げたのであった。
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