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ビールをぐびぐび飲んでいる北川さんの、上下する喉仏がなまめかしい。
一体この人とふたりっきりで、何を話せばいいんだろうか。
「暑いからあんまり歩きたくないよねー」「普通にくつろげるお店のほうがいいでしょう?」「飲茶いくか」
一方的に話す北川さんの言葉に、ひたすら首を縦に振り続けていたら
「それともラブホいく?」
という言葉にも危うく頷きかけて、慌てて首を横に振った。
「あはは、ひっかからなかったか、残念」
ああ、やっぱりこの人のこと、苦手だ。
そして今、小ぎれいでこぢんまりとした中華料理屋さんの飲茶コースを食べているところだった。
わたしたちの共通の話題と言えば、彼のことしかない。
「時任さんもお誘いしたほうがよかったですかね?」
「ダメ!」
北川さんが間髪入れずに否定する。
「あいつデリカシーないし、酒入ると大きな声で下ネタ言うから女の子の機嫌が悪くなって気まずくなるんだよね」
ふふっ、時任さんらしい。
「でも、恋愛経験は豊富だみたいなこと言ってたから、時任さんモテるんですよね?」
「そうだね。見た目は悪くないし、明るくて裏表ないヤツだからモテるよ。告白されたときにフリーならとりあえずOKして付き合う主義みたいだし」
そんな主義があるのね。
「はあ、、、」
「たださ、あいつ馬鹿でガキだから、すぐフラれるんだよね」
思わずぷっと笑ってしまった。
「なるほど、なんとなく想像できます」
時任さんに関してかねてから疑問に思っていたことを北川さんに聞いてみた。
「どうしてそんな方が、女子社員に暴力を振るったんでしょうか?」
すると北川さんは、あははと笑いながら説明してくれた。
「あれは、女の子に告白されそうになって、感電するのが怖くて勢いよく口を塞ごうとしたのを暴力だと勘違いされたらしいよ」
なるほど、なるほど。
納得です。
やっぱり時任さんは悪い人ではないんだな、と思いながら春巻きをかじっていると、北川さんがぽつりと言った。
「時任とケンカしたんだってね」
わたしはコクコク頷いた。
「わたしが少し感情的になってしまって…時任さんは、よかれと思ってやってくれようとしているのに」
「業務改善提案書のことだよね?」
食事の手を止めて一旦お箸を置いた。
北川さんをじっと見る。
「何でもご存知なんですね。今日わたしを誘った目的は何でしょうか。時任さんに何か吹き込んだのも北川さんですか?時任さん、明らかにある日を境に…正確には北川さんと食事に行ったあの翌日から態度がおかしいんですけど」
北川さんは両手を挙げた。
「ごめん、そんなに警戒しないで。あの日、人事の同期からきみがいつもICレコーダーを忍ばせているって聞いたんだよ。時任はそれがショックだったみたい。俺は…これはただの推測だけど、あきらちゃんがそんな恰好をして『オンナ』を消しているのも、会話を録音しているのも自分を守るためなんだろうってわかるから、それぐらい当然だろうって人事のヤツとその時に言い争いになってしまってね。時任はオロオロしてたよ」
純粋に、仲のいい時任さんを心配しているだけ…そう思っていいんだろうか。
そうなんだとしたら、時任さんがやっぱりうらやましい。
新しい蒸籠が運ばれてきて、フタを開けると小籠包が湯気をあげていた。
再びお箸を持って、小籠包を小皿に取り、冷ますために半分に割った。
「ごめん。食事中に気まずい思いをさせてしまったね」
「……2年前に男性社員に押し倒されて襲われそうになって、それ以来、体の線が出る服装をやめました。被害を訴えても総務も人事も取り合ってくれなくて仕方なく会話を録音しました。今はもう使っていません。『業務改善提案書』は、わたしも過去に同じ内容で提出したことがあるんですが、握りつぶされた挙句、嫌味を言われました。だから、時任さんが作成すると言い出したときに嫌だと反対したんです。時任さんが、うちの会社ってそんな一面もあるんだってガッカリして傷つくのは気の毒だと思ったからです」
小籠包をふうふうしながら口に入れたけれど、美味しいはずの小籠包はあまり味がしなかった。
「なんでそこまでしてうちの会社にしがみついているんだって思っているでしょう?転職するにしても人間関係がこわくて、わたしはあの倉庫で書類を整理しながら自分の傷が自然にふさがるのを待っていたんです。9月いっぱいで辞めるつもりなので、もうあきらはいなくなるから大丈夫だよって時任さんに伝えてください」
お箸を置いて北川さんを見つめた。
「これで満足ですか?」
北川さんが眉を寄せてこちらを見ているのは憐れみだろうか。
わたしはバッグを持って立ち上がった。
「お会計は済ませておくので、あとはおひとりでどうぞごゆっくり。失礼します」
行こうとしたところで北川さんに手首を掴まれた。
「ごめんね、あきらちゃんにそこまで言わせるつもりじゃなかった。ねえ、抱きしめてもいい?」
やっぱり、憐れんでくれているんだ。
「同情は不要です」
「ははっ、あきらちゃんは隙がないなあ。ここは、黙ってぽろぽろ泣き出して、それを俺がやさしく抱きしめるって場面じゃないの?」
「ないです」
だって、涙なんてもう出し尽くしたもの。
北川さんはくつくつと笑った。
どうやら、めげないタフな性格らしい。
「まあ、座って。一緒に食べよ?」
わたしは小さくため息をつくと、再び座った。
時任さんや北川さんと出会ってから、冷たいロボットのようだった自分の表情や感情が揺れやすくなって困る。
こうなったら、北川さんが引くほど食べてやるっ!
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