貯金箱1

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キリマンジャロブレンドの 挽きたてのコーヒー豆の匂いが 朝の目覚めを心地の良いものにする。 こんがり焼き目のついた 厚切りトーストが焼き上がり、 そこに乗せられた目玉焼きは 中央の薄膜をひと突きすると 黄身がとろりと流れ出てくる。 窓からは明るい日差しが差し込み、 カーテンの裾がひらひらと風でなびくのを 無意識に目で追いかける。 ベランダの物干し竿にやってきた 雀のさえずりが心を穏やかにする。 そんな食欲を掻き立てる素敵な朝は、 僕の妄想に過ぎない。 交際3年の彼女、麻衣と同棲を始めて、 2回目の夏を迎えようとしている。 元々僕の住んでいた 狭い四畳半のアパートは 雑草も育たぬ程に日当たりが悪く、 心なしか部屋全体が霞んでみえる。 お情け程度の薄っぺらい壁のせいで 隣人の生活音が筒抜けであり、 いまいち落ち着かない。 とはいえ互いに仕事が忙しく、 寝床、兼物置の役割にしか 機能していないため、 あまり気にしていない。 朝はTVのニュース番組を流しながら、 昨晩買っておいた安売りの惣菜パンを 適当にかじる。 「うわ、また靴下乾いてないわ。」 「ただでさえ日当たり悪いのに、 最近雨ばっかだからね。」 東京都心は今日も傘が手放せません。 そんな天気予報士の声が さり気なく追い討ちをかけてくるが、 朝から一喜一憂している暇もない。 洗面所で髪を束ねる彼女に 玄関口から声をかける。 「先出てるよ。」 「うん、いってらっしゃい。 あ、そこのゴミ宜しく。」 「ほいよ。」 そう言って持ち上げかけた ゴミを一度下ろし、 財布から取り出した500円玉を 玄関に置かれた豚の貯金箱に入れ、 会社に向かった。 頼まれたゴミの存在を思い出したのは、 会社の自販機で買った 缶コーヒーを捨てた時だった。
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