第四章 文化祭前日、それぞれの想い

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第四章 文化祭前日、それぞれの想い

1、  文化祭前日の放課後。  河原谷と育子と絵里は、時間が流れるままに、生徒会室にて明日の準備作業を淡々とこなしていた。生徒会メンバーは毎日忙しかったが、その分やりがいも大きかった。  明日はいよいよ文化祭……。しかし、メンバーの気持ちは不揃いで、会話の内容も、必ずしも文化祭とは関係ないものも少なからずあった。  河原谷は、書類に目を通しながら、育子に質問する。 「水奈ちゃんの引っ掛かりって、何だと思う?」 「何それ?」  育子は不思議そうに河原谷を見た。  書類のチェックをしながらも、水奈のことが気になって仕方ない河原谷は、無神経にベラベラと話しだす。 「俺が『遠井のことが好きなのか』と問い詰めたら、遠井には引っかかっていることがあるから、それが解決しないと前に進めないだと」  育子は、メモ書きしつつ、あきれて苦笑する。 「あんた……よく聞きだすね。そんなこと」  河原谷は、情感込めてうったえた。 「そりゃもう。聞きたくて仕方ないからさ」 「そこまで聞いたなら。ついでに、何に引っかかっているのかも、問い詰められば良かったのに」  河原谷は、残念そうに言う。 「そうなんだけどよ。水奈ちゃんが急に真剣になっちゃったから。それ以上聞けなくなっちゃったんだ」  育子はボールペンを持つ手を止めて、少しだけ考える。 「絵里、心あたりある?」  絵里は書類整理をしながら、あっさりとうなずいてみせた。 「おそらく……あれでしょ」 「あれって……あ」  二人はお互いに見合い、うれしそうに言い合った。 「アレだね」 「アレしかないね」  河原谷は、書類チェックを一時休止して不服そうに言う。 「何だよ、二人して。俺にも教えてくれよ」  育子と絵里の二人は再び見合う。  そして……目で合図して、微笑みを交わした。 「他の話題にしよっか」 「そうだね」  二人は作業を再開した。  河原谷は驚きながらも主張する。 「なぜ俺を仲間に入れてくれない?」  育子と絵里は即答する。 「恋の邪魔をしそうだから」 「恋愛の天敵を排除したいから」 「ぐぐぅっ……お前ら」  河原谷は怒りの形相で二人を交互ににらみつけながらも、図星の為、激しく反論をすることも出来なかった。  河原谷の書類不備チェックは一向に進まない。  歯をギシギシさせながら、河原谷は悔しがる。 「くそ、こうしている間にも……」  入口のドアが開いた。  中に入ってきたのは、氷河。 「おっす」  氷河の声に、三人は挨拶で応じる。  氷河は金色にメッシュをかけた髪を、いつものように整髪料で針金のように立たせながら、いつものクールな表情だった。氷河は、長机の左手奥の自分の席に着いて、ノートパソコンを開いた。軽やかなタイピング音が聞こえる。  河原谷は、助けを求めるように氷河に声を掛けた。 「おい、氷河」 「なんだ?」 「水奈ちゃん、遠井と仲良くなりすぎじゃないのか?」  氷河と遠井は仲が悪いことを、河原谷は何となく知っていた。こう言えば、氷河が水奈に注意をすると思ったのだ。  水奈は不服そうにしながらも、いつものように氷河の言いなりになり、口答えは一切できない。それで自然に、水奈と遠井の間に距離が出来ていく……。そんなサクセスストーリーが、河原谷の頭の中をよぎった。  氷河は、河原谷の方を向かずに返事をする。 「別に良いだろ」 「え?」  タイピング音がそのまま走り続けた。  氷河が放置するとは思わなかったので、河原谷は狼狽する。 「水奈ちゃんが最近、遠井と仲良くなってんだぞ?」 「何か問題か?」 「も、問題だろ」 「何がだ?」 「普通に考えて、問題じゃないわけがないだろ」 「だから、どこがだ?」 「どういう点かというと、それは……」  言葉につまったが、河原谷はあきらめない。  ダメな理由を絞り出すように考えまくる。河原谷は、考えながらもゆっくりと怒りの感情を一つずつ、言葉へと変換していって発していく。 「ええと……そうだ。まず、遠井は相当なイロモノだろ。それに引きかえ、水奈ちゃんは生徒会副会長だし、うちの生徒会の看板娘みたいなもんだ。……それが、遠井みたいな奴と仲良くしていたら。そうそう、……生徒会全体の評判が、悪くなるだろ? 風評被害は高まるばかりだぞ」  氷河は、名馬が駆け抜けるような速度で、キーボードを鮮やかにタイピングしながら答える。 「仲良くなって。それでいいんだ」 「お、お前という奴は……」  少し間をおいて、氷河は答えた。 「水奈には、カッコいいせりふ部の連中。特に、遠井の動きを監視するよう、伝えてあるからな」  河原谷は、書類の束を力いっぱい握り締める。 「監視……?」  氷河は冷静にうなずく。 「あいつらは、信用できない。だから、刺客を送ったんだよ」  少しだけ、河原谷の表情に笑顔が戻った。  刺客……。  監視……。  どれも良い響きだった。  河原谷の脳内コンピュータでは、エゴイズムの導くままに、すべてが都合よく書き換えられていく。  ……水奈は、仕方なく遠井と仲良くしている。  ……水奈が遠井と会ったあと、いつもうれしそうなのは。氷河に指示された監視の任務が、うまく進んでいるから。  ……水奈が遠井の話をするとき、幸せそうな雰囲気なのは、そういうフリを上手に演じているから。 2、  ある日の放課後。  体育館の裏で、人を待ち続ける遠井がいた。気のせいか、落ち着きなくそわそわしている。 「水奈ちゃん、遅いな。今日は時間があんまりなくて」  遠井は時計を見て、ぼやいた。好意でいろいろと持ってきてくれるのはうれしいのだが、時間のロスになるのも遠井としては、考えものだった。 「お、来たか」  いつものように、挙動不審なまでに周囲もいないのを確認した水奈は、スキップするような足取りで、遠井の方へと歩いてくる。 「遠井さん」 「水奈ちゃん、遅かったね」  水奈は頭を下げてお詫びをした。 「すいません、待たせてしまいまして」  水奈は、遠井を見ただけで、急に安心感が顔に出ていた。改めてキョロキョロと、誰にも尾行されていないのを確認した水奈は、微笑みながらカバンから紙袋を出した。ささっと遠井に差し出す。 「これ、良かったらどうぞ」 「いつもありがとう」  遠井は会釈をしながら受け取った。水奈にもらったお菓子を食べながら、カッコいいせりふ部のみんなと最後の打ち合わせをしようと遠井は思った。 「それじゃあ、時間もないし。行くね。いつも本当にありがとうね」  遠井がカバンを持って、この場を去ろうとした瞬間。  水奈は遠井のワイシャツの裾をつかんだ。物欲しそうな表情で遠井を見つめる水奈。 「待って下さい」  遠井は腕時計をチラッと見た。 「え? でも時間が」 「一つだけ、質問しても構いませんか?」 「あ? うん」  水奈は下を見ながら、たどたどしく話し始めた。 「遠井さん、ずっと引っかかっていることがあるんです」 「ずっと?」 「はい」  遠井は神妙な面持ちになる。 「何だろう?」  水奈はゆったりとした口調で続けた。 「以前にブロンズ像の前に行ったら。カッコいいせりふ部の皆様が、ブロンズ像のポーズしてたじゃないですか?」 「そんなこともあったな」  水奈は思いつめたような顔で、質問する。 「あれは、一体……何だったんですか?」 「ああ、あれか。楽しかったなあ」  思いだしながら、遠井はうれしそうに答える。 「まあ、見たまんまなんだけどね」  遠井の受け答えは、意外にも軽い感じだった。  水奈は、可愛らしく眉間にしわを寄せながらも質問を続ける。 「それが、……ずっと分からなくて。気になってたんですよ」 「そんなに分かりくかったかな?」  不思議そうに遠井は首を傾げた。 「氷河に、うちらが犯人扱いされたでしょ」 「そうですね。氷河さんが暴走していたにしても。あのときのことは、かなり申し訳なかったと思っています……」  水奈は申し訳なさそうに軽くお辞儀をした。 「あ、いいよ。別に」  遠井は水奈に顔を上げるよう、手を左右に動かして否定した。 「それで、ブロンズ像の事件だから。被害に遭った、ブロンズ像の気持ちになる必要があるという話になってね」 「は、はあ」 「俺たちはみんなで、ブロンズ像の前に行き。ブロンズ像のポーズをとりながら、同じように思案に暮れたんだ」 「そ……そう、ですか」 「まあ、何も分からなかったけどね」 「残念でしたね」  水奈は茫然とした表情になる。  納得するように、水奈は何度もうなずいてみせた。  やがて、顔が少しずつ笑顔になる。 「ふふ……、なんだ。そうだったんですね」 「そうだよ、それ以外ないじゃん」 「そっか、誤解だったんだ」 「誤解って? アレと何を誤解するの?」 「私はてっきり、何かの怪しいオカルト的な儀式かと思ってしまいまして。ドン引きしちゃったんです」 「そう? やってみると面白いよ。今度、一緒にやろうか?」 「あ、それは。……ちょっと」  話しながら、水奈は急に何かに気が付いたようだ。 「誤解だったんですね、そっか、そうだったんだ」  水奈は、不自然なまでに何度も同じ言葉を繰り返している。気のせいか、先ほどよりもずっと声が弾んでいた。  遠井は水奈の言葉に同調する。 「そうだよ。誤解しようがないと思うけどね」 「そうなると、遠井さん」 「水奈ちゃん?」  水奈は突然、真剣な表情で遠井と向き合う。 「私、本当は。氷河さんに監視しろって言われて」 「うんうん」 「遠井さんのところに来てたんですけど」 「分かるよ、あいつの言いそうなことだ」 「でも、ですね。私、任務を忘れてしまい。遠井さんと会うのが、だんだん楽しみになってきちゃって」 「俺も、監視と分かってても。水奈ちゃんと会うの楽しいよ」 「ありがとうございます。……私、前から思ってたんですけど」 「前って、どのぐらい前かな?」  うれしそうな水奈は、自分のペースで言葉を続ける。 「私達が出会ったのって、運命だと思いません?」 「運命?」 「私達は、生まれる前から、運命の糸で結ばれていたんだと思うのです」 「そうかな?」 「はい、きっとそうです」  どう受け答えしたらいいのかわからず、遠井はとりあえず笑っていた。 「二人の間の運命の糸がからまって、時に行き違うかもしれないですけど」 「うん」 「そう……今みたいに、時間をかけてじっくり話せば。糸のからまりはとれて、わかり合えるんです」  言いたいことが、少し理解できたので、遠井はオーバーリアクションでうなずきながら同調する。 「そうだね。話せば分かると思うよ」 「私と遠井さん。運命の糸で引っ張られて、時に縛りあって、時にからまりが痛くて。時にあっさり結ばれて。一緒に手をつないで、あや取りをするように運命をともにするんです……これから、ずっと。ずっと、永遠に……」  遠井はキョトンとした表情になる。  水奈の澄んだ瞳をじっと凝視した。  相手の心をのぞきこむように、見つめ続ける。 「水奈ちゃん、勘違いしてたら申し訳ないんだけど。今のって……」  遠井と目が合い、急に恥ずかしさが湧いてきたのか。  水奈は、誤魔化すように微笑んだ。 「あ、すいません、私の考えたカッコいいせりふ。寒かったですか?」 「え、あ?」  顔を赤らめながら、水奈は言った。 「遠井さんを見習って、一生懸命に考えてみたんですけど。なかなか難しくて、奥が深いんですね」  遠井は頭をかきながら大笑いしてみせた。 「あ、なんだ。自分で考えた、カッコいいせりふを披露してくれたのか」  視線を泳がせながら、水奈は受け答えする。 「は、はい。……そうです」  水奈は、不自然にそわそわしながら、うつむき加減に小声で返事した。 「俺はてっきり、別の意味で捉えてしまって。……そんなわけないよね」 「遠井さんみたいに、良い作品は簡単には作れないですね」 「いや、なかなか。心に響いたけど……あ」  遠井は再び腕時計を見る。 「ごめん、もう時間が。行くね」 「あ。はい」  遠井は受け取った紙袋とカバンを抱えて、駆け足で走り去った。  水奈は手を振りながら、いつまでも遠井の後ろ姿を眺めていたのだった。 * * * *  一連のやり取りを、体育館の端の柱に隠れてのぞき見する生徒会メンバーがいた。 「あの感じだと、ねえ」 「水奈ちゃん、文化祭終わった後にでも告白しちゃうんじゃないの?」  育子と絵里は、なんとか二人の恋愛を応援したかった。  育子は納得いかない様子で言った。 「ていうか、あのまま誤魔化さないで、告白したことにしちゃえばよかったのに」  絵里もうなずく。 「そうだよね。けっこう良い空気だったよ。何で言わないんだろうね?」 「今、告白しちゃえば。明日、文化祭を二人で見てまわれるのに」 「あの二人。無理やりくっつけちゃいたいね」  二人はコソコソやるのをやめにした。育子は走って近づき、歩き始めた水奈を呼びとめる。 「水奈ちゃん」 「わっ!」  水奈が突然大きな声を出したので、二人もびっくりする。  絵里は笑いながら水奈の背中を軽く叩いた。 「そんなおっきい声、出さないでよ。こっちが驚くじゃない」  水奈は、心配そうに言う。 「今の、見てました?」  絵里は水奈の反応が少し怯えているように感じて、返事に窮する。 「あ、え?」 「見てたん、ですか?」  水奈は、怯えながら何度も確認続けている。  この状況で、この様子は……。  育子と絵里はお互いを見合った。絵里は目で合図する。育子は無言でうなずく。  水奈は二人のやり取りがよく分からなくて、思わず質問した。 「どうしたんですか?」  育子と絵里は、白々しく受け答えする。 「あ、いや別に」 「うん、何でもない」  育子は、背後から水奈の両肩を握り締めた。 「それより。私達は、水奈ちゃんの味方だよ」 「そうそう」 「水奈ちゃんのこと、応援しているから」 「そうだよ。河原谷のスケベとは違うんだからね」  水奈は優しく微笑んだ。  しかし、一方では警戒心を未だに解いていないようで、水奈は身体を少し強張らせながら返事をした。 「……よく分かりませんが、ありがとうございます」  絵里は水奈の右手を優しく握った。 「遠井くんに、告白しちゃいなよ」 「ええ!?」  再び水奈は、悲鳴に近い大声を出した。  自分の声に驚いたのか、トーンダウンして次の言葉を続けた。 「それは、ちょっと」  絵里は、獲物を逃さないように、強い口調で勧める。 「何で? 一緒に文化祭、まわれるよ?」 「一緒に、まわれる……」  水奈の目が、どこか夢見心地になるのが伝わってきた。気のせいか、表情も緩んだ気がした。  あともうひと押しだと思ったのか、育子は水奈をさらに説得する。 「ほら、行ってきなよ。チャンスだよ?」  水奈は顔を真っ赤にしながら、首を横に振った。 「い、行けないですよ」  育子は強い口調で言った。 「何で?」 「私は……」  次の言葉が出てこない。  突然、水奈は頭を抱える。呼吸が激しい。荒い。水奈は、苦悶の表情を浮かべた。 「はあはあ……く、苦しい」  水奈はぜいぜい肩で息をしていた。 「……気が。……狂いそう」  何かの持病なのだろうか。  それとも……。 「頭が、……変になっちゃいそうで……す」  育子と絵里は、水奈の異変に心配になる。 「ちょ、ちょっと。大丈夫?」 「体調悪いの? 保健室行く? 今ならまだ、先生いると思うよ」  ハッと我に返った水奈。育子と絵里がとても驚いた顔をしていた。自分が何をしたのか悟った水奈は、作り笑いを浮かべた。 「す、すいません、気にしないで下さい」  育子は小さな声で言い返す。 「気にするなと言われても……」 「大丈夫です」 「本当に?」 「はい、絶対の絶対に大丈夫です」  はっきりと主張を繰り返す水奈。  しかし、水奈が頑として言い張るのが、育子は逆に心配になる。 「無理してない?」 「無理してなんかいないですよ」 「でも、今の感じ……」 「私、頭おかしいんですよ」 「そんなわけは」 「……どうか、今のは忘れて下さいね」  水奈は両手を合わせて、軽くお辞儀をした。  空気感がまずいと思ったのかどうか。そのまま、水奈は何も言わないで去っていった。後を追って、話しかけられない雰囲気だった。  育子と絵里は、体育館の入口脇の石段に腰掛けて、再び作戦会議をする。  育子はポニーテールを揺らしながら首を傾げた。 「今のって」  絵里は腕組みしながら答える。 「そうねえ」 「自分の中で、葛藤しているのかな?」 「そういう感じに、見えなくもないよね」 「ウソつけないタイプっていうか」 「思っていることが、何でも表情に出ちゃうみたいだね」  育子は指をあごに当てて、真剣に考える。 「それにしても。……恥ずかしさ以外には、一体何が、行動にブレーキを効かせているんだろうね」  二人は文化祭の準備をそっちのけで、じっくり考える。  絵里はパンと手を叩く。 「氷河かも」  育子も腑に落ちたようにうなずく。 「あ、確かに」 「氷河に、監視しろとか言われているから」 「指示に背くことが出来なくて」 「それで踏みとどまっているとか」 「あるいは。……実は、氷河に告白されていて。俺が生徒会長を卒業するまでは、誰ともつき合うなとか、裏で脅されているとか」 「いや、さすがにその線は」 「だよね……」 「氷河、曲がったことは嫌いそうだし」 「見た目のチャラ男っぽさは、性格と全然違うんだよね」 「河原谷とは、真逆のキャラというか」  育子は思いだしたように言った。 「さっきの会話で。例の引っかかっていたことも解決したみたいじゃない?」 「うん。ブロンズ像の話が終わった後は、急に水奈ちゃんの目が生き生きとうれしそうになっていたもの」 「あのまま、一気に行けば良いものを」  絵里はため息をついた。 「こうなったら。明日の文化祭で。良い展開になるのを願うしかないね」  育子は大きくうなずいた。 「そうだね。あのバカには邪魔されないようにね」 「邪魔されないように、私達が守ってあげなきゃ」  育子と絵里は握手し合い、二人の恋愛成就を願ったのだった。  二人は時計をみて、慌てて生徒会室へと戻って行った。 4、  遠井が部室にたどりつくと、いつも不真面目な中原が、珍しく台本をすみずみまで熟読していた。 「あれ、田中と理江は?」 「あいつらは、運んでるぞ」  田中と理江は、小道具関係を体育館に運んでいるらしい。 「そうか。女の子にやらせて、悪かったな……ていうか、中原が理江の代わりに行けば良かったのに」  遠井の言葉に、思わず中原は苦笑いする。 「何言ってんだ? 俺も一緒に運んでたんだよ。今、運び終わって一足先に戻ってきたところだ」 「あ、わりぃ」  中原は、遠井が腕に抱える紙袋を見ながら毒づいた。 「バラモン階級の部長さんが、可愛い美少女と戯れている間に、我々スードラ階級の者が働いてやったんだ」 「悪かったよ……話が長引いてさ。遅くなってごめん」  遠井は、いつもの木の皿にキッチンペーパーを敷いて、水奈からもらった七味唐辛子ののりせんべいを入れた。  中原がせんべいを指さしながら言った。 「またあの子からか?」 「うん。マメだよね」  木の皿に積まれたせんべいを見つめながら、中原は首を傾げた。中原は、七味唐辛子のせんべいを一枚手に取った。 「遠井さ」 「なに?」 「水奈ちゃんのこと、お前好きなのか?」 「そういう目では特に見てないけど」 「でも、向こうは明らかに好意を持っているように見えるけどな」  遠井は腕組みをしながら言った。 「ていうか、さっき聞いたんだけど」 「ん? 何か新しい情報か?」 「あの子、氷河に監視しろって言われているって。自分で言ってたよ」  中原は納得できない様子で言った。 「自分で言っちゃうのか、そういうの? おかしくないか、それ。ハニートラップの香りがするな」 「……言葉の響きがいいな。ストックしておこう」  遠井は「ハニートラップ」をスマホにメモした。  中原は難しい表情で言った。 「たとえ、それが事実だったとしても。……水奈ちゃん、あまり監視として機能してない気がする」  遠井は何かひらめいたように手を叩いた。 「あ、そういえば」 「何だ? 大事なことを思いだしたか?」  遠井は真剣な表情でうなずく。 「水奈ちゃんが、いきなり俺に向かってさ、自分で創作したカッコいいせりふを披露してきたんだ」  中原の表情は急に明るくなった。 「おお、凄いな」 「待てよ。ということは、……ひょっとしたら水奈ちゃんは」  遠井は声のトーンを落としながら言った。 「入部したいのかもしれない」  中原は大きくうなずいた。 「それはあり得るな。大いにあり得る……それに」  中原は、机をバンと叩く。 「水奈ちゃん、無駄にルックス良いから。あの子が入部となったら、良い客寄せパンダになりそうだ」  ドアが開いて、田中と理江が入ってきた。 「お、これで全員そろったか」  二人とも席に着いた。  遠井は、いよいよ最後の打ち合わせを始めようとする。  しかし、理江が突然、金髪に手櫛を通しながら質問した。 「やけに語り合っていたみたいだったけど。何の話をしてたの?」  中原はからかうように笑いながら、チラッと遠井に視線をやった。 「水奈ちゃんが、遠井をどう想っているのかってことだよ」  理江は、ひざの上で、熊のぬいぐるみを四つん這いにさせながら言った。 「あの子は。生徒会のマルチーズよ」  さらに、理江は熊のぬいぐるみの手でせんべいを指す。 「さしずめ、このせんべいは賄賂」  せんべいを食べていた遠井は、驚いてむせる。 「げほ、げほ。……わ、わいろ? 俺らを買収して、何のメリットが?」  理江は熊の手を解放して、自分の手でせんべいを一枚取った。 「だから、みんなで美味しく頂くべきよ」 「そ、そうか……?」  要領を得ない表情の遠井。  理江はそんなのは全くおかまいなしにせんべいをかじった。 「賄賂は、受けとるのが礼儀。この世の摂理。夜風は、海の上を荒れ狂うように、花は美しく咲き乱れるように。賄賂は受けとるのが天地の法則よ」  理江の話に続いたのは、中原だ。 「俺もそう思う。賄賂は天の恵み。神の祝福。地獄の免罪符。自由の女神が手に持つソフトクリームの部分だ」 「自由の女神、ソフトクリーム持ってないだろ」  遠井はお約束で突っ込んだ。  中原はせんべいをうまそうに食べた。 「江戸中期の旗本、田沼意次の賄賂時代に、江戸文化はもっとも発展した。それを見習うべきだな」  中原の言葉に、今度は田中が続く。 「僕も同感だな。このせんべいは七味唐辛子が効いている」  田中は、大事そうにせんべいを手に取って、表面についた七味唐辛子を、楽しそうに眺めている。  遠井もせんべいを取り、ぽつぽつと散在する七味唐辛子に目をやった。 「そりゃ、そういう味付けだからな」 「効いているということは、遠井くん。何か気がつかない?」 「ん、何だ?」  遠井は不思議そうにじっとせんべいを見つめる。  田中はせんべいを一かじりして、一気に全部バリバリと食べてみせた。 「ピリッとして美味しい。そして」 「……そして?」 「一味よりも香ばしい。さらに」 「さらに?」 「せんべいのしょうゆ味とうまくマッチしていて、まるで文化祭で演じる、僕らの『カッコいい桃太郎』みたいじゃないか」  遠井は重々しくうなずく。 「わかったわかった。ようするに」  遠井はすべてを理解したようだった。  静かに口を開く。 「せんべい食えれば、あとはどうでもいいんだな?」 「「うん」」  究極のシンクロニシティとでも言うべきだろうか、カッコいいせりふ部一同、同時にうなずいた。    会話が一段落したところで、遠井達は、せんべいを食べながら最後の打ち合わせを始めたのだった。
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