第10章 月を追いかけて

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 時任さんはズルい。  初めて倉庫に来た日に「俺のこと絶対に好きにならないでね」って言ったくせに、そのあとにも、気を引くようなことはしない、触れたりもしないって言ったくせに、どんどんわたしの心の中に無遠慮に入って来て、いつも強引にキスをする。  あの日の夜の激しいキスを覚えていないことを責めても、「ごめん、ごめん」って。  そしてまた、わたしにちゅっとキスをして「好きだよ、あきら」だなんて、わたしは時任さんに「好き」って言うことも叶わないというのに、ズルすぎる。  そのあと時任さんは、車で来てるからと言って、わたしの少し前を駐車場へ向かって歩き始めた。  改めて時任さんの姿を見ると、ジーンズにTシャツにボタンを全部開けたオーバーシャツという服装が、見慣れたスーツ姿とは違って実年齢よりも時任さんを若く見せていて、なんだかとても新鮮だった。 「どこか行きたいところある?」と聞かれて、デートといえば……「観覧車」と思わず言ってしまった。 「えぇ!?観覧車?」  時任さんは驚きながらわたしのことを助手席に乗せて、運転席に回り込んだ。 「いえ、あの、咄嗟にデートといえば観覧車って思い浮かんだだけなので、気にしないでください」  慌てて言うわたしのことを無視してカーナビをいじり始めた時任さんがぶつぶつ言っていると思ったら「行こうぜ、観覧車」と言って、ニシシと笑った。  車中で、時任さんが昨日会ったという三浦さんの話を聞いた。  わたしの記憶にある三浦さんは、新人で、なぜか嘘の証言をした人物で、泣きじゃくっていたあの姿しか印象にない人だった。  まさか聞き間違いでわたしが犯人扱いされていたとは…。  そして、あの伝票を作ったのはやっぱり高山さんで、それは営業の遠藤さんとそういう関係だったからってことだったのだと、わたしもようやく合点がいった。  あの日、新規プロジェクトの会議でほとんどの管理職が離席していた状況をチャンスと見たからこそ、高山さんはわたしにしつこく伝票の作成作業を手伝わせろと言ってきたのだ。  そこまでして強引に発注したかったのは、遠藤さんが取引先に大量の納品を頼まれたから?それとも、遠藤さんがレアアースが品薄になるという先見の明を本当に持っていたから?  今となってはわからない。わたしにとっては不運な偶然が重なって、まんまと巻き込まれて、犯人に仕立て上げられてしまったんだ。  遠藤さんは転職先の会社に居づらくなって退職したものの、噂が広まって同じ業界ではもう受け入れ先がなく、転職活動が難航しているらしい。  高山さんは、退職するときにごく親しい人にだけ結婚をほのめかすようなことを言っていたようだけど、すぐに遠藤さんに相手にされなくなり、あっさり捨てられたようだ。   「そうでしたか…。そうだったんですね。いろいろありがとうございました。森田さんと北川さんにもお礼を言っておいてください」 「ごめん。もっと早くちゃんと俺らで調べておけば、またあきらを営業事務の仕事に復帰させることもできたかもしれないのに」  時任さんはまるで自分のことのように悔しそうな顔をしている。 「営業事務の仕事がとても好きでした。わがままな営業さんに振りまわされたり怒られたりするから辛いっていう人も多かったけど、わたしは走り回って頑張っている営業さんを後ろから支えている気がして、やりがいのある仕事だと思っていました。  でも、もういいかな。この苦い経験を忘れずにまた次の職場で謙虚に頑張ろうと思っていますから、そこまでしていただいただけで十分です。ありがとうございました」  もうあの会社には何の未練もない。  そんな話をしているうちに、いつのまにか、ベイサイドの小さな遊園地の駐車場に着いていた。  観覧車に向かう途中に露店が並んでいて、美味しそうないい匂いがして、キョロキョロしていたら「迷子になるなよ」と言って時任さんが手を握ってきた。  わたし今、時任さんとデートしてるんだと思うと、嬉しさと恥ずかしさがこみあげてきて、心臓の鼓動がどんどん加速していく。  どうしよう。あなたのことが大好きです、時任さん。
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