第二章 犯人調査

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第二章 犯人調査

1、 「あれが……遠井くん」  ある日の放課後。  育子はポニーテールをバナナのように揺らしながら、生徒会室の窓から、双眼鏡で校庭を歩く遠井を凝視していた。  遠井が噴水の石段で座っていると、誰かがやってきた。  挨拶し合うと、遠井は立ち上がり、二人で歩きだした。 「ええと、隣りにいるのは……」  カッコいいせりふ部の友達らしき、太り気味の愛嬌のある男子生徒と一緒に話しながら仲良く歩いている。 「どこに向かうのかな?」  育子が眺めているそばで、いらいらしながら長机に座る女子生徒がいた。  絵里は不機嫌そうに、茶色くて長いデジタルパーマの毛先を指でくるりんと巻きつけつつ、ぼやく。 「ていうか、何なのよ! あの男は」  育子も眺めながら同意する。 「そうよ、全く。なめているよね」  育子は双眼鏡をおろしてため息をついた。 「可愛い水奈ちゃんが、あんなに焦って会いに行ったのにさ」  絵里は憤りに任せてバンッと長机を叩いた。 「泣かせて帰らせちゃうだなんて、ひど過ぎるよ」  育子と絵里はお互いに見合い、怒りを確認した。 「私達が水奈ちゃんを守ってあげないと」 「うちのヒロインがあんな目に遭わされたんじゃ、こっちだって。生徒会のプライドが収まらないよ」  育子は、双眼鏡を長机に置いて、思いだしたようにして言った。 「そういえば、遠井くんて。犯人説もあるよね」  絵里はぽかんとして顔で質問する。 「何それ?」 「ほら、ブロンズ像のいたずらの件」 「あ、そんなのもあったね」  育子は氷河がいつも座る席を指さした。 「あれ、氷河が言ってたけど。絶対あいつら犯人だって」 「氷河が? でも……」  絵里は言葉を濁しながら首を傾げて、困った様子で言った。 「……それは、何だろう……なんていうか。いくらなんでも、勝手に決めつけちゃかわいそうだけど」  育子はポニーテールを旋回させる勢いで、首を横に振った。 「あんな変ないたずら、普通しないでしょ?」 「そりゃそうだけど」 「そうなると、やる人は相当変わっている人だと思うんだ」 「確かに、かなり変ないたずらだとは思うけどさ」  育子は、鋭い視線で絵里を見ながら、誘導尋問のように話す。 「それで、変わった人と言えば」  絵里は言葉を詰まらせながら発言する。 「カッコいいせりふ……部の皆様?」 「そういうロジックになる」  育子は、当然と言わんばかりに大きくうなずく。  絵里はまだ納得していないようで、「うーん」とうなっている。 「証拠がないのに、決めつけちゃうのは。何だかなあって気が」  親友の絵里がなかなか納得してくれないので、育子はちょっとだけひるむ。 「絵里がそう言うと、なんだか自信なくなってくるけど……」  育子は、何とか絵里を味方にしたかった。  ポニーテールの少女の表情は、急に明るくなる。 「あ、そうだ。偵察に行こうよ」 「誰を?」 「そりゃもう。話題の人、遠井くん」 「そうねえ……」  絵里はデジタルパーマの毛先を指でなでつつ、考えた。  育子は、絵里がなかなか煮え切らないので、行きたくなるような言い回しで無理やりに主張する。 「遠井くんが無実かもしれないなら。逆にそれを証明するためにも偵察した方がいいんじゃないの?」 「そう言われると」  絵里は腑に落ちたように、パーマの指いじりをやめた。育子の言葉に、一理あるような気がしたのか、絵里は口元を緩ませてうなずいた。 「そうね、その方がいい」 「遠井くんがどうこうっていうよりも、生徒会の名誉にかけて。ブロンズ像事件の犯人捜しの大義名分だってあるんだからね」 「生徒会の名誉か」  絵里は感心しながら机の上の双眼鏡を手に取った。 「そういう言い方すると、なんだかそれっぽく聞こえるから不思議」 「そうよ、それっぽさが大事」  育子は得意げに言ってみせた。  絵里はそれほど偵察したいわけでもなかったが、育子のやる気を買って、一緒に行くことにした。絵里は、育子の双眼鏡でぼんやりと噴水のあたりを眺めるのだった。 2、  あれから育子と絵里は、時間を見つけては遠井を探しに行き、コソコソと遠くから眺めていた。  昼休みは、遠井のお昼ご飯をさりげなく学食で見ていた。  朝は、極力時間を合わせて遠井が登校してくるのに合わせて、少し後ろを歩きながら眺めていた。  放課後はもちろんのこと。生徒会の業務の合間に、二人で交互に時間を作っては、遠井の様子を見に行った。  特に何も収穫はなかったが、怪しい動きも見受けられなかった。  一週間も経つと、絵里の興味は薄れていた。  噴水の石段で、遠井のいる反対側に座る絵里は、あくびをしつつ、遠井をときどきチラ見しながら言った。 「ねえ、もうよくない?」  低血圧の絵里は、朝の登校まで時間を合わせるのはかなりしんどくて、気持ち的にそろそろ限界だった。顔色もあまり良くない。  育子は強い口調で返事する。 「ダメ」  絵里は力の抜けきった声を出す。 「疲れたよぉ」  気合を入れさせる思いで、育子は絵里の背中をバンと叩く。 「若いのに、何言っているのよ」 「あの人、別に変じゃないし」 「遠くから眺めているだけで、何が分かるっていうのよ?」  絵里は反論する元気も湧いてこない。はあっと、気合が抜けていくため息が出てくるだけだ。代わりに、なんとなく提案してみる。 「じゃあ、近づいてみる?」 「近づいてみるって。あ、今……」  育子は絵里の肩をゆする。 「ねえ、絵里」  育子は、遠井を指さした。 「早くも、チャンスかも」 「何が?」 「ほら、見てみて」  育子の言葉につられて、絵里は噴水の向こうにいる遠井の方に目をやった。  何やら、緑の腕章をした制服姿の女子生徒が、熱心に遠井と話しながらメモをしている様子だった。  絵里は不思議そうにつぶやく。 「何かの取材?」  進展があったせいか、育子はうれしそうに言った。 「行ってみようか」 「よし、行こう」  ここまで来たら、もう見つかっても構わないと思い、二人はカバンを持って元気よく立ち上がった。  育子と絵里はスタスタと噴水の周囲を歩いていき、インタビューを続ける女子生徒の隣りに来た。  生徒会らしく、丁寧に愛想を振りまく。 「どうもー」 「こんにちは」 「あれ、生徒会?」  遠井に話しかけていた女子は、驚いた表情で二人の顔を交互に見た。 「どうして、ここに? ……あ」  インタビューをしていた女子生徒は、腕の腕章を見せた。 「ほら。私、ちゃんと許可とってますよ?」  育子は笑顔で、首を横に振った。 「そういう意味じゃなくて」  緑の腕章をちらつかせながら、女子生徒は強い口調で言い張る。 「私、悪い事してないですよ!」  育子と絵里は、警戒させては行けないと思い、優しい口調でなだめた。 「あ、気にしないで。大丈夫です」 「おかまいなく、インタビュー続けて下さいね」 「私達、妨害しに来たわけじゃなくて」 「単純にですね、カッコいいせりふ部の部長さんである、遠井くんへの取材に興味があるだけですよ」 「は、はあ……」  女子生徒は少しだけあっけにとられていたが、「なるほど」と気を取り直して、遠井にインタビューを再開した。 「すいませんね、中断してしまって」  遠井はチラチラと腕時計に目をやった。 「良いけど。……あ、でも。部活にそろそろ行きたいかも」 「もうちょっとで終わりますので、ご辛抱下さい」  腕章をする女子生徒は、お詫びをしながらもなんとか続けようと粘る。 「わかった」 「ありがとうございます。それで……どこまで行ったかな」  紅い手帳を見ながら、「あ、ここか」と顔をあげた。 「カッコいいせりふ部は、今年の文化祭でどうしたいですか?」 「そうだね、今年は……」  今の質問を聞いて、このやり取りは広報部が文化祭に向けて各部を取材してまわっている一環なのだと、育子と絵里はすぐに分かった。 「……というわけだ」 「なかなか楽しそうですね。ありがとうございます」  広報部の女子は、サラサラと慣れた手つきで手帳にメモしていく。 「カッコいいせりふ部の夢はなんですか?」  遠井は真剣な表情になるが、すぐにくもる。 「真面目に話したところで、……バカにされるかもしれないけど」 「いえ、そんなことは全くないです」 「そう?」 「もちろんですよ。私達、広報部は部活動で活躍されている皆様をご紹介するお手伝いをしたいのです」  遠井は凄い迫力で人差し指を一本だして見せた。 「それなら……正直、俺は世界一を取ろうと思っている」 「せ、かい?」 「いや、世界じゃない。歴史で一番だ」 「はあ……スケールが大きいですね」 「戦うべきは歴史」 「れきし、ですか」 「そうだ。今の時代じゃない」  広報部の女子は、急いでボールペンをメモ帳に走らせる。 「俺のライバルは、歴史上の登場人物だと思っている」 「なるほど」 「誰もが親しんでいる、カッコいいせりふがあるよね?」  メモの手を止めて、広報部の女子は顔を上げた。 「ええと、……ピンとこないですが?」 「たとえば。クラーク博士の言った、『少年よ、大志を抱け』。エジソンの『天才は、一パーセントのひらめきと、九十九パーセントの努力』。葉隠の『武士道とは、死ぬことと見つけたり』とか。あとは、俺が気に入っているのだと、……和歌だけど。上杉鷹山の『為せば成る 為さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり』とか、熱いよね」 「ああ、なるほど。名言や格言ということですね?」  遠井はニヤリと笑って大きくうなずく。 「あれに全部勝ちたいんだ。俺は、絶対に何が何でも有名にならなければいけないと考えている」  育子と絵里はお互いに見合った。  二人とも少し驚いた顔をしていたのを、確かめ合った。 「遠井さんは、なぜカッコいいせりふがそこまで好きなんですか?」 「そりゃもう。カッコいいせりふは、人を幸せにする力があるからだ」  広報部の女子はペンを走らせながら質問する。 「そうですか?」 「いきなりそんなこと言われても、ピンと来ないかもいしれないけど。たとえば、……そこの生徒会のお二人さん」  遠井にいきなり声を掛けられて、育子と絵里は緊張して返事をする。 「は、はい」 「何でしょう?」  遠井は、育子の顔をじっと見つめる。  熱い視線が気になり、育子は思わず恥ずかしがりながら下を向く。 「あ、ちょっと」  遠井は静かな口調で言った。 「キミ、綺麗だね」 「え? いきなり言われても」 「恋に落ちるとは、刃物で心臓をえぐられること、今までの自分が殺されるということ。どうしようもなく堕落した、新しい自分が、生まれるんだ」 「あ、はい?」 「キミを愛することしか知らない自分がね。……目と目が合った、今この瞬間。僕は殺されて、殺人者に命よりも大事な心を差し出して、恋に落ちたんだ……」 「そ、そうですか……」  言葉はぼんやりとしていたが、育子の顔は気のせいか少し赤い。  次に遠井は、絵里に向かって話しかけた。 「キミも素敵だね」 「あ、ありがとうございます」  絵里は、最初の一言だけで、不自然なまでにデジタルパーマを指いじりしだした。  遠井は、先ほどと同様に静かに語り出す。 「恋に落ちるとは、心のバリアを相手の魅力に溶かされること」 「あ、……え?」 「いつからかな、僕のバリアが崩壊して。キミの魅力を支配者に、僕の心の王国すべてが永遠の服従を誓ったのは」 「あ、その……」  片言の言葉で、緊張のせいか、絵里はうまく返事が出来ない。  遠井は広報部の女の子の方を向いた。 「……と。今月は恋愛をテーマに、みんなでカッコいいせりふを考えていたから、それを適当に並べてみたんだけど。カッコいいせりふは、人の心を動かして、幸せにする力があると思うんだ」  目をキラキラさせながら広報部の女子は、生徒会の二人を見た。 「そうですね。隣りで聞いていた私も、なんだかドキドキしちゃいました。遠井さんて、女の子をいくらでも口説けるんじゃないですか?」  遠井は、苦笑しながら首を横に振った。 「……口説くって? そんなんじゃないって。ただ、少しでも元気が出て喜んでもらえるように、カッコいいせりふで相手を褒めたたえただけだよ?」  育子と絵里は、たどたどしくつぶやく。 「……今の?」 「口説かれていない?」  我に返った育子と絵里は、お互いに見合う。 「ふふっ」 「あはははは!」  二人は声を出して大笑いした。  広報部の女の子と遠井はぽかんとして育子と絵里を見た。  育子は申し訳なさそうに両手を合わせた。 「ごめんね、私達うるさくて」  絵里は遠井を笑顔で見た。 「遠井くんて、面白いね」  遠井は少し困った様子で答えた。 「ほめられているのか、けなされているのかわからないけど……、とりあえずありがとうございます」  絵里は楽しそうに首を横に振った。 「ほめているのよ。文化祭、頑張ってね」  広報部の女の子は、このやり取りもメモしていた。生徒会メンバーからも評価を受けているのが、記事を書くにあたり、良いネタになりそうだったようだ。 3、  育子と絵里は、あの後、一番近い女子トイレに行って、水道水で顔をバシャバシャと何度も洗った。お化粧やメイクが、ことごとく落ちようと一切おかまいなしに、激しい水しぶきが二人の周囲を舞った。気持ちを落ち着けて、ゆっくりと顔をタオルで拭いた。二人は、なんとなく周囲を見て、誰も自分達を見ていないのを確認して、急いで生徒会室に戻っていった。  生徒会室には誰もいない。ようやく安心した育子は、マイコップと絵里のコップを出して、ペットボトルの麦茶を注いだ。 「はい」 「ありがと」  絵里はお礼を言いながらコップを受け取った。  育子はゴクゴクと一気飲みする。のどを通る冷たさが、自分に冷静さを与える。 「さっきの、なかなか良かったね」 「うん」 「非日常的で、少しうれしかったかも」 「私も、本音じゃないのは分かっているんだけどさ。確かに、幸せな気分に少し浸れたかもしれない」  遠くを見つめるように、絵里は遠井とのやり取りを思いだしながら言った。 「でもさ。悪い奴じゃなさそうだね」 「まあね、悪意みたいなものは全く感じられなかったし」 「逆に、素朴で素直というかさ」 「確かに。意外とね」 「だいぶ変わっているとは思うけど。純粋に、世の中をよくしたいって思いはなんか伝わってきたよ」  育子は、首を傾げながら言った。 「でも、そうなると。あのとき、水奈ちゃんが泣いて戻ってきたのって。一体何だったんだろうね?」  絵里は、少しむせながらも麦茶を勢いよく全部飲みほしてしまい、コップをさっさと長机に置いた。 「げほ、げほ……うん、よくわかんないけどさ。おそらくは、何かの間違いだったんじゃないかと、私は思うよ」 「遠井くん、そんな変なこと。……いや、変なことはしそうだけど。人が嫌がるような変なことはしなさそうだよね」  そのとき、生徒会室のドアが開いた。  中に入ってきたのは、水奈だった。スラッと歩く姿が、女性二人が見ても可愛らしくて素敵だと、育子と絵里は見とれた。  育子は手をあげて水奈に挨拶する。 「お疲れー」 「お疲れさまです」  水奈は礼儀正しくお辞儀して、左手の長机の手前側の席に座った。  椅子に座るなり、水奈はなんだか悩んでいるような表情だった。  育子は心配そうに質問する。 「水奈ちゃん、どうしたの?」  水奈は、胸に秘めた想いが、知らないうちに顔に出ていたことにハッとして、思わず苦笑する。 「私、少し顔がくもってましたか? すいません」 「いや、別にいいけど。……それで、どうかした?」 「はい。遠井さんたち、頑張っているから。差し入れでも持っていこうかと考えているんですけど」 「なるほど」 「おせっかいですかね?」  育子と絵里は、お互いに見合った。  絵里は、いつものように目で合図する。  育子は無言で軽くうなずく。 「絶対持っていった方がいいと思うよ」 「そうですか?」  一瞬、水奈の表情が明るくなるが、やがてすぐに下を向く。 「でも、……迷惑がられないかって」  絵里は優しい笑顔で言った。 「そう思うならさ。遠井くんとかが好きそうな物を選んで持っていけば、喜ばれるんじゃないかな」 「好きそうな物……か」 「きっと元気出て、もっと頑張れるようになると思うよ」 「そ、そうですよね!」  決心がついたのか、水奈の声に力がみなぎってきた。水奈はカバンを右手に持って立ち上がった。 「私、ちょっと行ってきますね」  育子と絵里は、うれしそうに手を振った。 「いってらっしゃーい」 「しっかり、頑張ってね」 「ありがとうございます。失礼します」  水奈はそそくさと生徒会室を後にした。 「青春だね……」 「うちらも、相手探さないとね」  育子と絵里は、うれしそうにハイタッチした。
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