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すれ違いざまに腕を掴まれた時、イヤな予感がした。
逃げろ!と思った時にはすでに遅く、グロスで艶やかに彩られた彼女の唇からその言葉が解き放たれようとしている。
「あの、時任さん!わたし前から時任さんのこと……!?むぐっ…」
俺は咄嗟に彼女の口を手で塞いだのだが、勢い余って彼女を廊下の壁にドン!と押し付ける形になってしまった。
「あ、力入りすぎた。悪い…」
手を離しても彼女は驚きのあまりしばらく大きな目をさらに大きく開いたまま固まっていたが、やがてヘナヘナと座り込むと「うわーん」と泣き出した。
俺は通りかかった男子社員によって羽交い絞めに拘束されながら、俺だってホントはきみみたいな可愛い子大歓迎だよ、付き合ってデートしたりエッチなことだってしたいよ、でもダメなんだ。ああ俺だって泣きたい…と思っていたのだった。
2日間の自宅謹慎ののち出社を許可され、朝イチで人事部長に呼ばれた。
「時任君、残念だよ。一体どうしたんだ、女子社員にいきなり暴力を振るうだなんて。そんなに営業の仕事がストレスだったのか?営業成績もよくて有望株だと聞いていたんだが…」
人事部長は眉間にしわを寄せて大きなため息をついた。
「…申し訳ありません」
俺は深々と頭を下げた。
「彼女は警察沙汰にする気はないと言っている。よかったな」
「彼女に謝罪することは可能でしょうか?」
「…いや、会いたくないと言っている。だから、彼女のそばには絶対に近寄らないように。もしもこの言いつけを破った時は…どうなるかわかっているね?」
次は依願退職を迫られるんだろうな…いや、クビかも?と思いながら、もう一度深々と頭を下げた。
「はい、承知しております」
目の前に紙を差し出されて顔を上げる。
「きみの新しい職場だ。頭を冷やしてまたゼロから頑張りたまえ。期待してるよ」
1じゃなくてゼロかよ、と思いながらその紙を受け取った。
人事部長は、俺の肩をポンと叩くと部屋を出ていった。
受け取った紙に目を落とすとそこには
『辞令 7月3日付で、営業部営業1課の任を解き、総務部総務課倉庫管理係への異動を命ずる。 以上』
と書かれていた。
ああ、島流しか…。
問題を起こした社員が集められる部署があるという噂は入社当初から聞いていた。
まさか、俺が行くことになるとはな!
総務部長のもとへ挨拶に行くと、そのまま倉庫管理係がある地下の部屋に案内された。
地下2階でエレベーターを降りて、どこかで鳴っているブーンという機械音を聞きながら誰もいない長い廊下を進むと、突き当りにその部屋はあった。
「いま常駐している社員は、小野あきらさん一人なんだ。まあ、仲良く頑張ってくれ」
総務部長はそう言うと、部屋の中には入らずに来た廊下を戻っていった。
俺は総務部長の背中に向かって一礼したあと、ノックしてからその扉を開けた。
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