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第五章 カッコいい桃太郎
1、
文化祭当日。
校門には、「飛翔祭」の文字が中央に大きく描かれて、幾つもの風船が貼られた虹色のアーチが出来ていた。校舎の外面は、柱と柱の間をすべて埋めつくすように、複数の色どり豊かな垂れ幕がかかっている。模擬店やクラブ発表、お勧めのイベント等、バラエティに富んだ宣伝活動が行われていた。
屋上から、ギターのエレキ音が聞こえたかと思うと、軽音部のゲリラ屋外ライブで、校舎の下には大きな人だかり。ギターを抱えた男子生徒二人組が、笑顔で下界に向かって手を振る。二人のうちの一方は、アイドルのオーディションで受かったらしくて、それが人気の原因のようだ。
舗装された通路では、紅いボンボンを両手に持ったチアリーディング部達が一列に並んでいる。紫色のミニスカートをひらひらさせながら、華やかでアクロバティックなパフォーマンスをしていた。
模擬店では、二年五組のフランス風大盛り焼きそばが売れているようで、長蛇の列が出来ている。他にも「利き腕の反対金魚すくい」や「当たると凄い賞品の射的コーナー」が、意外にもお客が多い。
学校全体に文化祭の楽しい雰囲気が流れる中、パシャ、パシャッと男どもにスマホで撮られまくっている女の子がいた。ミスコン優勝のたすきを肩にかけた水奈だった。迷惑そうな表情をしていたが、「やめて下さい」の一言が言えず、苦笑しながら撮られ続けていた。
「……何だ、こいつら?」
メッシュの入った金髪をツンツンに立たせた氷河が、水奈の周囲にいる男子生徒にガンをくれた。
「に、逃げろー!」
声を揃えて叫ぶと、男子生徒達は途端に撮影をやめて、雲の子を散らすように、一斉に去っていった。
氷河はうっとうしい表情でその様子を眺めていた。
「で、何だ。それ?」
氷河は、水奈の肩に掛けたたすきを指さした。
水奈はまごまごしながら受け答えする。
「これは、その。ミスコンに参加しちゃいまして……別に興味があるわけじゃないんですけど。……その、すいません」
水奈は出たくなかったのだが、クラスのみんなに何度もお願いされていまい、断るに断れなかった。
氷河はあきれて言った。
「まあ、いい。……生徒会が率先してイベントの盛り上げするのは、悪いことじゃないからな」
「……ありがとうございます」
水奈は身体中の力が抜ける思いだった。
不機嫌そうな氷河は、周囲を見渡しながらつぶやいた。
「カッコいいせりふ部の連中が、問題を起こさなければいいが……」
水奈は、おろおろしながらつぶやく。
「氷河さん」
「何か用か? お前の声、小さくて聞こえねえんだよ」
「そんな……怖い言い方しなくても」
舌打ちをする氷河に、何も言えなくなる水奈だった。
氷河は水奈の気持ちなど露知らず、構わず言う。
「いいから言えよ」
水奈は声を絞り出すようにして言った。
「そ、そろそろ、……時間ですよ」
「ああ?」
氷河はデジタル表示の腕時計を見た。
現在、午前十一時十分前。
氷河は軽くうなずいた。
「面倒くせえな。……けど、アイツらバカで危険で、またやらかすかもしれないから。監視しないわけには行かないな」
氷河と水奈は、早速カッコいいせりふ部の演劇をする体育館に向かおうとした……そのとき。
「水奈ちゃん、俺とまわろうよ」
「あ、え?」
坊主頭の生徒会メンバー、河原谷だった。
水奈は申し訳なさそうに答える。
「……あのう。……大変恐縮なのですが。以前にも、ちょっと難しいとお伝えしたと思いますが」
「行こうよ」
「でも」
「いいから」
「ちょっと、待ったー!」
威勢の良い声で現れたのは、育子と絵里だった。
二人とも、先ほどまで入口の受付をしていたが、下級生に代わってもらったので、休憩に入ったところだった。
育子は眉をつりあげながら河原谷を指さした。
「水奈ちゃんを今、無理やり誘おうとしてたでしょう?」
「何のことだ?」
「とぼけないでよ」
絵里も握りこぶしを作り、河原谷を威嚇する。
「水奈ちゃんは、私達が守るんだからね」
「何なんだよ、お前らは……」
河原谷は表情を曇らせた。
しかし、何か思いついたのか、河原谷は不敵な笑みを浮かべた。
「なあ、お二人さん」
「何よ?」
「気持ち悪い笑い方して」
「あっちを見ろ」
河原谷は、三年三組が出店を出している、三百円ぽっきりのケーキバイキングコーナーを指さした。モンブラン、ショートケーキ、チーズケーキ、特大プリン、……魅力的なケーキたちが、これでもかというぐらいに、白いテーブルクロスの上をひしめき合う。紙皿一枚が手渡されて、そのスペースにのせられるだけいくらでも自由にのせて良いというルールだ。片手にトング、片手に紙皿を持った、たくさんの女子生徒達が、きゃあきゃあ言いながら群がっていた。
「ああー!」
「早くしないと!」
二人はルンルンしながら疾風の勢いで去っていった。
がっくりしながら、水奈は去っていく二人の後ろ姿をただ眺めていた。
「私も一緒に、走り去れば良かったかも……」
「よし、邪魔者は消えたな」
河原谷は再びいやらしい笑みを浮かべる。
「さてと、水奈ちゃん」
「うう、まだ誘うんですか?」
水奈は心底ため息をつく。
そんな水奈を見て、河原谷は悲しい表情になる。
「……俺のこと、そんなに嫌いなの?」
「そんなことはないですけど」
「いや」
河原谷は残念そうに下を向く。
「ああ、寂しいなあ。水奈ちゃんは、そうやって俺が嫌いなのを誤魔化そうとしているんだな」
「ち、違いますって」
水奈は、河原谷を傷つけないようにと、精一杯に気を遣ってしまう。
河原谷はそこをついて、じわじわと攻めていく。
「それなら、行こうよ」
「いや、それはちょっと」
「ほら、やっぱりそうなんだ」
「違いますよ」
「なら、行こうって」
「それは、……」
「嫌いなんじゃんかよ」
「そうじゃなくて」
「だったら行こうよ」
「何だか、……話が前に進まないですね」
「断る理由はあるの?」
「り、理由? ええと……」
水奈は腕組みをして考える。
河原谷は、そんな時間を与えるつもりなんて全くない。
「すぐに浮かばないなら、行こうよ」
「あ、う……」
水奈は、性格的に強い誘いを断れない。いつだって、今だってそうだ。このまま攻められ続けたら、押し切られそうだった。
しかし、この硬直状態を破る者がいた。
「いつまでやってんだよ、お前ら」
氷河が河原谷をにらみつけた。
迫力があり、河原谷は思わず後ずさりをする。
「水奈は俺と行くんだ」
「は、はい」
水奈は慌てて返事をした。
「そ、そうか……分かったよ」
河原谷も、氷河が相手だと文句も言えない。
「うぐぐ……くそ」
言い返したかったが、言葉にならない。あんまりじらすと、氷河に怒鳴られかねなかった。
「……氷河め。いつも水奈ちゃんを独り占めしやがって」
小声で何やらぼやきながら、河原谷はチアリーディングのパフォーマンスの方へと歩いていった。
水奈は、額の汗をハンカチで拭いた。氷河に向かって、水奈は軽くお辞儀をする。
「助けて下さり、ありがとうございます」
「変な奴が来たせいで。時間がギリギリになっちまったな」
水奈は腕時計を見た。
「少し急いだ方がいいかもしれません」
水奈と氷河は、足早に体育館に向かった。
2、
体育館では、次々に発表が行われていた。アコースティックギター部のオリジナル曲コンサート。吹奏楽部のジブリメドレーの演奏。半そでのワイシャツにチェックのミニスカートと黒ネクタイで決めたダンス部のおちゃらけダンス等。いずれもかなりの盛り上がりを見せていた。
次は、いよいよカッコいいせりふ部だ。額にバンダナを巻いて、腰に切れない模造刀を差した、カッコいい桃太郎こと遠井。理江に、お化粧とカッコいい風のメイクをしてもらっているので、一見すると誰だか分からない。
遠井は、チラッと舞台の裾から観客席を見た。観客は……数百人。いや、ひょっとしたら千人を超えているかもしれない。隅から隅まで体育館を敷き詰めるように準備されたパイプ椅子は、学生をはじめ、さまざまな年齢層の人達ですべて埋め尽くされていた。
「マジかよ、大人気じゃん……」
客席の風景に圧倒されつつも、カッコいいせりふ部の演劇じゃなくて、他の演目が目当てかもしれないと遠井は思い直した。
「ん?」
視線を移すと、一番前の席のど真ん中には、氷河と水奈がいた。生徒会の指定席になっているようで、遅れてきても座れるようだ。遠井は「げっ」と思わず、つぶやかずにはいられない。
……それにしても、いつでも二人っきりで行動というのは、なんだか不自然な気がしないでもない。生徒会の会長と副会長って、そんなにも常日頃、一緒に行動し続けなければならないものなのか。
「何なんだよ、あの二人は……」
遠井はぼやきながらも、心の準備をした。
「次は、カッコいいせりふ部による『カッコいい桃太郎』です。カッコいいせりふ部の皆様、よろしくおねがいします」
放送部の良く通る女子生徒の司会の声が、体育館に響き渡る。
舞台の幕が上がった。
スポットライトがまぶしい。バックミュージックが大きな音量で流れたかと思うと、調整されて、ちょうどいい音量になった。
むかしむかし、あるところに。
毎日の筋トレでナイスバディのおじいさんと、インプラントでおせんべいを美味しく食べるおばあさんがいました。
二人は、とっても仲良く年金生活を送っていました。
ある日のこと。
おじいさんは、台本通りに山へ芝刈りに行きました。筋トレのナイスバディが生かされ、芝は容赦なく刈られていきます。
おばあさんは、洗濯機がない時代設定なので、川へ洗濯にいきました。今日はおじいさんの洗濯物が多いから、水が汚れていてもいいというおばあさんなりの計算がありました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこっこ、どんぶらこっこと流れてきました。なぜ、突然変異のような大きな桃が、川に沈まずに浮いて流れてきたのか、疑問に思うのは愚かなことだとおばあさんは考えながら、川に手を入れて桃を拾いました。
おばあさんは、インプラントの八重歯を見せながら、盗人のようにニコニコと微笑みつつ
「俺の物は俺の物。お前の物も俺の物」
と言い、桃を勝手に持ち帰りました。
家では、乳酸のたまったおじいさんが入念にストレッチとアイシングをして、おばあさんの帰りを待っていました。
おじいさんは、腕に力こぶを作り、いやらしい目つきで桃を見ながら
「不倫は文化だしな」
とうれしそうに言いました。
おじいさんは早速桃を、残酷なまでにくだものナイフで切り裂きました。名刀匠によって研がれた「エクスカリバー」は、青白い輝きを解き放っていました。
桃からは、元気な男の子が出てきました。
おばあさんは、赤ちゃんの下半身を眺めました。たとえ小さくても、みずみずしい生命力がぶらさがっています。
「最高でも金、最低でも金」
と言って、手を叩いて喜びました。
おじいさんが、「キミの名は?」と聞くと
桃太郎は「調査兵団に入って。とにかく巨人をぶっ殺したいんです」と答えました。
おじいさんは、そのためにはまず訓練兵団に入団して、立体機動をマスターする必要があると、眉間と筋肉にしわを寄せました。
桃太郎は、すくすくと育っていきました。その間に、おじいさんはますます筋肉がムキムキになり、新しいバーベルに買い変えました。おばあさんは、新作のインプラントで、するめイカも噛めるようになりました。
ある日。
思春期を過ぎた桃太郎は、お嫁さんが欲しくなりました。そこで、鬼退治に行くことになりました。鬼退治は、将棋六段やボクシング世界チャンピオン、フィギュアスケートのメダリストと同じくらいモテるイベントなのです。
おばあさんが、桃太郎に
「一日なさざれば、一日食らわず」
と言うと、桃太郎は
「それは、私のおいなりさんだ」
と言いながら、おばあさんからきびだんごをもらいました。きびだんごには、ちゃんと保存料や酸化防止剤がたっぷり入っているので、長旅にも安心です。
「アイシャルリターン」
と言いつつ、桃太郎は家を出ました。
おばあさんは、桃太郎の後ろ姿を誇らしげに眺めながら、ハウオールドアーユーとつぶやきました。
桃太郎は途中、キジ、サル、犬に出会いました。しょせんケモノだし、本当は通り過ぎようとしたのですが、中途半端な優しさが邪魔したのです。
「三人いれば我が師あり」
と言い、きびだんごで買収して仲間にしました。きびだんごには、おばあちゃんの秘伝の隠し味が入っていて、思ったよりも美味しかったのです。
一人と三匹は、再び歩きます。
しかし、ブルジョワ階級のぬるい教育を受けた桃太郎は、歩き疲れてきました。
「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ」
と言葉の通じない犬に熱く語りながらも、桃太郎はページをめくって鬼ヶ島に到着しました。危うく、ページをめくり過ぎて自宅に帰るところでした。
鬼が島には、金棒をもった恐ろしい鬼がいました。右手に金棒、左手に熊のぬいぐるみを抱えています。
鬼は、予算がなかった関係で、衣装は百円ショップの鬼のお面をしているだけでした。しかも、節分の鬼風のあまり怖くないデザインです。
「へのつっぱりはいらんからな」
意味はよくわかりませんが、鬼は凄い自信です。
鬼は金棒をぶんぶん振り回しながら、桃太郎に怒鳴ります。
「俺は海賊王になる!」
桃太郎は言い返しました。
「同情するなら金をくれ」
鬼は心の優しい者でしたが、全国の鬼ファンたちを失望させることがないように、あえて心を鬼にして、首を横に振りました。
「カネは命よりも重い」
桃太郎は説得を続けます。
「和をもって尊しとなす」
「朕(ちん)は、国家なり」
鬼は全く譲りません。
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
鬼はサルを蹴りあげました。サルは、蹴られると同時に同じ方向に飛んだので、ダメージはほとんどなかったのですが、サッカーなら必ずファールを取られるぐらい、オーバーリアクションで痛がりました。
それを見た桃太郎は、刀を抜きました。
「義をみてせざるは勇なきなり」
桃太郎と鬼は、本気で戦い合いました。金棒と刀が何度もぶつかり合い、その度に言葉の応酬が行われました。
鬼「はーひふーへほー」
桃「七度生まれ変わり、国に報いん」
鬼「泣く子は、いねえかー」
桃「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ」
鬼「今宵の虎徹は血に飢えている」
桃「これは、クリリンの分!」
鬼「悪は急げ」
桃「今宵の虎徹は血に飢えている」
鬼「死のうは一定」
桃「バルス!」
戦いは熾烈でした。もはや、カッコよくないせりふの方が多いぐらいです。
「一寸の虫にも五分の魂」
と、キジが鬼を卑怯なまでに死角から不意打ちで攻撃しました。
「燃えつきたよ、燃え尽きた。真っ白にな」
とつぶやきながら、お面がはずれ、金棒が地面に落ちました。
お面の下はなんと、若い金髪女性(理江)でした。鋭い目つきですが、時折見せる笑みが、隠れマニアにはたまりません。
「正義に満ち溢れたあなたの強さに、心打たれました。私と結婚して下さい」
美しい鬼と桃太郎は、熊のぬいぐるみごと抱き合いました。桃太郎はついに、念願のお嫁さんを手に入れたのでした。
三匹は、クラッカーで二人を祝福しました。
「愛のままに、我がままに。僕はキミだけを傷つけない」
桃太郎は、新妻を抱きながらブイサインをしました。明日の朝には、ユーチューブでアップされ、たくさんのアクセスがあるに違いありません。
おじいさん、おばあさんは、二人の年金に加えて、鬼が貯め込んでいた預金による副収入により、安定したライフスタイルを手に入れましたとさ。
めでたし、めでたし。
それまで礼儀正しく座っていた大勢の観客たちが、一斉に立ち上がり、割れんばかりの拍手喝采。
そして、歓声。歓声。歓声。
アンコールの声すら聞こえる。
今日の演目の中で、一番の盛り上がりだった。司会進行をする、放送部の女子生徒の声が、終わることのない怒涛の歓声のせいで全く聞こえない。
拍手が途切れない。
誰も座らない。
歓声がやまない。
両腕を頭の上にあげて、永遠とも呼べるほどに長い、長い、長い、長いスタンディングオベーション。
観客は口をあげて、皆、何かを叫んでいた。笑顔で、こちらを見つめていた。
カッコいいせりふ部の部員一同、お辞儀をした顔をゆっくりとあげて、嬉しい笑顔でお互いを見合う。
遠井は最高の気分だと思い、興奮冷めやらぬ中、幕は閉じた。
3、
文化祭が終わった後。
部室には中原、田中、理江が円卓を囲んで座っていた。
木目の綺麗なお皿の中には、今日のねぎらい用に最高級のせんべいが、たくさん並べられていた。東京の下町の老舗「川畑せんべい」は、江戸時代から変わらない川畑焼き製法で今も作っている、ロングセラーのせんべいだ。醤油の香りがほのかに立ち込めて、食欲をそそる。噛んだときの固さに、歴史と伝統の重みを感じる。それほど濃すぎない味ということもあり、一枚食べると二枚目を食べずにはいられなくなる。素直な真ん丸の姿形で、表面はふんわりとしたふくらみがあり、鮮やかな色彩がこれまたたまらない。素材も一級品の厳選した米、醤油も最高級の名品を使っているとのことで、この上なく味わい豊かだ。
いつもだったら、我先にと手を出すのだが……。誰もせんべいには手を出さず、皆、祈るような思いで、無言だった。先ほどの盛り上がりをもってしても、やはり心配なのだ。
そもそも、……観客は良い人ばかりがいて。体育館で発表されたどの演目に対しても、似たように温かく拍手してくれていただけではないかと。ネガティブな想いばかりが、部員達には湧いてきていた。
そんな中、ドアが静かに開いた。
「遅くなって悪かったな」
遠井は大量の紙を持って席に着いた。
束になったアンケート用紙が、円卓の上に置かれた。
「みんな、これを見てくれ」
疲れた様子の遠井は、うれしそうにアンケート用紙を指さした。
先を争うかのようにして、三人はアンケート用紙を手に取り、食い入るように一枚ずつ見つめた。コメントはどれも、「バカっぽい感じが、面白かった」「思っていた以上に腹抱えて、笑えた」「カッコいいせりふに少し興味が湧いた」「わりと楽しかった」等、好意的なものが多い。ブロンズ像のいたずらについて言及するコメントも複数あり、カッコいいせりふ部は犯人じゃないだろうという意見が大多数だった。こんなバカなことを考える人達が、そういう悪いことはしそうもない、という感じだったようだ。
いつも無表情の理江だが、熊のぬいぐるみの手でアンケートを挟みながら、うれしそうな声で言った。
「今回は演劇だけだし。少し変な捉え方をされている気がしないでもないけど、一応成功じゃない?」
田中もお腹を揺らしながら笑った。
「僕もそう思う。カッコいいせりふに興味をもってもらえたなら、それで十分目的は達しているし」
中原は、まじまじとアンケート用紙を一枚ずつ見つめた。
「何より、犯人だと思われていたのが。そうじゃないという感じのコメントが目につくのは、うれしいな」
「そうだな。その通りだ。今回に限ってはさ、大成功だと受け止めていいんじゃないかなと俺は思うよ」
遠井は微笑みながら何度もうなずいた。
そのとき、荒い音を立てながら部室のドアが開いた。
険しい形相の氷河が、部室に入ってきた。
部員全員が氷河のことが嫌いで、一斉ににらみつける。
遅れて水奈も入ってきた。水奈はなんだか浮かない表情だった。いつもの氷河に怯えている感じとは違い、不愉快そうな雰囲気が見てとれた。
氷河はバカにするように言った。
「ふん。くだらなかったな」
ここまで本気で頑張ってきただけに、遠井は一瞬で、カチンときた。怒りの眼差しで、氷河をにらみつける。
「生徒会長なら、もう少しねぎらいの言葉とか言えないのか」
「くだらないものはくだらない。それだけだ。ねぎらいようもないだろ」
「お前……許せない!」
遠井は勢いよく席を立ち、両腕を構えた。小柄な遠井は、子供の喧嘩のように愛嬌すら感じられる。
氷河も拳を振り上げて、喧嘩の姿勢。ガタイの良い氷河が構えると、風格があり、大男の恐ろしさが漂う。
取っ組み合おうとする二人に、水奈は怖くて何も出来ない。祈るように両手を組んで、争いをやめるよう、願っているようだった。
一方、カッコいいせりふ部の部員三人は、一切ためらうことなく遠井の喧嘩を止めに入った。
「おい、やめろよ。攻撃は最大の防御なりだろ。……あ、それじゃダメか」
「生徒会長に暴力振るったら、印象が悪くなるじゃない。恨みに報いるに徳を持ってす、でしょ」
「遠井君。ペンは、剣より強しだよ。プラスティックじゃだめだけど、オリハルコンのペンなら、剣より強いと思う」
氷河は一瞬のスキをついて、遠井との間合いをつめる。
部員三人が抑えられない勢いで、素早過ぎる身のこなしの氷河は、綺麗なフォームで遠井を背負い投げした。逃げきれず、すかさず遠井は受け身を取る。しかし、氷河の鞄にぶつかり、腰のあたりにダメージを負った。
「くそ、背中が痛い……」
苦渋の色を浮かべた遠井は背中を押さえながら、氷河の鞄から飛び出た冊子がふと目に入った。
「これは」
「やめろ、見るな!」
氷河のバッグから、以前に没収されたカッコいいせりふ部の冊子や部の季刊誌が続々と出てきた。
部員三人は、遠井を抑える代わりに、氷河の腕、脚を捕まえて、身動きできないように拘束する。
「お前ら、やめろ。俺を誰だと思っていやがる」
「はい、うるさーい」
背中の痛みを我慢しながら、遠井は氷河の言葉を無視して、一冊手に取り、パラパラとめくる。
氷河は、本気で青ざめていた。ジタバタする抵抗をやめて、茫然として遠井の動作を見つめている。
遠井はページをめくりながら、段々と顔色が変わる。
「カラーの線がたくさん引いてあって……え?」
遠井は驚いた様子で氷河を凝視する。
氷河は無言を貫く。しかし、急速に勢いが落ちているのが見てとれた。なぜか表情は大人しくなり、いつもの強そうな金髪ツンツンの髪型すらも弱々しく見えてしまう。戦意喪失とともに、何かの覚悟をした顔にも見えた。
そして、白状するように小声で話し出した。
「……本当はカッコいいせりふが好きで、……少しずつ勉強していたんだ、俺は」
「マジ……で?」
とても普段の強気な不良っぽい生徒会長には見えない口調で、ぼそぼそと心細そうにしゃべる氷河。
カッコいいせりふ部一同、神妙な面持ちで話を聞いていた。
「俺はもともと小説家志望だし。言葉の一つ一つが参考にもなったんだ」
「氷河……」
「でも、生徒会長という手前、それを言うのは恥ずかしい。俺は、……お前らのファンだ。ふん、悪いか?」
観念した様子で、氷河はため息をついた。どこか吹っ切れたよう表情だった。隠していた気持ちを表に出すことができて、晴れやかなようにも見えた。
遠井は優しい笑みを浮かべて、氷河の背中を軽く叩いた。
「カッコいいせりふが好きなら、俺たちの仲間だ。なあ、みんな?」
「「うん」」
部員一同、笑顔でうなずいた。
田中と中原と理江は、氷河を解放して、席に着いた。
田中は、うれしそうにせんべいを手に取った。
「せんべい食べながら。一緒にカッコいいせりふ、考えようよ。せんべいを身体にインプットした数だけ、みんなを喜ばせるカッコいいせりふを世の中にアウトプットするんだ」
理江は熊のぬいぐるみの両腕をつかみ、レンジャーもののカッコいい変身ポーズを作ってみせた。
「人の作品を読むだけじゃダメよ。自分で考えないと、前に進めないじゃない。……洗練され、よく磨かれたカッコいいせりふは、一カラットのダイヤモンドよりも果てしなく輝き、美しいものよ」
中原はアンケート用紙を見ながら言った。
「生徒会長だからって。批評は手加減しないからな。秋季刊号の締め切りギリギリまで、必死になって頭を悩ませようぜ。いかなる産みの苦しみも、産まれる喜びには絶対に勝てないってもんだ」
氷河の顔に、微笑みがあふれる。今までにない、爽やかな笑顔だった。一匹狼が、仲間の群れを見つけたような、素晴らしい輝きの目をしていた。
「ありがとう。すまない。素直になれなかった、俺を許してくれ」
氷河は、そのまま土下座した。メッシュの入った金髪を針金状に立たせながらの土下座は、とても不格好だったが、誠意が強く感じられる謝罪だった。
「俺が悪かった、本当にごめんな」
「やめろよ。もう誰も怒ってないよ」
遠井が言うと、氷河は顔を上げた。氷河はいつになく、優しい表情だった。
「許してくれてありがとう……」
感謝の思いを何度も口にすることで、氷河の喜びが共有された。
氷河は立ち上がり、何かを思い出したように手をポンと叩いた。
「あ……それと。……怪しく思うかもしれないが、俺は犯人じゃないからな」
遠井は不思議そうに質問する。
「あれ、そうなの?」
氷河は、カバンから飛び出た冊子をしまいながら大きくうなずく。
「もちろんだ。さすがに、ねつ造はしない。俺は本心から、この学校が良くなって欲しいと思い、犯人を捜していた」
「……そうか、でも」
腕組みをした遠井は、なんだかしっくりこなかった。
それじゃあ、一体誰が犯人なのだろうか……。
「私はおかしいと思います」
水奈が珍しく発言をした。ショートカットヘアの美しき女子高生は、可愛らしい瞳で、怪訝そうに遠井をにらみつけている。
「歴史やアニメ、ドラマとかの名ゼリフを寄せ集めて、桃太郎の劇にむりやり張り付けただけじゃないですか。……何が『恋愛とは、切なさが奏でるワルツなり』ですか? バカバカしいです」
「水奈……ちゃん」
遠井は不思議そうに水奈を見つめた。
「そのせりふ、本番出てきていないけど……?」
「あ、ええ? うそ。あ……」
言葉を濁しながら、戸惑う水奈。
遠井は疑問の言葉をたたみかける。
「今のって……確か。事件が起きた夜、理江が考えたカッコいいせりふだけど。どうして水奈ちゃんが」
遠井が言った瞬間、水奈は奇声を上げながら取り乱した。
「きゃああ、……ごめんなさい。ごめんなさい! 犯人は私です!」
パニックになりながら、水奈はそのまま白状してしまうのだった。
「水奈ちゃんが犯人?」
青ざめた表情で、もう後戻りも出来ず、水奈はうなだれた。何度もため息をつく。気持ちを落ち着けて、現状を受け入れて。
ようやく覚悟が出来たのか、静かな口調で水奈は話し始めた。
「……『考える人』のブロンズ像が、いたずらされた夜。カッコいいせりふ部の皆様は、部室で部活動されていましたよね? 私は部室棟に外からはしごをかけて、二階の窓に顔を近づけて、皆様の話声を聞きながら、部屋にいらっしゃるのを確認しました。そして、犯行に及んだのです」
遠井は回想する……あの夜、確かに物音を聞いた気がする。窓を開けて確認までしたから、覚えていた。
それがまさか、水奈だったとは思いもしなかった。
氷河は真剣な面持ちで、しおれる水奈を見つめた。
「……お前だったのか、水奈」
「はい。すいません……氷河さん。こんなバカなことをしてしまい、本当にすいません。お忙しい生徒会長の氷河さんの手をわずらわせてしまいまして、本当に本当に本当に、申し訳ございません……」
ひたすらお詫びをし続ける水奈。いつ怒鳴られてもおかしくなかった。水奈は身体をぶるぶる震わせていた。
しかし、氷河の口から出てきたのは意外な言葉だった。
「正直、俺は最初から水奈だと思っていた」
「ええ?」
思わず水奈は、素っ頓狂な声を出した。
氷河は、憐れむ視線を水奈に注いだ。
「そもそも、カッコいいせりふ部に文句言いに行くだけなら、俺一人で勝手に行けば済む話だろ?」
「あ、はい」
「それなのに、どうして俺は毎回、水奈を連れていったのかわかるか?」
「そ、それは?」
「……俺の本当の真意は、水奈の反応を見るためだったんだ。監視させたのもそう。カッコいいせりふ部のお前らには、変な言い掛かりばかりして本当に悪かったけどよ。はっきり言って、あれは全部演技だ。……はじめっから俺はな、遠井とか、カッコいいせりふ部のメンバーのことを全く疑ってなかったぜ」
遠井は、感心しながら二人のやり取りを聞いていた。自分らに迷惑をかけたのは腹立たしい。しかし、カッコいいせりふ部にけしかけ続けたおかげで水奈がボロを出して白状したこともあり、不良っぽい見た目でもやはり生徒会長だなと遠井は思った。
思い出すように軽く目を閉じて、氷河は話を続けた。
「俺は生徒会長として、我が校の芸術の隆盛を心から願っていて、優秀な技能を持つ生徒の顔と名前は全員把握している。……なぜ俺が、水奈を怪しいと思ったのかと言えば。それは、あれだけの彫刻の技能を持つ生徒。水奈以外に見当たらないからだ」
「あ……ああ」
ハッとした表情の水奈は、言葉が出ない。
小説家志望の氷河をはじめ、とりわけ成亜川高校には、芸術の才能豊かな人間が多い。水奈も例外ではなく、彫刻が得意だった。
遠井は、水奈の肩を叩いて、そっとつぶやいた。
「どうして、こんなことをしたんだ?」
「以前から……ずっと、遠井さんに引っかかっていることがありまして」
水奈は思いつめた様子。どうしようかと迷いの色が可愛い顔に見え隠れしていたが、やがてゆっくりと言葉を紡いでいった。
「私、ずっと前から……遠井さんのことが好きなんです」
「いっ!?」
衝撃のあまり、言葉にならない言葉が漏れた。驚きのせいで、思わず遠井は水奈の肩から離れて、後ずさりした。勢い良すぎて、足首をねんざするところだった。心の熱を冷やすように、ゆっくりと水奈に視線を戻す。
水奈は呼吸が荒く、ひたすらうつむいていた。
動転する気持ちを無理やりに落ちつけながら、遠井は質問する。
「もう少し……分かりやすく話してくれない?」
「す、すいません」
水奈も告白してしまった恥ずかしさからか、顔を赤らめる。
そして、たどたどしく説明を始めた。
「小金川公園で。遠井さん、以前にカッコいいせりふの練習で。見ず知らずの私に、いきなり話しかけてきたことがあったのを覚えていますか?」
「そんなこと……いろんな人にしょっちゅうやっているし。誰もいなくてもやっているし。全然覚えてないよ」
水奈は残念そうにため息をついた。
「ですよね。そもそも私、存在感薄いですし……遠井さんのカッコいいせりふがたまたま、愛の告白を想わせるものでして。私、そのとき。本気で口説かれてしまったんです。それで、恥をかかされたと思いながらも恋心を消すことも出来ず、どうしたらいいものかと途方に暮れてしまいまして。恋心を踏みにじられた私は、憤りのままに復讐するべく、『考える人』にいたずらをしたんです」
納得のいかない表情の遠井は、首を傾げた。
「俺に対する怒りの思いで、なぜブロンズ像へのいたずらにつながるのか。因果関係がよく分からないけど」
水奈は首を横に振った。
「つながりがよく分からなくても、結果を見たら分かりますでしょう? こういうことをしたら、絶対に遠井さんが疑われると思ったんです。そして案の定、遠井さんは疑われてしまいました」
「あ、なるほど」
「その後の石碑や、挨拶標語、俳句のいたずらも同じ感じです。すべて、遠井さんが疑われそうなことをしました」
確かに、遠井は散々な被害を被った。水奈の復讐の仕方は、正しかったと言わざるを得なかった。
「でも、水奈ちゃん。そんなに彫刻が得意なの?」
「恥ずかしながら私は、彫刻の国際コンクールで優勝しています」
「うそ……凄い」
水奈は回想するように遠くを見ながら言った。
「カッコいいせりふ部の演劇がうまくいったのは凄くうれしかったんですけど。その反面、カッコいいせりふで恥をかかされたときのことを思いだしてしまい。腹立たしくなって、思わず遠井さんに文句を言ってしまいました……応援したい想いと、復讐したい気持ち。二つが葛藤して、私。いつも遠井さんを想うと苦しくて、本当に気が狂いそうだったんです」
「そっか……分かった」
決意を浮かべて、遠井は水奈の手を取った。
水奈は目をぱちくりさせながら、遠井を見つめる。不安そうに、先が見えない感じが伝わってくる。
「俺、責任とって。水奈ちゃんと付き合うよ」
「ほ、本当ですか!」
水奈は、これまでにないぐらいの大きな声で返事をした。目を潤ませて、徐々に表情が笑顔へと変わった。
「うん。俺も水奈ちゃんのこと、良い子だと思うし」
「元気な赤ちゃんが産めるように、頑張ります!」
「話が早過ぎると思うけど……」
「あ、すいません。当面は、手をつないでもらえるように頑張ります……」
「急に奥手になったね」
水奈は顔を赤らめながら、うつむき、そのまま無言。
遠井は、窓の外のさらに遠くへと目をやる。夕焼けが、どこまでも綺麗だった。グラデーションがかかったようなあかね色の雲の中央に、半円の丸い光明が、寂しげに輝く。
「このまま水奈ちゃんが犯人でしたと公表するわけにもいかないし。後始末をどうするかだな……」
4、
翌朝。
成亜川高校のブロンズ像のネームプレートの彫刻は、「考えない人」から「考える人」に戻っていた。……いや、ただ戻っただけではない。以前の「考える人」よりも、文字の彫刻が芸術的に、美術的に、格段に上手になって表示されていた。
生徒の間では、
「誰がやったんだ?」
「考えないのはまずいから、やめたのか?」
「文化祭を機に、考え直したのかも」
「受験に向けて、考え始めたんだ」
……と、相変わらず穏やかなぬるい話題になっていた。
遠井は、水奈を犯人としてさらすのはかわいそうだと思い、再び「考える人」と彫った文字を像のところに張り付けるよう、水奈に提案したのだ。
カッコいいせりふ部一同、見張り役などで活躍し、水奈はかなり気合い入れて彫った「考える人」の文字を接着剤で像に貼ったのだった。
もちろん、同様に石碑の彫刻も新たに彫り直した。
また、挨拶標語や俳句については、掲示期間がちょうど終わるタイミングだったので、もう人目に触れることはない。
「考える人」のブロンズ像の文字は、彫刻のプロが観ても素晴らしく、専門家がちょくちょくと訪ねるようになった。
一か月経つと、ミケランジェロを超える、人間離れの神業だと世間の噂になり、マスコミの取材もくるようになった。新聞や雑誌、芸術誌、ラジオ、テレビニュースでも、さまざまな特集を組まれて発表されるほどだった。
良い噂に対しては、学校側も積極的に反応する。校長先生もマスメディアの取材に応じて、「学問の神様が、我が校に遊びに来たのかもしれません」とご満悦の様子だった。
時折、噴水の石段に腰かける遠井と水奈は、ブロンズ像前で繰り広げられる様子の一部始終を楽しく眺めていた。
遠井は水奈の手を優しく握り締めて、そっと話しかける。
「水奈ちゃん」
「は、はい」
「また来てるよ」
今日は、三人のお客さんだ。
腕に撮影許可用の黄色い腕章をして、黒い帽子をかぶったひげ面の男性が、三脚で固定したカメラで、じっと撮影をしている。上下ともに白いスーツを着た、胸に流れる長い髪の女性アナウンサーが、マイク片手に何やらしゃべっている。もう一人のカジュアルスーツを着た若い男性は、メモ帳を片手に持ちながら、一生懸命に早書きでメモをとっているようだった。ネイビーのスーツを着た、頭のてっぺんが少し禿げ掛かっている男性……、今日の応対は教頭の菅原鯉吉のようだ。
女性アナウンサーが何かをしゃべり、マイクを教頭に向ける。教頭はわざとらしい笑顔で、楽しそうに受け答えをしていた。話している内容を、一字一句漏れないように、カジュアルスーツの若い男性がメモをとっている。
やりとりを眺めながら、遠井は微笑んだ。
「大人気だね」
水奈は申し訳なさそうに顔をそむける。
「恥ずかしいです……」
「いや、凄いよ。本当に」
「私は、……大事件を起こした張本人ですし。そんなことをおっしゃって頂けるような立場の人間ではなくてですね」
「でも、世間は認めてくれているみたいだよ」
「そういう問題ではなくて……」
「素直に喜んだら良いと思うけど」
「そんな気には、とても」
「だって、これだけの人が評価しているんだしさ」
「たまたま、……話題になったというだけで」
「また、すぐに謙遜したがる」
「あ、いえ……その」
遠井に褒められ続けた水奈は、下を向きながら、顔を赤らめた。
「べ、別の話題にしませんか?」
それっきり、水奈は無言になる。
遠井は、握り締めた水奈の手を、両手で大事に包み込んだ。
水奈は恥ずかしがりながらも、この上ない笑顔だった。
* * * *
ギリギリと歯ぎしりをさせながら、噴水の反対側から二人の姿をのぞき見する男子生徒がいた。
「どこが引っかかっていて、前に進めないだよ? 水奈ちゃん、やっぱりつき合っているんじゃないか」
河原谷は、噴水の石段を軽く殴り、怒りを紛らわした。
「こないだの文化祭をきっかけに結ばれたというウワサは、本当だったのかよ。くそ、マジで腹が立つ」
河原谷は腕組みをして考える。
「それにしても、何でまたあんなイロモノと水奈ちゃんがつき合うんだ? あいつの何が良いっていうんだよ?」
河原谷は、どうしても納得がいかなかった。これが、氷河ならまだあきらめがつく。運動神経抜群の体育会系の爽やかな奴なら、まだ分かる。ルックス抜群のカッコいいイケメンなら、理解できる。学校の成績が上位とかなら、納得がいく。ロックミュージシャンとか、特別なアーティストとしての才能があるのなら、腑に落ちるものがある。
しかし、そんな事実は何一つとして存在しない。あんな小柄で、おしゃれの一つもしないで、しかも。
「カッコいいせりふ部の部長だとか。ふざけやがって」
わけのわからない部活動。部員のメンバーも、変な奴らばかりだと聞いたことがある。
どういうわけか、文化祭の演目が、思った以上にウケたみたいだが。だから、それがどうしたというのか。イロモノは、逆立ちしたってイロモノ。石ころが、ダイヤモンドに化ける錬金術はないのだ。それなのに……この不可解な状況は一体どういうことか。
「何なんだ、このおかしな状態は?」
河原谷は気を静めて、自分が水奈の立場だった場合、仮につき合う理由は何かを考えてみた。
水奈ほどの美少女が、あのイロモノに落ちるきっかけとは……。お金、権力、脅し、……どれも合っていそうだが、今一つピンとこない。
「あ、待てよ。ひょっとしたら」
何かひらめいたのか、河原谷はポンと手を打った。
「俺の推理が正しければ。水奈ちゃんの気持ちが傾いた理由って」
河原谷は、噴水越しに二人の後ろ姿をにらみつけた。視線の一つ一つに、嫉妬の想いがみなぎっている。
「待ってろよ、水奈。キミを可愛がってあげられるのは、地球上ただ一人、この俺しかいないからな」
河原谷は立ち上がり、生徒会室に戻った。
二人っきりになる時間を、何としても作りたいと思った。
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