第9章 悪い魔女の正体

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 9月末日、上半期の決算日はいつも以上に何かと忙しかった。  営業先から戻る途中で、このまま直帰してしまおうか…とも思ったが、やり残した仕事があったことを思い出して、げんなりしながら職場に戻った。  机の上にメモが置いてあるのに気づいて手に取る。 『9月30日10:30 総務・倉庫管理係の小野さんよりTELあり 伝言なし』  ……あきらだ。  箱の上げ下ろしか?それとも、今日で期限が切れる箱の処分の件か?    時計を確認すると20時前だった。  なんにせよ、この時間にはもうあきらは帰っているだろう。  遠藤に関するあの話を聞いて以来、俺はなんだかあきらに失望してしまっていた。  本当は、本人にそのことを確認すればいいんだろうけど、「はい、実はそうです」と肯定されるのが怖かった。  うん、自分がヘタレだという自覚はとっくにある。  北川に相談したいところだが、決算前後は財務部は猛烈な激務であることを知っているから、さすがに色恋沙汰の相談は憚られる。  まあ、電話の要件が何だったのかだけでも、明日の朝あきらに電話してみようと決めた。  そして翌朝、外回りに出る前に倉庫に電話してみたが、コール音が鳴るだけであきらは出なかった。  さらにその翌日にも再びかけてみたが、またあきらは出なくて、外回りから戻った19時に倉庫を訪れてみたが中は真っ暗だった。  そのときはまだ、タイミングが合わないだけだと思い込んでいた。    俺は、あきらが当然今でもずっと倉庫にいて、あの姿のまま相変わらず脚立を右肩に担いで書類の整理をし続けていると思い込んでいた。 「はやく魔法が解けますように」なんて言っておきながら、あきらの日常がすでに劇的に変化していることなど、気付いてもいなかった。  土日をはさんで週明けの月曜日の朝、倉庫に電話してもまたもやコール音が響くだけで、さすがの俺も、これはおかしいだろうと思って受話器を置いてすぐに倉庫に直行した。    時刻は午前8時45分。  倉庫の中は電気がついていなかった。普段のあきらならとっくに出社しているはずの時間だ。ドアを開けて中に入り、電気のスイッチを入れた。  机の上はきれいに片付けられていて、並べてあったはずのファイル類もパソコンもなかった。  近寄って見てみると、あきらの机の上には、あきらの社員証と、几帳面な字で『書類データ』と書かれているラベルが貼ってあるUSBだけが置かれていた。  あきらの社員証を初めて見た。  そういえばアイツ、いつも首に下げていなかったよな。  この写真を見られるのがイヤだったのか?  そこには、ショートボブでメガネを外したかわいいあきらが写っていた。  その社員証を手に取ってしばらく眺め……いや、そんなことより!この状況は一体何なんだ!?  あきらの机の引き出しを開けてみた。  どこにも何も入っていなかった。 「あきら……?」  俺は走って倉庫を出て、人事部に急行した。  森田を見つけると、胸ぐらをつかむ勢いで「あきらはどこだ?」と聞いた。 「ちょっ、苦しいだろうが。放せ馬鹿」   森田は俺を振り払うと、はぁはぁ言いながら俺をフロアの外へと連れだした。 「小野さんなら先週退職したよ。何も聞いてなかったのか?北川は知ってたみたいだけど」 「え……先週ってもしかして9月30日に?」 「ああ、そうだよ」 「……それで今どこで何してるんだ?」 「知るか。転職するとだけ聞いた」  あきら…嘘だろ!?  不意に、あのときのあきらの言葉がよみがえる。 「教訓は『愛する人を信じなさい』ってことみたいですよ」  その言葉が俺の頭の中でひたすらにこだましていた――。    
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