終章 二人の運命……

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終章 二人の運命……

1、  日曜だが、生徒会メンバーは高校に来ていた。  来月の合唱祭まで、時間がなかった。しかし、平日は、他の運営のするべきことがあり、とても打ち合わせの時間なんてとれない。メンバー全員の都合が良かったこともあり、休日の午前にささっとミーティングしてしまおうと集まったわけだ。早く終わらせたいというみんなの気持ちが一致したせいか、打ち合わせの方はスムーズに進み、開始から一時間程度で概要が決まった。  書記の育子が板書をすべて終えて、スマホで写真を撮り終えると、打ち合わせはお開きとなった。  絵里は時計を見た。 「ねえ、これなら間に合うんじゃない?」  黒板消しを置きながら育子が返事をする。 「確かに。行きたいね」  育子と絵里は目を合わせて同時にうなずいた。 「悪いね。映画見に行くんで、先帰らせてもらうよ」  育子と絵里は、カバンを持ってそそくさと出て行った。  普段は二人とも後片付け等を率先して行うので、先に帰るのは珍しかった。よほど見たい映画だったに違いない。  氷河はいつの間にかいない。  河原谷と水奈の二人っきりだった。  水奈は筆記用具をカバンにしまいながら、河原谷に話しかける。 「合奏祭の打ち合わせ、早く終わって良かったですね」 「全くだよ。休日だし、さっさと帰りたいね」  水奈はスマホを軽く眺めた後、顔を上げた。 「私、このあと用事がありますので。もうこれで帰りますね」 「ちょっと待って」  河原谷の言葉に、水奈は嫌な予感がする。 「……何でしょう?」 「彼氏とデート?」 「ええと」  なかなか良いウソが浮かばなくて、水奈は言葉につまる。  河原谷は、水奈の顔に自分の顔を近づける。 「ちょ、近いですよ」 「水奈ちゃん」  名前を呼ばれたが、水奈はなかなか返事をしない。  怪訝な表情を浮かべつつ、水奈はようやく声を発する。 「……はい」  気味悪くニヤリと笑いながら河原谷は言った。 「キミは、遠井のことが好きなんじゃないんだよ。遠井が言う、カッコいいせりふに一時的に酔っただけだ」  水奈は険しい顔で、首を横に振った。 「そんなことないですよ。……私の遠井さんへの想いは、そんなもんじゃないです。赤の他人に、口出しされたくありません」 「いや、違う。それしかない」 「何でそう思うんですか?」 「キミみたいな美少女が、あんなイロモノに落ちる理由。それは、甘い口説き文句以外に考えられない」  水奈はむきになって反論する。 「全然違いますって。私がどれほどの恋心をもって、遠井さんのおそばにいるか、河原谷さんには絶対に分からないと思います」  河原谷の心には、水奈の真剣な気持ちは全く伝わらないようだった。  河原谷は猥褻な目つきで、水奈のことをじっと見る。 「いいかい、俺の甘い言葉で、もっと水奈ちゃんを酔わせてあげるよ」 「本当にやめてください」  腕でガードされながらも、力づくで、河原谷は水奈の耳に顔を近づける。  水奈は思わず耳を塞いだ。 「ちょ、ちょっと!」 「耳をふさいでもダメだから。俺の甘い言葉の一つ一つが、水奈ちゃんの心に染み入っていくよ」 「遠井さん、助けて下さい……」  河原谷は、水奈の耳元で、何やらボソボソとささやいた。 「もうやだ……よ」  水奈は今にも泣きそうだ。水奈の顔は、段々と赤くなってきた。  ……一時的に酔っただけなんて、失礼な。  勝機を見出したのか、河原谷はいやらしい笑いを浮かべた。 「ほら、俺の言葉の方が良いだろ?」 「いい加減、おやめ下さい……」  ……そんなんじゃない。私は……。 「もっとやって欲しいくせに。素直じゃないな」  さらに河原谷はささやきを続ける。  ……永遠にずっと酔っているんだから! 「どうした? 何を騒いでいる?」  氷河だ。ブラックコーヒーの缶を片手に、生徒会室に入ってきた。 「助けて下さい!」  水奈は素早く、氷河の背中にまで走った。身体をかがめて、必死に身を隠す。  まずい状況だと思ったが、河原谷は考え直す。  氷河は確か、遠井とは犬猿の仲だったはず。  氷河なら味方してくれるかもしれない……。  河原谷は猫撫で声で言った。 「聞いてくれよ、氷河。遠井が水奈ちゃんをたぶらかしてさ」  水奈は目に涙を溜めながら、必死に首を横に振る。 「たぶらかされてなんか、いないです」 「俺は、何とか水奈ちゃんの目を覚まさせようと。耳元で、秘密のアドバイスをしてあげていたんだ」  氷河がどうでるか……河原谷は、氷河にお礼を言われるのをイメージした。  氷河は、身をかがめて背後に隠れる水奈に目をやる。 「立てよ」 「は、はい」 「それと。暑っ苦しいから、ひっつくな」 「あ、すいません」  水奈は、言われるがままに機敏に動く。  氷河は缶を開けて、ブラックコーヒーを口に入れた。 「水奈」 「はい!」 「今から、遠井のところにいくのか?」 「そ、そうです……」  水奈は、うつむき加減に返事をする。  氷河は缶コーヒーを握り締めながら言った。 「アイツに会ったら。……生徒会による文章の風紀チェックは完了したし、季刊誌は来週の水曜までには刷り上がって、配本出来ると伝えておいてくれ」  氷河の言葉に、水奈の瞳が輝いた。 「わかりました!」 「あと、川柳とか。キャッチコピーとか。高校生向けのコンテストの情報が幾つか、生徒会に来ているんだが、興味ないかも聞いといてくれるか?」  水奈はさらに声を弾ませた。 「了解しました。ありがとうございます! 遠井さん、審査される系は最高に大好きですから。きっと喜ぶと思います!」 「よし、行け」  水奈は笑顔で軽く会釈して、教室を出て行った。 「どういうことだ? これは……」  河原谷は、二人のやり取りを、唖然としてただ眺めるしかなかった。 2、  日曜の昼下がり。  遠井と水奈は、小金川公園で、白や濃いピンク、淡いピンクのコスモスが脇に咲き乱れる芝生を散歩していた。  水奈は、ブラウンを基調とした、カントリー系のアシンメトリーなワンピースを着ていた。  おしゃれに全く興味を示さない遠井は、ジーパンに上はトレーナーだ。  手をつないで歩きながら水奈は、ふと先ほどの河原谷とのやり取りを思いだして、一人苦笑した。 「さっき、生徒会の仲間の一人に、めっちゃ口説かれちゃいました」 「氷河?」 「……さんが、言ってくれると思いますか?」 「いや、ゼロだね」 「ですね」  二人とも同意見だった。お互いに微笑み合う。 「それで水奈ちゃんは、そいつの考えたカッコいいせりふに、気持ちが全く揺れ動かなかったの?」  水奈は従順にうなずく。 「私、どういうわけか。遠井さん以外の男性の言葉を全く受け付けないんですよね。なぜか、スイッチが入らないんですよ」 「へえ、一途なんだね」 「歯の浮くようなことを平気で言うから。途中から聞いているこっちが逆に恥ずかしくなってきて、私の顔が紅潮していくのが分かりました。……遠井さん以外の男性に何を言われようが、ただの雑音ですね」 「なんか、うれしいよ。ありがとう……あ」  遠井はポンと手を叩く。 「その人、カッコいいせりふに興味あるのかな?」 「それは……どうでしょうか?」 「うーん、興味ないのかなー」 「どうして、ですか?」 「入部しないかと思って」 「あ、そういう感じでしたか」 「水奈ちゃんが誘ったら、入部とかするかも」  水奈は拒否反応が強烈に伝わる勢いで、首を横に振った。 「私からは、絶対に誘いたくないですね。一ミクロンも勘違いされたくないです」 「そんな嫌そうな顔しなくても。カッコいいせりふが好きなんだったらさ。意外と、良い奴かもよ?」 「全くもう。遠井さんは、カッコいいせりふが好きだったら、誰とでも仲良く慣れるんですね」 「だって、気が合いそうじゃん」  遠井の言葉に、水奈は苦笑するしかなかった。 「……ところで、遠井さん」  水奈は、いきなり立ち止まる。  遠井も慌てて歩調を合わせて止まった。 「何?」 「……私、まだ。あなたのことを許してないですよ」 「え?」  先ほどまで楽しくお話していた少女は、普段と違う雰囲気だった。  赤い縁の眼鏡を通して、鋭い視線で、遠井をにらみつける水奈。  怒った目つきすらも愛嬌があり、可愛らしい瞳に遠井は思わず見入ってしまう。しかし、言葉の意味が理解出来かねて、無理やり心を落ち着かせて質問をする。 「どういう意味?」 「……一度でも 我に頭を 下げさせし 人みな死ねと 祈りてしこと……私の復讐はまだ、終わっていないのです」 「今のは……石川啄木の和歌?」  いつもの気弱さが信じられないぐらい、水奈は強気の視線を緩めない。清楚な中にも純粋な強さが感じられて、それがまた遠井には魅力的に映った。  しかし、言葉の真意が今一つわからない遠井は、ご機嫌を伺うような優しい声で言った。 「でも、水奈ちゃん。キミはもう、俺の彼女だよ?」 「そう、私は彼女」  水奈は口元に笑みを浮かべた。魔女のように、この世のすべてを誘惑するかの如き、妖しい微笑みだった。 「恋は心の操り人形、ですよね? 」 「その言葉は、……俺が考えた、いつぞやのカッコいいせりふ? 去年の秋季刊号に、掲載したかな」 「私は今、遠井さんの操り人形なんです。だから……もっと遊んでくださいよ」  水奈ほどの美少女にそのせりふを言われるのは、とても危険な気がした。今の水奈の神秘的な笑顔を直視し続けたら、電光石火の素早さで落とされてしまいそうだった。  遠井は視線をそらして、地面の芝生を蹴る真似をしながら、必死に理性のブレーキをかける。 「そんなこと言われても」  水奈は小さな左手を差し出した。 「ください」  遠井は、水奈の可愛らしい手の平を眺めながら質問する。 「何を?」 「くださいよ」  つっけんどんに言いつづける水奈。  困った表情になりながら、遠井も質問で返し続ける。 「だから何を?」 「もっとくださいよ」  水奈の言葉の勢いに、遠井は思わず一歩だけ後ずさりをした。 「あげたいけど、どうしたらいい?」  水奈は夢見心地な表情で言った。 「あのときみたいに。私を一気に、奈落の底へと落として下さい」 「あのときって……あ」 「そうしましたら、今度こそ。遠井さんのことを許します」  ……俺、何言ったっけ?  遠井は、可愛い彼女の戯言を聞きながら考えた。  大体、小金川公園で会ったことすら覚えていない。連係のカッコいいせりふだろうか。そもそも、口説く用に考えたカッコいいせりふなんて一つもない。組み合わせで言ってみた、一連のカッコいいせりふが、たまたま水奈の心にヒットしたのだろう。  遠井は深呼吸した。呼吸を繰り返しながら、カッコいいせりふを探す。  水奈もいよいよだと思ったのか、静かに目を閉じた。両手を組んで、何かを祈るような姿勢をとる。 「水奈ちゃん」 「はい」 「人間は、喜びと悲しみ、二つの仮面を持つピエロなんだ」  水奈は目を開いた。 「あの」  不満そうに、水奈は首を横に振った。 「そういう哲学的なのじゃなくて。もっと恋に酔えるやつでお願いいたします」 「ごめん」 「もう一回。やり直して下さい」  遠井は、こんな真剣な表情の水奈を見たことがなかった。これがあの、いつも不安そうで言いたいこともなかなか言えない、女の子なのか。別人と話をしているようだ。  気を取り直して、遠井は口を開いた。 「月って。不思議だと思わない?」 「何がですか?」 「月の光は、いつだって暗闇を幸せの幻想に変える魔法。水奈ちゃんは、月光の輝きで髪を洗う、夜の森のお姫様だ」 「それで?」 「夜の森で、月光は幻のように湖の水面を揺らがせて、人の心を操る」 「はい」 「月の光の妖しさに魅入られ。月の女神の帰りを、この世の終わりまで待ち続ける、盲目なる切ない想いが、僕のキミへの恋心だ」 「もっとです! もっとください」 「うん」  水奈の気合いがすごい。顔を赤らめて、恍惚とするのがかわいくて仕方がない。  遠井は、そんな水奈を心底好きになってしまい、もっと口説きたくなる。 「水奈ちゃん。キミ、めっちゃタイプだ。マジで」  水奈は不服そうに首を横に振る。 「そんな、……ありきたりの言葉は、聞きたくないです。……もっと、凝ったやつでお願いしますよ」 「いや、そうじゃなくて。今のは、考えたカッコいいせりふとは違ってね。全部、本音なんだけどな……」 「本音とか、そういうのはどうでもいいですよ。……早く。早く私を、あの時みたいに殺して下さい!」  遠井は再び深呼吸。腕組みをして、必死に考えをめぐらす。  やがて、ゆっくりと口を開く。 「真実の愛って、最も醜い部分を優しさで包むことだよね。僕も、真実の優しさで包まれたいな」  水奈は、永久凍土よりも冷たい視線で遠井を一瞥した。 「はあ……ちょっと、テンション落ちました。……もう一回、ブロンズ像にいたずらしましょうか?」  水奈の言葉に、本気度を感じる。冗談のはずなのに、少しも笑っていない。  遠井は両手を合わせて、必死にお詫びをする。 「そ、それだけはご勘弁を」 「もっと本気でお願いしますね」  はっきりと自己主張する水奈に、普段の気弱さがウソのように感じられた。  遠井は、芝生を見つめながら、先ほど以上に必死に考えた。  すかさず、水奈の瞳を見つめる。 「恋に落ちるとは、永遠に浮かぶことのない底なし沼に、この身を沈めること」 「はい」 「抜けられないのは分かっていても、どうしようもない。想いのままに、もがいて、もがいて、身が沈み。気がついたら、魅力の底なし沼に落ちていき。沼の下にある、喜びも悲しみも何もない、すべてが朽ち果てた世界でさえも、僕は永遠の愛を誓いたいんだ」 「あ、いい。最高です。遠井さん、私と結婚して下さい!」  顔を真っ赤にした水奈は、恥ずかしそうに遠井に抱きつこうとした。 「あ、ちょっと。危ない!」  勢いのあまり、遠井も抱きとめることができず、水奈は芝生へと崩れていく。うつ伏せに倒れて、水奈はそのまま大の字になって寝そべった。 「大丈夫?」  痛いのか、照れがあるのか、水奈は身体を起き上がらせようとしない。つんつんと背中をつっついてみたが、無反応。  一分程度待ってみたが、全く動かない。 「……水奈ちゃん?」  返事もなく、そのまま寝そべったままだった。  水奈の隣りで、遠井も芝生に寝転がる。  遠井は、エルフのように黒髪から鋭く出た、水奈の耳元に口を近づけて、ささやいた。 「恋は心の操り人形。……分かっているだろう? 本当は。人形になり果てたのは、キミじゃなくて、僕の方なんだ」  瞬間的に、水奈の心の揺らぎが伝わってくる。  全身が、ピクンと反応したのが分かった。 「……」  芝生をほおにちくちく感じながら、遠井は、黒髪に隠れた水奈の横顔を見つめた。  身体中を硬直させて、声を無理やり殺して、必死になって、歯を食いしばっているようだ。  遠井は人差し指で、髪をかき上げてみると、恍惚とした水奈の横顔が少しだけ見えた。 「見ないで下さい……」  遠井は立ち上がり、身体についた芝生を静かに払い落した。  いつまでも起き上がらない水奈の背中を見つめる。ブラウンを基調としたワンピースのアシンメトリー柄を目でなぞった。  このまま一生、立ち上がらないのではないか……と思いきや。  突然、水奈は立ち上がった。 「あははは。……ははは、あはははははは!」  狂ったように、笑い声が止まらない。脚がふらふらしていたが、目の輝きは喜びに満ちていた。 「水奈ちゃん」  遠井は水奈の手を取った。温かくて、やわらかい。細くて、爪が健康的で。肌が神秘的なまでに白くて。この世のものとは思えないほどに気品があり。握り締めるだけで、手を通して相手の恋心が伝わってくる。 「俺のこと、許してくれたかな?」  水奈は少し怒った様子で、首を横に振る。  遠井は当てがはずれて、ちょっとだけ狼狽する。 「許してないの?」 「許して……」  水奈は遠井の瞳を見つめながら言った。 「許して欲しいですか?」 「そりゃもう。水奈ちゃんとこじれたくないよ」  水奈は首を傾げて、少しだけ考えた。思案に暮れる表情も、水面に揺れる満月のように美しい。  水奈は口元を緩ませた。 「ふふ……」  自然な笑顔で、遠井を見つめる。  握り締めた手を通して、気持ちと気持ちが通じ合ったのかどうか。遠井の顔も自然とほころぶ。 「許してくれるんだね?」 「死んでも、絶対に許さないです」  水奈は急に厳しい表情になり、視線をそらした。  遠井の手をもう片方の手で優しく払いのけて、水奈はさっさと歩いていった。  遠井は慌てて、こけそうになりながらも後を追いかける。 「何で許してくれないんだよ!」  水奈は全く振り返らずに、背中で遠井の声を聞いていた。 「だって……許したら、口説くのをやめてしまうでしょう? 絶対に許さないっていう言葉の、……裏の意図を読み取って欲しかったんですけどね……」  風で溶けてしまうほどの小さな声で、水奈はつぶやいた。
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