第7章 真夏の夜の夢

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 翌朝、業務開始時間ぎりぎりにやって来た時任さんに、わたしは頭を下げた。 「昨日は申し訳ありませんでした」 「え……」 「『業務改善提案書』の件ですが、提出は10月以降にしていただけないでしょうか。そうであれば、ぜひ作ってください」  わたしが辞めた後での提出であれば、その提出者は時任さんだということになる。  時任さんからの提案なら、握りつぶされない気がした。 「お、おう。了解」  時任さんは、わたしの雰囲気に気おされたのか、なぜ10月以降なのかということには触れてこなかった。  その後はいつものように、わたしは倉庫の奥で書類整理をしながら過ごし、時任さんはたぶん提案書の作成を頑張っていたのではないかと思う。  途中、時任さんに、わたしのデスクの引き出しから定規を持って来くるようお願いした。 「右の一番上の引き出しに入っていると思うので、お願いします」 「はいはーい」  ガシャっという引き出しが開く音が聞こえて…時任さんの動きが止まっている様子だった。 「なあ、あきらパイセン?ちょっと来て」 「なんでしょう?」  デスクに戻ると、時任さんが引き出しの中を指さしている。 「これってさぁ…」 「ん?ICレコーダーですよ。最近は全然使ってないのでホコリかぶっていますが、前にセクハラおやじがいたときはその証拠を残すためにジャケットのポケットに忍ばせていました。それが何か?」  時任さんが、前髪をぐしゃぐしゃにしはじめた。 「なんだ、そっか」 「定規持っていきますね」    これで時任さんの勘違いは解けて、彼の心は少し軽くなっただろうか。  そうであればいいのだけど――。  業務時間終了後、今日は「早帰りデー」のため、残業なしで箱を片付けて帰り支度をしていると、北川さんが倉庫にやって来た。 「あきらちゃーん、酒飲みにいこー」  なんなんだこの人は……。 「え、俺じゃねーの?なんで、あきらパイセン?」  時任さんがキョトンとしている。  すると北川さんはにやにや笑った。 「昨日さあ、あきらちゃんったら大胆かつ積極的で驚いたよ。『もっと、もっと』って」 「ちょっ、おまえらもしかして…」  うろたえている時任さんを内心かわいく思いながら、ため息をついた。 「北川さん、そういう妙な勘違いをされそうな言い方やめていただけますか。わたしが昨日、杏仁豆腐を何杯もおかわりしたことを言っているだけでしょう?」 「あはは、当たり」 「はあ?なんだよそれ。つーか、メシ食いに行ったの?杏仁豆腐食べ放題か?そんなのあるのか?俺にも声かけてくれよなー」  少し前を歩く北川さんの後ろで、時任さんと並んで歩いた。  オススメのショトバーに連れて行ってくれるらしい。 「おまえら、俺を差し置いていつのまに仲良くなったんだよ」 「あきらちゃんと仲良くなるのに、おまえの許可が必要なのかよ」 「ああ、必要だよ。あきらパイセンはウブなの!おまえのような遊び人はダメ!」  北川さんは、あははと笑って歩き続けている。 「つかぬことを伺いますが、北川さんはどういう女性が好みなんでしょう?まさか、こんなのが好きな変わったご趣味ではないですよね?」  自分を指さしながら時任さんにだけ聞こえる声で尋ねた。  時任さんはわたしを見下ろすとプッと笑った。 「まあ、たまには珍味が食べたくなるのかもなあ。でも、あいつの好みはお目目パッチリで、胸にすっぽり収まるぐらい小柄な子で、しかもおっぱいが大きい……ん?…あれ?」  話の途中で考え込んでしまった時任さんは放っておくとして、「珍味」扱いされたことに妙に納得したわたしだった。      
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