第一章 犯人はこの中にいる

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第一章 犯人はこの中にいる

1、 「恋心とは、駆け引きの敗者の貢ぎ物なり……くそ。……全然、季刊誌が仕上がらないよう」  眉間にしわを寄せながら、腕を組む小柄な少年がいた。  成亜川高校三年生の遠井啓太は、カッコいいせりふ部の部長。  遠井は今、非常に困り果てていて、かきむしるように頭を抱えていた。  部室の中は、入口の反対側が窓になっている。右手に本棚、左手には段ボールがいくつも積んである。本棚と段ボールの中には、部の発行する季刊誌やオリジナルの冊子、日本と世界中の名言集や格言集、ことわざ、名スピーチ集、道徳の教科書や哲学、倫理の専門書等であふれかえっていた。  遠井と同じように円卓を囲んで輪になって木製の椅子に座る仲間たち……中原五郎、田中朗介、椎名理江も一緒に考えこんでいた。  遠井は、カバンに手を入れて、前回の季刊誌を出そうとした。  しかし、手探りで触れるのは、教科書、ノート、ジャージ、携帯電話、手帳、筆記用具、櫛や整髪料で。 「あれ、ない?」  カバンを閉じながら、遠井は少し考えてみた。やがて、思考はしかるべきゴールへとたどりつく。 「そうか、氷河のバカにまた没収されちゃったか」  遠井は右に座る中原に目をやった。  眠たそうな目つきで、ぼおっとしていた。椅子の背もたれにお腹をあてて、前かがみに座っている。 「おい、中原。何かない?」  人差し指、中指、小指にシルバーの指輪をして、胸元にはシルバーの十字架の首飾り。  伊達眼鏡をかけて、スラックスをはき、制服ではない灰色のジャケットを着た中原五郎は、大きくあくびした。 「ふわぁ……」  イケメンの顔が壊れるぐらい、眠そうだった。 「おい、何かない?」 「そうだな……」  中原は、背もたれを抱きかかえながら、あくびを終えた。 「恋愛とは、性欲を誤魔化す綺麗な理由である。……そんなにセコセコすんなよな。どうせ、そのうち思いつくだろ」 「お前なあ」  遠井はあきれた表情で、特にそれ以上は言い返さなかった。何を言ってものらりくらりとなってしまうのは、経験済みだ。中原は、ギリギリでまた良い案を出してくれるだろう……意味もなく楽観視して。  遠井は、中原のさらに右隣りに座る、田中に視線を移す。 「田中は?」  ぽっちゃりし過ぎた田中朗介は、学ランのボタンを留めることができない。田中は、でっぷりしたお腹を揺らしながら、楽しそうに漫画を読んでいた。本の題名は「世界の哲学名選マンガ」。読書を途中で切らしてしまうのが相当嫌なのか、遠井の方を一度も見なかった。 「恋とは、食後に飲んだミルクティーの甘さなり。……案が出てこないのは、食後の努力がまだまだ足りていないってことさ」 「それは、まあ」  遠井は、壁に積み上げられた段ボールを眺めながら、気まずそうにうなずく。 「確かにそうなんだが」  言葉を濁した遠井は、読書したまま見向きもしない田中にそれ以上言わなかった。  仕方がないので、遠井は左の椅子に座っている、視線のキツイ金髪少女の方に視線をやってみた。  おでこを出して、金髪のカーリーヘアを左右に垂らした厚化粧の女子生徒。ルックスは悪くなく、笑えばそれなりに可愛いのだが、決して笑うことはない。胸元にはブルーのリボンをして、ワイシャツの上に淡いベージュのカーディガンをだらしなく着ている。お腹のあたりで、熊のぬいぐるみを抱いていた。 「理江は?」  左右に垂れるカーリーヘアをふわっと揺らしながら、あからさまに、面倒くさそうな表情の理江は、遠井をにらんだ。 「私に聞く前に、自分の意見は?」  冷たい視線と同じくらい、理江の言葉はいつだって毒針のように鋭い。  遠井は一瞬、言葉につまる。 「く、それが。浮かばなくて」  理江は、お腹に抱えた熊のぬいぐるみの両腕で、バツを作ってみせた。 「話にならない」 「……すいません」 「何も意見を持たない人間に、何かを聞く権利なんてあるわけないじゃない」 「うう、そこまで言わなくても」 「いいえ、最低よ。他人に答えを求めるだけの人間て。自分で何も答えを探すことの出来ない、血の流れしガラクタね」  金髪の下の綺麗な横顔は、今日も歯切れの良い毒舌が容赦なかった。  遠井はへこみながらも、小声で言った。 「それで……理江は?」  金髪少女は、一瞬視線が泳いだ。  しばし無言。  無表情ながら、心が猛烈に動いているのを遠井は感じた。  やがて理江はゆっくりと口を開いた。 「……恋愛とは、切なさが奏でるワルツなり」  遠井は笑顔になる。 「なるほど。……まあまあだな。掲載候補の一つにしておくか」  遠井はうなずきながら、ノートにメモした。視線と性格のキツイ女の子のわりに、意外と可愛いげのあるカッコいいせりふだったかもしれない。  そのとき、外で何やら物音がした。  遠井は思わず立ち上がる。 「何だ、今の?」  首を傾げながら遠井は、窓を開ける。 「……一度でも 我に頭を 下げさせし 人みな死ねと 祈りてしこと……」 「誰だ!」  声を荒げた遠井は、急いで窓から顔を出して、外を確認した。何かの声が聞こえたと思ったのだが……。 「別に」  暗くて何も見えない。学校からだいぶ離れたところに、街灯が散在しているのが見えるぐらいだった。 「誰もいない?」  しばらく景色を眺めていたが、夜の始まりがただ存在するだけだ。空には、薄暗いブルーの中に月が小さく見える。下には、建物の黒いシルエット。時折、不自然に背の高い鉄塔があり、電線が左右に細い糸のように流れている。バックネットが、学校と外の世界を隔てる城壁のように立ちはだかっていた。 「遠井、とびっきりのやつが思いついたから戻って来いよ」  中原の弾んだ声に、遠井はハッとして部屋の方を向く。 「あ、うん」  夜の景色から、人の気配もなさそうなので、それ以上詮索するのをやめた。 「気のせいだったか。……俺の精神的な疲れかもね」  遠井は窓を閉めて、再び席に着いた。  ……とっくに下校時間は過ぎていた。見回りの先生に見つかったら帰りなさいと言われかねない。  しかし、注意されるまでは大丈夫だと、いつものように開き直るカッコいいせりふ部の部員たち。  長いようで短い放課後が、今日も無駄に過ぎて行く……。 2、 「いいか、よく聞け。犯人は生徒の中にいる!」  生徒会長の氷河翔太郎は、金色にメッシュをかけた髪を、いつものように整髪料で針金のように立たせていた。小麦色の身体を学ランで覆っているものの、筋骨隆々なのは服の上からも伝わってくるほどにガタイが良い。  氷河翔太郎は、朝からずっと不愉快だ。無論、昼休みになった今でも不愉快真っ最中だった。  氷河と一緒に歩いているのは、弦野水奈。生徒会副会長の弦野水奈は、赤い縁の眼鏡をかけて、ショートカットの髪をした気弱そうな少女。流れる黒髪の隙間から、エルフのように耳が鋭く出ている。この世離れしていると思えるほどに、透き通るように色白の肌であり、優しい眼差しで見つめられると、どんな男性でも思わずドキッとさせる清楚な魅力にあふれていた。  オドオドしながら、水奈は小声で言う。 「あの、氷河さん」 「うるせな。なんだよ?」 「そんな言い方、しなくても」  言葉の最後は小声になり、水奈はそれ以上何も言い返すことが出来なかった。  ……何か意見しようものなら、もっと玉が飛んでくるだろう。水奈は、いつものように危なくない道を選び、下を向いた。 「ったく、ふざけた真似しやがって。この俺に喧嘩売ってんのかよ?」  金髪にメッシュが入った髪の氷河は、口調といい、見た目といい、とても生徒会長には見えない。水奈が氷河に怒鳴られているところだけを見ると、いじめっ子といじられっ子の構図に見えなくもなかった。 「別に、氷河さんに対してやったわけではないと思いますけど」  可愛らしい口をもごもごさせながら、水奈は小声で言った。 「いや、俺に対する挑戦状だ」 「そう……ですか?」  水奈は愛嬌ある雰囲気を漂わせながら、首をかしげた。 「これを見ろよ」  大きな指で、氷河はブロンズ像を指差した。いや、指差したのは右手の拳をあごに当てて、座りながら気難しそうに思索にふける男性の像に向かってではない。指の先には、美しい彫刻のネームプレートがあった。  水奈は腰を下ろして、ネームプレートに視線を合わせる。 「考えない人」 「そうだ」  眉間にしわを寄せた氷河は、大きくうなずく。 「我が校は、生徒達が勉学に励むようにとの思いを込めて、校庭に「考える人」の像が設置してあるんだ」  ……そう。今朝は、生徒達がこの像の周りに来て大変だった。人だかりの中で、口々に思った感想を言いまくる。 「何だこりゃ?」 「プレートの文字の彫刻、上手だね」 「このいたずら、どのぐらい時間かけたんだろう?」 「ていうか、このままでも別に良くない?」 「個性の輝きを感じるよ」 「俺も考えるのやめようっと」  ……生徒達の反応は、至って穏やかだった。  残念なことに、学校側は話を大きくしたくないようで、あまり表立って詮索をしないみたいだった。犯人探しをしても、労力がかかるだけでメリットがない。そればかりか、あまり知られてしまうと学校の印象を落としかねない。そういった様々な思惑からなのか、先生方は見て見ぬフリをして通り過ぎた。  氷河は憎々しい声を上げて、ネームプレートを何度もデコピンする。 「ふざけるにもほどがあるぞ。このいたずらは」  水奈はネームプレートを眺めながら、困った様子で言った。 「うーん。こんなことをする意味が分からないですね」 「俺には分かる」 「え?」  腕組みをする氷河を、水奈は驚いて見た。 「生徒会長である俺に対して、喧嘩売ってんだよ」 「それは」  水奈は「ちが……」まで言いそうになったが、口元に手を当てた。口答えをすると、また「うるせえ」と言われそうだ。不服そうに、水奈は小さくうなずいた。  成亜川高校の生徒会は、皆芸術にたしなむ者が多い。書道やピアノ、華道、茶道、彫刻、絵画等、それぞれが何かしか一流の技能を有していた。氷河も文学性に秀でていて、純文学の文学賞で入賞したことも何回かあった。氷河自身もそんな人間だからこそ、芸術の一つである彫刻でブロンズ像をいたずらされてしまったのが、我慢ならなかったのかもしれない。  氷河は軽蔑の視線でネームプレートをにらみつけた。 「覚悟しとけ、犯人め。絶対に暴いて、ボロボロにして、休学になるまで追い込んでやるからな」  ネームプレートに向かって、とても生徒会長とは思えないの言葉を言い放った。  美しい花に影がさす雰囲気で、水奈は下を向きながら、ため息をついた。 * * * * 「恋とは、心の泥棒である……と」  五限目の授業中。  物理教師の川本先生の力学の話を全く聞かずに、遠井は、スマホでカッコいい言葉をメモしていた。  ……今月は恋をテーマにカッコいいせりふを考えていた。  恋愛とは、美しき毒花の咲かせ合いである。  恋とは、どうしようもなく乱れた風である。  恋愛とは、心の弱い部分を生々しく見せ合うことである……遠井はどれもまだ気にいっていない。これならまだ、葉隠の「恋とは忍ぶことと見つけたり」の方がマシだと、スマホのディスプレイを見ながら思った。  さて保存したところで、チャイムが鳴り、放課後となった。 「部室に行くとするか……ん?」  遠井が席を立とうとした瞬間。  いきなり教室に入り、自分に向かってスタスタと歩いてくる金髪の男子生徒と控えめな眼鏡の女子生徒がいる。氷河と水奈だった。 「おお、あれは!」 「生徒会コンビ!」  二人ともビジュアルが良くて、入ってくるだけで教室内がざわつく。特に、水奈の男子生徒達からの人気は絶大であり、人気投票をしたら必ず一位になるほどだった。 「お、水奈ちゃんだ」 「写真撮っておこっと」 「待ち受け画面にするか」  ……男子生徒達の声に圧倒されて、気の小さい水奈は、氷河の背中に身を隠しながら、すぐに委縮してしまう。 「何か用?」  二人が視界に入った遠井は、応対するのが面倒くさかった。早く部室に行きたい。だから、目の前の生徒会コンビがうっとおしくて仕方がない。  鋭い目つきの氷河は突然、遠井の胸倉をつかんだ。 「ちょ、ちょっと氷河さん」  焦った水奈は、慌てて止めに入る。 「うるせえ、黙れよ」 「はい……」  氷河に一喝されて、かわいそうに水奈はシュンと下を向いた。それ以降は特に止める様子もない。「水奈ちゃん、大丈夫?」という声が周囲から漏れる。こういった水奈の弱いところが、逆に男子生徒の人気につながるのかもしれない。  相手が喧嘩腰でも全く動じない遠井は、威勢のいい金髪頭をダルそうな目つきで眺めながら質問した。 「で、何?」  胸倉をつかむ氷河の握りこぶしは、自然と力が入る。 「お前らがやったんだろ?」 「何が?」 「ウソつくな。正直に答えろ」 「だから何がだよ?」 「うるせえ。いいか、今からお前らの部室に乗りこむからな。一緒に来い」 「言われないでも、これから部活だから。行くに決まってんだろ」  氷河は遠井の胸元から手を離した。  ……と思いきや、氷河は遠井の顔におのれの顔を近づける。  そこでしばらく静止。  目と目が無言の喧嘩をしていた。  しかし、お互いに手は出さなかった。  周囲は「生徒会長と喧嘩か?」と騒ぎ立てる。  その声を聞いてか、そうないかは定かでないが、氷河は顔を離した。  小さいながら、氷河の舌打ちの音が聞こえた。  氷河は、ゆっくりと教室を出た。  遠井はふと水奈を見た。  水奈は眉を下げて、可愛らしく両手を組みながらドキドキハラハラが収まらない様子だ。 「キミも大変だね」 「はい……ありがとうございます」  遠井の言葉に、どこか安心したのだろうか。うつむいたままだった水奈から、少し笑顔がこぼれた。笑うと、とても美人な女の子だった。 「私、生徒会副会長の弦野水奈と申します。不慣れなことばかりで、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願い致します」  水奈のぺこりとお辞儀する感じが、とても謙虚で良かった。  遠井もつられて、軽いお辞儀で返す。 「あ、うん。よろしく。俺は遠井啓太で。ええと」 「はい、よく存じています」 「え、知ってんの?」 「有名ですからね」 「俺が、有名?」 「はい、そりゃもう」 「何でだ?」  水奈は黒板の上にある壁掛け時計をチラッと見た。 「そろそろ行かないと、また氷河さんに怒られちゃいますので」 「歩きながら話すか」  二人は、部室に向かって歩き出した。水奈と並んで歩く遠井の背中には、男子生徒達のむさ苦しい羨望の視線がビタッと張り付いていた。……遠井は全く気にしていなかったが。 「水奈ちゃんて、何で生徒会副会長なんかになったの?」  水奈は、苦笑しながら答える。 「別になりたくてなったわけじゃないですよ」 「あ、そうなの?」  遠井は、水奈がとても控えめな仕草なので、自主的になったわけじゃないのは納得がいく気がした。 「それじゃあ、どうして?」 「クラスで、誰か一人立候補する人を出さなきゃいけなかったんですけど。誰も手が挙がらなくて」 「あ、うちのクラスも同じ展開だったかも」 「それで、らちがあかないから投票で決めようってことになって。なぜか、私に多くの票が入ってしまったみたいなんです」 「そりゃ残念だったね」  遠井は、そう言いながらも、水奈の美貌なら自然と予期せぬ浮動票が入ってしまい、圧勝する風景が、なんとなくイメージされた。実際、立候補した後は選挙に勝って、生徒会副会長になっているのだから、大したものだ。 「遠井さんは、部長だなんて凄いですね」  遠井は首を横に振った。 「いや、別に部なんか立ち上げる気なんてなかったんだ。当初は」 「あ、そうなんですか?」 「でも、結局。いろいろ打算が働いてね」 「メリットがあるということですね」  水奈は少し考えて、答えた。 「やっぱり、仲間がいるからでしょうか?」 「それも……あるけど」 「もっと大事な理由がお有りで?」 「そりゃもう」 「仲間よりも大事なもの……何でしょう?」 「部になると、部費がもらえるし」  水奈は漫画チックに、思わずドテッと転びそうになった。  遠井は構わず話し続ける。 「あと、俺たち季刊誌を発行しているんだけど」  水奈は、忘れた頃に配本される、カッコいいせりふ部の冊子を思いだした。 「あ、ときどき各教室に配本されていますね」 「そう。それで、けっこういろんな人からコメントをもらえてさ」 「感想を言ってもらえるのは、うれしいですよね」 「その通り。他人の審美眼にさらされるのは、それなりに大事なことなんだ」 「審美眼……」 「いや、気取った言い方をするつもりもないんだけど。第三者の厳しい目で見てもらえるから、自分が磨かれるんだよ」 「わあ……素敵な向上心ですね」  部室への道中、雑談に花が咲いた。同じ生徒会なのに、氷河とは全然違う。遠井は水奈のことを、とても話しかけやすくて感じの良い女の子だと思った。 * * * *  遠井と水奈が部室に入った。  氷河が円卓で煎餅を食べている中原五郎、田中朗介、椎名理江に向かって、鋭い視線を浴びせている最中だった。  二人の存在に氷河は気づいたようだ。  氷河は水奈にぶっきらぼうに言った。 「お前、遅い」 「は、はい。すいません……」  水奈は申し訳なさそうに何度もお辞儀をした。  遠井に向かって、氷河は「座れ」と手で合図。  人の部室で偉そうにと思いつつ、遠井は席につき、円卓の上の木の皿からせんべいを手に取った。  氷河は全員そろったのを確認して、大演説を始めた。 「カッコいいせりふ部の諸君、ようやくそろったか。私は成亜川高校の生徒会長、氷河翔太郎だ。よろしく」  氷河の挨拶に、カッコいいせりふ部のメンバーは「別に知ってるよ」と思いながら、とりあえず軽くお辞儀。 「いいか、我が校始まって以来の大事件が起こった。何かと言えば、我が校のシンボルである『考える人』のブロンズ像にいたずらがされ、『考えない人』に改変されてしまったことだ」  部員一同、氷河の話を聞くのが面倒くさかったが、一生懸命真面目に聞いているフリをする。 「いいか、これは学業に対するテロ行為だ」  遠井はバレないように、サッと膝の上でスマホの画面を開く。こっそりと「学業に対するテロ行為」をメモした。 「キミたちを疑っているわけではないが、一応聞いておきたい。昨日の夕方以降は何をしていたか、自分達のアリバイを話してくれ。そうだな……そこの眼鏡のキミはどうだ?」  中原は、三つのシルバーの指輪をはめた指を見せながら、何もかもすべてを見透かしたような口調で答えた。 「アリバイは心の中にある」 「は?」  遠井は、笑いをこらえつつ、歯を食いしばり、真面目な顔を人工的に作る。  目をぱちくりさせながら、氷河は問い返す。 「……言いたいのはそれだけか?」 「ああ。終わりだ……お前には分からないのか?」  氷河はバカにされたと思ったのか、さらに不機嫌な表情になった。険悪ムードのまま、次の獲物に視線を向ける。 「おい、デブ。キミは?」  田中は体型をいじられても特に怒るそぶりもなしに、煎餅を遠慮なく大量にバリバリさせながら答えた。 「もぐもぐ……我思うゆえに、我あり。我思うゆえに、アリバイあり。煎餅あり、何でもあり」  氷河からはさらに険悪な雰囲気が漂う。  愛らしい顔を曇らせた水奈は、氷河の隣りで心配そうにうつむいている。  苛立ちをピークにさせながら、氷河は女子生徒に目をやった。 「そこの熊のぬいぐるみを抱っこしている子は?」  両肩に落ちるカーリーヘアを左右に揺らしながら、目つきの悪い金髪少女は、「ふん」と受け答えする。 「この事件は、キリストが十字架に掛けられたのと同じ意味よ」 「……さっぱりわからん」  誰一人として、真面目に受け答えをしない。  氷河は怒りで震えながら、遠井をにらんだ。 「おい、遠井。貴様はどうなんだ?」 「ブロンズ像は、考え過ぎて、考えたくなくなったんじゃないのか」 「そんな戯れ事は聞いていない。アリバイはあるのかと質問しているんだ」 「アリバイを作るほど、俺は弱くない」  怒り狂う生徒会長なんて、まるでお構いなし。遠井もやはり、この部の部員だった。……事件が起きた放課後、全員部室で部活動をしており、そのことを伝えられればいいだけなのだが、きちんと言おうとする気配なんて誰一人、微塵も存在しなかった。  机を殴りつけて、ついに氷河はブチぎれた。 「ふざけるな!」  自分が叱られたわけではないのに、水奈は泣きそうな顔になる。  荒れまくる氷河は、本棚に手をやり、一冊の雑誌を取り出した。カッコいいせりふ部が発行している季刊誌「迷言は名言の始まり」だった。 「こんなくだらない雑誌を書く奴らの戯言は、信用できないからな」  遠井は貶されたことにムッとした。煎餅をボリボリ食べながら主張した。 「そんな言い方するなよ。俺たちなりに頑張っているんだからさ」 「うるせえな」  氷河は躊躇いもなく雑誌を床に投げつけた。振動で、壁際で塔のように積み上がった段ボールが倒れないか心配だったが、大丈夫なようだ。 「「あ……」」  唖然として、床に寝そべる雑誌に視線を移す部員一同。それと同時に、部員全員は、氷河への喧嘩上等モードに突入した。  氷河は、そんなこともお構いなく、雑誌を踏みつけた。それが、ますます部員たちの表情を険しくする。 「いいか、俺は生徒会長の誇りとプライドにかけて。絶対にお前らが犯人だということを暴いてやるからな。覚悟しておけ」  捨て台詞を言い、氷河は部室を出て行った。ドアを思い切り締める音に、怒りがこもっていた。  慌てて水奈も「申し訳ございません。失礼します……」と消えてしまいそうな小声で言って、同じく出て行った。  生徒会コンビがいなくなり、ただ憤りだけが部室内に充満する。 「ったく、生徒会ふぜいが。ふざけるなよ」  遠井は、大事そうに雑誌を拾い、丁寧な仕草で本棚に戻した。  ……今回は床に投げ捨てられたが、過去に何回もカッコいいせりふ部の季刊誌やオリジナル冊子を没収されたことがある。その度に遠井は、氷河に憎々しい感情が湧かずにはいられないのだった。  再び席に着いた遠井は、殺気に満ち溢れた三人に向かって訴えた。 「おい、みんな。ああいう言い方されて、めっちゃ悔しくないか?」  理江は、熊のぬいぐるみの首に手の側面を当てつつ、手刀で切るポーズをしながら言った。 「私達も、犯人捜しをした方がいいんじゃないかしら」  納得した表情の遠井は、大きくうなずく。 「確かに……そうだな」  中原が、胸元の十字架を握り締めて発言した。 「像がやられたんだから、像の気持ちになる必要があると思う」  部員一同、なるほどと首を縦に振った。  遠井は、中原の指の隙間から見える十字架を見つめながら質問した。 「具体的には、どうしたらいいか?」 「ええと……」  思案に暮れる中原。  代わりに、せんべいのかけらを口元につけながら田中は言った。 「僕に良い案がある。みんな耳を貸してくれ」  部員たちは、田中に顔を近づけて内緒話を始めるのだった。 3、  氷河と水奈は、生徒会室に戻った。  部屋の中では、書記の俵川育子、会計の河原谷京輔、監査の白川絵里が、一生懸命作業をしていた。縦長に二つの長机が置いてあり、左右に椅子が入っている。左の机に、奥から氷河、水奈。右の机には、育子、絵里が奥から順に座っていて、入口側、つまり水奈の前に河原谷が座っていた。また、左手の壁側には、打ち合わせ時に板書をする黒板。右手側には、本棚やさまざまな雑貨類を置くための机、打ち合わせ資料などが置かれていた。 「お帰りなさい」  大和撫子とでも言うべき、和風な雰囲気が漂うポニーテールの育子が、笑顔で二人に声を掛けた。 「おう」 「ただいま帰りました」  二人はいつものように返事をした。  氷河は部屋に入るなり、左手奥の自分の席に着く。ノートパソコンを立ち上げて、何やら作業を始めた。  水奈も自分の席に着く。  すると、育子が水奈に資料の束を差し出してきた。 「水奈ちゃん、ちょっとこれ目を通しておいて」 「あ、はい」  渡された分厚い紙の束は、文化祭関連の資料のようだ。  水奈は、資料の厚さに思わず圧倒される。 「すごいボリュームですね」  育子は、水奈が抱える資料を見ながら苦笑いする。 「うん、まだ。あまりまとまっていないからね」 「いえいえ。合冊して下さり、ありがとうございます。それじゃあ、ちょっと読ませて頂きます」 「よろしくー。あ、誤字脱字のチェックも合わせてお願いね」 「はい、了解しました」  水奈は資料の量に負けないよう、真剣に読み始めた。  坊主頭の河原谷は、気づかれないように水奈の方をチラッと見た。疲れ目の保養にと、水奈を盗み見するのが日課になっていた。  水奈は、鼻歌こそ歌っていないものの、なぜか目がうれしそうなのがひしひしと伝わってきた。いつもなら氷河に叱られながら、怯えるような目つきで、黙々と作業をしているはずなのに。……哀愁感漂う水奈も、可愛いと思っていた。  河原谷は、水奈のご機嫌の理由を知りたくて、思わず声をかけてみた。 「水奈ちゃん」 「はい、何でしょう?」  水奈は資料を見るのをやめて、河原谷の方を向いた。相変わらず、美術品のように綺麗な女の子だ。生徒会特権で、水奈と一緒にいられる時間が長いのは、河原谷にとってとてもうれしいことだった。 「何か、うれしいことでもあったの?」 「あ、それは……」  水奈は、心を迷わせるようにして視線をそらした。  迷う表情の水奈を、河原谷はじっと凝視し続ける。  茶髪にデジタルパーマをかけた、育子の親友の絵里は、河原谷のエロティックな熱い視線に気づく。 「河原谷。あんた、ねえ。水奈のこと、そんないやらしい目つきで見ていたら、変質者みたいだよ?」 「ば、バカ言うなよ」  河原谷は坊主頭をうろたえさせながら、水奈に誤解を与えないよう、必死になって弁明する。 「俺は、だな。水奈ちゃんが普段と様子が違うから、心配して気遣っただけだ。やましいことなんか何一つない」  水奈は恐縮しながら、ペコリと河原谷にお辞儀をする。 「お気遣い、ありがとうございます」 「いやいや、とんでもない」  水奈は観念したように、答えた。 「実を言いますと。新しいお友達が出来たのです」 「オトモダチ?」  河原谷は、不愉快そうに水奈の言葉を復唱する。 「遠井さんと、お友達になれたんです」  水奈は微笑みながら声を弾ませていた。  その顔がとても美しくて、目の輝きがまぶしくて、あまり長く見続けるのは危険だと、河原谷は下を向いた。  育子と絵里はお互いに見合った。絵里は質問するよう、育子に目で合図をする。うなずきながら育子は、すぐに水奈に声を掛けた。 「遠井って、誰?」 「カッコいいせりふ部の部長ですよ」 「あ、あの小柄な男の子か。遠井って言うんだ」  河原谷は、険しい顔で机をバンッと叩いた。 「カッコいいせりふ部の遠井だと? イロモノのくせに、俺の水奈ちゃんに近づくだなんて生意気な」 「あんたのじゃないでしょ?」  絵里はペン回しをしながら、すかさずツッコミを入れる。  決まり悪そうに、河原谷はぼやく。 「う、うるせよ。それよりも」  河原谷は、再び資料を読む水奈の方に目をやる。 「遠井と、どうやって知り合ったの?」 「それはですね」  水奈は、資料を机において、一連の流れを説明した。氷河が喧嘩腰になってしまい、犯人扱いしたこともきっちり話したのだった。  育子は言いづらそうに、水奈に言った。 「ねえ、水奈ちゃん」 「はい」 「遠井くんと、友達関係を壊したくないならさ。それ、ちゃんと謝ってきた方が良いんじゃないの」  水奈は感心しながらうなずく。 「あ、そう思います?」 「何も言わないで放置だと。……水奈ちゃんも氷河と同じ考えなんだと勘違いされちゃうよ?」  水奈の表情は、急に青くなる。血の気が引いてしまったかと思うぐらいの変わりようだった。 「そんな……」  焦りながら水奈は、立ち上がった。 「育子さん。素晴らしいアドバイスを、ありがとうございます。……私、すぐに行ってきます!」  水奈はプリーツスカートがめくれるほどの勢いで部屋を出て行った。  育子と絵里は、ニコニコしながらお互いを見合った。  嵐のようにイライラしながら、河原谷は、自分にだけしか聞こえないほどの音量でぼやいていた。 「お前ら、いちいち余計なこと言うなよな。放っておけば、このまま関係が、自然消滅してくれたによ……」  氷河は、他のメンバーの会話を全く無視するかのように、ひたすらノートパソコンで作業を続けていた。 4、  カッコいいせりふ部員みんなで、内緒話を始めて……一時間後。  メンバーの意思は、すでに決定していた。  微塵も迷うことなく、四人は部室を出て、軽やかな足取りで一直線に目的地へと歩いていく。  たどり着いたのは、約束の地。  「考える人」のブロンズ像の前に、カッコいいせりふ部員が並んでいた。ブロンズ像は、深みのある鈍い緑色で全身を包みこみ、石でできた椅子の上で、今日も何かを考え続けている。  一同、神妙な面持ちでブロンズ像を見つめる。神聖な雰囲気が漂う。嵐の前の静けさとでも言うべきか。何かの儀式を始める前ぶれのようだった。 「よし、それでは全員ではじめー!」  遠井の大きな声が校庭に響き渡る。  部員一同、あらかじめ準備してきたちょうどいいサイズの石の上に腰かけて、「考える人」と同じポーズで像の前に静止する。拳一つ分ぐらい股を開いて石の上に座り、上半身は前傾姿勢で、左腕を左のふとももに降ろし、右ひじを真正面に立てて、右手の拳の上にあごを乗せて考え続ける人……ブロンズ像と同じポーズをすることで、像の気持ちを理解しようと考えたのだ。  田中は、ぽっちゃりボディと心をロダンと一つにして、思索にふけり続ける像になりきったのだった。  ……僕はロダン、ロダンはデブ、食いしん坊……。  中原は、眼鏡の奥で妄想が湧きそうになってもひたすら像になり続けた。  ……ブロンズ像だって、エロいかもしれないじゃないか。必死に性欲を抑えまくり、うずくまって考えこんでいるに違いない……。  理江は、風に金髪を揺らせながら気持ちをブロンズにした。  ……ブロンズ像はきっと、最後の審判にかけられて、火あぶりにされたのよ。私達が今しているのは、魔女狩り裁判の後始末ね……。  地面を見つめた遠井は、何も考えないのは苦手なので、とにかくカッコいい言葉を考え続けた。  ……石の上にも三年。ダメだ、パクリだ。しかもダサい……。  下校する生徒達は、「あいつら、またやってるよ」と横目で見ながら、いつもの風景を楽しんでいた。さてそこに現れたのは、はかない夢のように美貌あふれる、生徒会副会長の水奈。両手を組んで、もじもじとさせながら、どういうわけか、可愛らしくほんのり顔を赤らめていた。おどおどしながら、先ほどの氷河の暴言の申し訳なさからか、像になり続ける四人を直視することが出来ず、下を向いて遠井に話し始めた。 「遠井さん、先ほどは失礼な訪問をしてしまい、大変申し訳ございませんでした。氷河さんも悪い人じゃないんですけど、人の意見を聞くのが苦手でして、その、何と言いますか……へ、これは」  顔を上げた水奈は、驚愕の表情ととともに思わず眼鏡がズリッと落ちた。 「……きゃああああああ!! 新興宗教のカルト活動!!」  お詫びに来たはずの水奈は、奇声とともに勢いよく走り去っていった。 「清純派の水奈ちゃんに、あれはキツイだろ」と、近くを通った生徒達は口々に言っていた。  この後。……目にいっぱいの涙を浮かべた水奈の報告を受けた氷河は、カッコいいせりふ部犯人説について、ますます確信を深めたのだった。
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