第10章 月を追いかけて

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 キッチンカーの中に掛けられている小さなカレンダーで今日が土曜日であることを確認し、先週の土曜日のことを思い出しては自己嫌悪に陥っているわたしがいた。    会社を辞める少し前から始めた就職活動だったが、今のところまだいいお返事はどこからももらえていない。  そのかわりに今は、大学の友人である木下真理(まり)が始めたキッチンカーでのお弁当販売を、お客さんが集中する週末のお昼の時間帯に日当をもらって手伝っている。  これまでに貯めていた貯金と、退職金と、失業保険でしばらくはどうにか暮らせそうだから、あまり焦らずにじっくり新しい仕事を見つけようと思う。  倉庫に置かれていたメモをもとに北川さんにメールを送ったのは、これまでのお礼と時任さんのことをよろしくというお願いを兼ねてのことだった。  わたしが時任さんのことを「今後ともよろしく」と言うのはおかしいってことはわかっていたけれど…。  決算期で財務部は忙しいだろうから返信は不要だとも書き添えておいたのだけれど、すぐに返信をくれた。『どうしても会いたい』という言葉にほだされて、それなら最後に1度だけと思って東松公園で週末にお弁当を売っていることを話したら、先週の土曜日、休日出勤で昼過ぎまで働いて、その帰りにわざわざ会いに来てくれたのだった。  お酒の勢いで、北川さんにとんでもないグチを言ったかもしれない。いや、言った。  そっと胸にしまっておこうと思っていた、あの夜の時任さんと舌を絡め合った激しいキスの話までしてしまったではないか。  北川さんは困った顔で笑いながら 「そんなに好きなら、時任の携帯番号教えようか?」 と言ってくれたけど、わたしはかぶりを振ってカクテルグラスをテーブルに乱暴に置いた。 「だって時任さんは、わたしのことほったらかしにしたままで、わたしに興味なんてないんです。わたしは時任さんにとってはオンナじゃなくてパイセンなんです。なんですかパイセンって、わたしのほうが年下なのに!」  そんなことを言って北川さんに食ってかかって、さんざん北川さんを困らせたのだ。  わたしって酒癖悪かったのね、気を付けなくっちゃ…。  姿勢を正すと、気持ちを入れ替えてお弁当のおかずの仕込みを頑張った。 「あきらがお料理得意で助かる」 「先週、お客さんひっきりなしの大人気で驚いたよ」 「お天気がいいと売り上げが伸びるんだよね。今日もいいお天気だから頑張ろう」  お弁当は、白いご飯とお漬物のほかは、お惣菜を3種類選んでもらってその場で詰めていく方式になっている。  お昼に差し掛かると、あっという間にお客さんが増えてきて、わたしは必死にプラスチック容器にごはんを詰めながら、足りなくなりそうな鶏の唐揚げを揚げ続けた。  14時になって、ようやく客足が途絶えた。 「ふうっ、今日もお客さんすごかったね」 「明日はイベントで遠くに行くから、また来週も手伝ってもらえる?」 そんな話しているところへ、お客さんがひとりやって来た。  応対は真理に任せて、わたしは背を向けてごはんを詰め始めた。 「3種類って何でもいいの?」 「はい」 「じゃあ、ハンバーグと唐揚げと唐揚げ」  「申し訳ありません、ハンバーグは売り切れになってしまいました」 「じゃあ、唐揚げと唐揚げと唐揚げ」  ヘンな注文する人だ、と思いながら真理にごはんを詰めた容器を手渡そうと振り返ったわたしは、驚きのあまりその容器を落としそうになった。 「もう俺の声忘れちゃったの?あきらパイセン冷たいなあ」  そこに立って笑っていたのは……紛れもなく時任さんだった。
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