第8章 幸せな時間の終わり

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 営業部への復帰後は、また外回りで飛び回ったり出張だったりで社内にほとんどいない忙しい日々が続いた。  9月に入ると上半期の決算を控えた取引先の駆け込み受注・発注があったり、営業成績の目標達成に向けて頑張らないといけなかったりで、営業部はいつも以上にみんなバタバタしていた。  この喧騒の中に身を置きながら、頭の片隅でいつもあきらのことを気にしていた。  あれっきり、あきらとは一度も会っていない。  1か月半の間、現場を離れていただけで勘を取り戻すのが大変で、倉庫にいくヒマもなく必死に走り回っていた。同期と飲みに行っている余裕すらない。  次の早帰りデーに、前に北川がやっていたように終業時刻直後に倉庫に行って、あきらのことを誘おうか、そう思っていた。  そんな矢先、取引先との接待で思いもよらない話を聞いた。 「きみの会社にいた遠藤っていう営業マン、『奇跡の誤発注』だっけ?あれでこの業界で有名になったあの男が、先日わが社に自分を売り込んできたんだよ。俺を雇わないかって」 「遠藤さん…たしか2年前にうちを辞めて、転職したはずですが…」  自分の相場観云々で売り込んだとかなんとか、前に北川が言っていたような? 「そうなんだよ。本人は『キャリアアップのために転職を繰り返している』とか言っていたんだけれどもね、よく調べてみたらとんでもなかったよ。自分の相場観だか先見の明だか知らないが、かなり無茶な発注をしようとして、それを上司に止められたら今度は営業事務の女子社員といい仲になって伝票を作らせて、上の許可なく発注しようとしたらしいよ」  ん?どこかで聞いたような話なんだが? 「それがバレてしまって、立場が危うくなっているらしくてね。調べておいてよかったよ。そんな信用ならない男はいらないからねぇ。おたくの『奇跡の誤発注』って言われているやつも、その手口だったんじゃないのかい?」 「いやあ、実は私、そのとき仙台支社にいたのでよく知らないんですよ。あははっ」  時系列で少し嘘をついた。  もしもこの話が事実なのだとしたら、あきらは遠藤に騙されて篭絡されて、あいつのために伝票を作ったことになる。  公印の不正使用を認めないのはなぜだ。あの伝票を作った動機を言わないのは?  遠藤のことをずっとかばい続けているのか?あいつはもう転職して、たぶん、あきらのことを捨てたんだろう?そんなヤツのことをいまだにかばい続けるぐらいに好きなのか…?   その日の接待は、この話を聞いたあと酒もまずくなって吐き気を押さえながら笑顔を取り繕うのに苦労した。  そしてこの日を境に、俺の中で、あきらと過ごした倉庫での思い出が虚しく色あせたものになってしまったのだった――。
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